見出し画像

創作パワーの源は「交流」 その最高さを語り尽くす

みなさんを創作沼に引きずり込むべく、すでに創作を楽しんでいる、いわば楽園の住人たちにインタビューをするこの企画「エデンの住人たち」。
インタビューは創作初心者のマシュマロ見習いが行っています。

「エデンの住人たち」第3回は下落合めるさんにお話をうかがいました。

最初から読みたい方は以下の記事からどうぞ!

基本情報

アカウント:MEL(@melsimoon
使用機材:iPad Pro、iPhone、MacBook
執筆ツール:Ulysses
ネタだし:iOS純正メモ、Twitter
プロット:Nola
出力:新書ページメーカー縦式
お気に入り印刷所:おたクラブ

見習い:どのようにして創作の道に足を踏み入れたのですか?

創作のきっかけ

一番最初に小説らしきものを書いたのは小学生の時です。当時はまだ自力でお話作りが出来なくて、既存の小説の登場人物を置き換えただけのものを、友人だけに印刷して配ったりしていました。

初めて小説というものを書き上げたのは比較的遅くて、20歳の時です。夢小説という、主人公の名前を好きに変換出来るシステムを知って、「こんな素晴らしいものがあるのか!」と感動し、ガラケー向けサイトなら簡単に夢小説が書けると分かったので挑戦しました。

ランキングサイトやウェブリングという、今の若い子たちからしたら「何それ?」なものに登録して、そこから同志を見つけ出す、見つけてもらう、っていう文化でした。当時はまだpixivもなくて、二次創作は個人サイトを回って地道に見つけ出すか同人誌を買うか、という世界だったんですよね。

私の創作は初めから“交流ありき”だったような気がします。書き始めの頃も、同志の方々に見つけてもらって、感想を貰ったりすることが創作のエネルギーになっていました。

見習い:他の人の意見によって自分がぶれてしまうことはないのですか?

同士と楽しむ創作

たしかに周りは気になります。
反応はほしいけど、私の場合、書くこと自体は自分自身のためなんです。なので、他の人の評価で作品の傾向や内容を変えようと思うことはありません。
推しのこんな可能性を探りたくてこういうもの書いてみたけど、どう?意外かもしれないけど結構良くない?と提案している感じです。
そこで口に合わない人はごめんね、で終わり。口に合ってこれ好き!って人は一緒に楽しもうよ!みたいな感覚です。

見習い:あくまでも「同士」であって「株主」ではないということなのですね。
メンタリティの他に物語を創り続けるために意識していることはありますか?

改めて銘打つと難しいですね……。
わりと皆さん息をするように創作してるというか、自分を救うためにというか、書かないとしんどいから創る、っていう方多いなと思うんですが、違うのかな……。

見習い:「創らないとしんどい」……?

本気で日常生活に支障をきたしてしまうくらい、もう推しのことしか考えられなくなってしまうんですよ。
その頭を占めてる推しを創作という形で外に出すことによって、なんとか生きてるというか……。

見習い:頭がおかしくなってしまうくらい、頭の中が推しでいっぱいになってしまうとは……。

狂う、としか言えない……夢にも見るくらい、24時間何をしてても考えてます。
状態としては恋愛に近くて、脳内お花畑です。そこまでの状態になると、やっぱり苦しいんですよ。
なので、常に頭のスペースを占有しようとする推しを、創作という形で頭から出しています。

見習い:そういう時のアイディアは脳内の妄想から生まれているのですか?

アイディアはどこからきているのか

私の場合少し違います。頭の中にある時は、モヤモヤとして形のないよく分からない状態なんですよ。推しのことだなっていうのは分かるんですけど、概念的なものというか。自分でもよく分からないんです。

創作のアイディアは色んなところから生まれます。
リラックスしたり体を動かしてると脳の違う部分が働くらしくて、散歩してる時やお風呂に入ってる時に思いつくことも多いですね。

あとは音楽にもすごく助けられています。
私は創作する時に、何かしらテーマーソングを決めてそれを流して書くのが好きなんですが、曲全体の雰囲気や歌詞の世界観やメロディー、そういうものに創作の輪郭を作ってもらうことも多々あります。
良い曲を見つけた時に、「これは〇〇が△△する時の曲だな!」みたいな。

でも、書き始めてみないと全貌がわからないという時が圧倒的に多いので、実際に物語にする際には白い画面に向かってキーボード叩くしかないな、みたいなところはあります。最近だとツイートしてる時に出てくることも多いのですが、これは多分「書き出してみないと出てこない」のと似ていると思います。

見習い:物語を実際に書き出す際はどのようにしているのですか?

「憑依型」の小説の作り方

私はプロットもあまり練らないタイプなんです。さっきもお話ししたように、「書き出してみないと」という感じで。

以前創作者のタイプ分け診断をしてみたのですが、案の定「憑依型」でした(してみたいかたはこちらからどうぞ!)。実際、“降りてきた”状態で書いたものは、後から読み返した時に「よくこんなん書けたな…」みたいになる時があります。

降ろす時のコツは連続で20時間くらい起きてることです。絶対オススメは出来ない方法なんですけど……。
正直誤字脱字は増えるし、整合性取れなくなる部分も出てくるので、寝て起きたら読み返し必須なんです。でも私の場合、この寝不足状態が一番、普段の自分では書けないものが書ける時です。

でも本当に、ほんっとうに健康に良くないのでオススメしません。
ただ、もしも普段書いていて“なんかブレーキかかってるな”とか、“照れや要らない雑念が入って思うように進まないな”とか思う人は、一回くらいは試してみると突破口になるかもしれないです。

要するに思考能力が落ちて余計なこと考えられなくなるんですよね。純粋に作品のことだけを考えて書くから、自意識などの雑念が入らない
そうなると、普段使われない脳の回路が開いて、平時の自分じゃ思いつかないようなセリフとか、展開とかを書けるようになるんだと思っています。

見習い:20時間起き続けて「降ろす」……! 前回のクノさんとは正反対の考え方ですね! (クノさんの記事はこちら
確かに健康にはよくないと思いますが、自意識から抜け出すためには有効なのかもしれないですね。諸刃の剣なので試してみる方はぜひ慎重に!!

先ほどから「めるさんワールド」が展開していますが、ご自身の作風はどのように考えておられますか?

下落合めるさんの作風について

作風って自分じゃよくわからないものですよね。
人様から感想をいただいて、初めて自分の輪郭が分かるというか。

一番最初に実感したのは、仕事で書いたものの感想を頂いた時でした。『特に大きな事件が起こるわけでもない日常生活を、つまらなくせず、キュンキュン萌えるものに出来る人』のような言葉をいただいたことがあって、その時に、あーそうなんだ、と初めて自分の創作の良い部分を知りました。

どういう部分にリアルっぽさを出すか、というのは常々考えてます。人間味のある部分や生活感を感じられる描写、ということですね。私もリアリティのあるお話がすごく好きで。そこに生きてるみたいだな、というお話を読むとすごく興奮しちゃうからですかね。

見習い:前回のお話でもでましたが、リアリティは物語の世界観に引き込むおもしろさに直結しているようですね。
めるさんにとっては「おもしろさ」は何ですか?

「おもしろさ」とは

私の思うおもしろさは、”興奮“と”意外性“です。

でも「おもしろさ」って難しい概念ですよね。人によって基準が違うし……。
何が刺さるかって、人の数だけ違うから、おもしろさの公式、みたいなものって存在するのかなあ……?

私は、面白さって興奮と同じなのかもと思っています。何かを面白い! と感じるときって興奮してますよね。気分が高揚している。

笑いとしての面白さもそうだし、感動、好奇心、驚き、恋愛のドキドキ、性的興奮。どれも興奮状態ですよね。
やっぱり心が動いたときがおもしろい!ってことなのかもしれないと思いました。

ただ、最近強く感じるのは、誰にでもおもしろいと思ってもらえるものを、と思って作るとおもしろくなくなるな、ということです。

大衆受けを狙うよりも、特定の層に向けた尖ったものを作るほうが絶対にいい。みんな目も耳も肥えてるから、当たり障りない一般受けするものじゃ、またこれか、ってなっちゃうと思うんです。

そういう点だと二次創作は強いですよね。
大体がみんな自分の性癖をぶつけるので、必然的に特定の層に向けた尖ったものができる。
よくこんなもの思いつくよな〜すごいな〜って作品がたくさんあって、これだからオタクやめられないな! と思います。

性癖をぶつけた尖ったものって、本人にとってはそれが”普通“なんですけど、他の人間からすると”驚き“”新しい価値観“だったりするんですよね。

そんな考えあるのか! その解釈は考えたことなかったけどいいな! みたいな。
ともすれば、それで自分の地雷を発見する……かもしれませんが、新しい扉を開く瞬間になるかもしれない。
そういうのが、おもしれ〜! ってなります。

見習い:そんな風に人の心を動かすにはどうしたらいいのでしょうか?

人の心を動かすには

書く時に自分の心が動いてないと上手くいかないのかな、という気はしています。これは私が先の質問で答えた通り憑依型だからかもしれません。

私の場合、自分も一緒に興奮したり悲しんだり、作中の登場人物と感情を同期させて書く方が、描写も豊かにできていると思います。

なので、登場人物の心情とか理解できてない時は書けないですね。キャラが全然動いてくれない。無理に動かそうとすると、心の動きが不自然になっちゃうんです。

だからキャラクターの心の動きはいつもものすごく気にしています。このキャラの心の動きおかしくない? って一度でも思っちゃうと、もうその話は読んでいてもつまらなくなってしまいますよね。作り物だからこそ、そういう部分でリアリティがないと途端に白けてしまう。

それって別に共感出来るかどうか、ではないと思うんです。共感は出来ないけどコイツの考え理解は出来るな、こういうやついるよね、って思ってもらえるかどうか。
ポイントは「人間っぽさ」だと思います。人間のキャラクターならちゃんと人間かどうか、人外のキャラクターならちゃんと人間っぽさがないかどうか……。

そうやってたくさん気をつけてスムーズにキャラクターが動いてくれた時は、きっと一緒に自分の心も動いてるし、読んでくれた方にもそれが伝わるのかなと思ってます。

見習い:たくさん気遣って丁寧に書いた文章は、自分と同様に読者の心も動かしているとお考えなのですね。素敵な文章は確かにきらきらとしていますものね!

ここまで下落合めるさんを虜にする創作の魅力について改めてうかがってもいいですか?

どうして創作の虜になってしまうのか

私が作品を公開するのは、同志に届いて欲しいからです。仲間が欲しい、好きな作品やCPについて語り合いたい、という気持ち。

公開する勇気がない……何を言われるかと怖い、恥ずかしい、とか色々躊躇しちゃう気持ちはありますよね。
否定されたらどうしよう、とか……。
私も実際、自分が作ったものを否定されてショックを受けたことがあるので、その恐怖は分かります。

でも、同志の方々と深夜に推し語りすごろくをやったり、推しCP語りをしたりすると作品や推しCPの解像度が上がって、自分一人じゃ思いつかないような発想を教えてもらったり、それで自分も刺激されて新しいネタが浮かんできたりします。

その解釈アリだね! その考えはなかった! みたいな発見が毎日あるので、本当に楽しいです。

見習い:創作仲間での交流は本当に楽しそうですよね!! でも、同士を見つけるまでが大変だったり、心ない言葉によってすごく打ちのめされてしまう可能性は怖くないですか?

私が交流が楽しいなと思うのは感想に救われた経験もとても大きいです。

心が折れそうになった時、傷付いた時、自分を救ってくれたのは同志の方の感想や嬉しい言葉でした。
人様の言葉ってすごい力があるんですよね。
マイナスな言葉には確かに傷ついちゃうけど、プラスの言葉には魂ごと救ってもらったような気持ちになる。

見習い:感想はなかなか一部のすごい人じゃないと貰えないんじゃないかって思っちゃうのですが、どうなのでしょうか?

最近は開き直って「感想もらえると嬉しいのでください!」と言うようにしています。
感想ください! っていうの、なんだか必死な感じであんまり出来ない……という方もいると思います。私もかつてはそうでした。

でも、「感想ください!」っていうの、自分は恥ずかしいと思っちゃうけど、人様が言ってるのを見た時には別に何も思わないんですよね。
むしろ「感想欲しいタイプの人なんだ!じゃあ送ろうかな。喜んでくれるかも。」と感想を送るハードルが下がる気がしています。
人ってあんまり他人のこと気にしてない。だから、感想欲しいなら欲しい! って言った方が、作者も読者も幸せになれると思うんです

心が折れそうだからマシュマロで構って~! とかも、全然アリだと私は思います。

見習い:私は読者専門ですが、正直感想を送るハードルは高いかも……こんな素敵な文章を書く人に、こんな拙い文章で感想を送ってもいいのかなって……。
「感想ウェルカムです!!」って大々的に宣言してもらえたら「無い語彙を振り絞ってでも送らねば!」という気持ちになりますね。

——この先の購読者限定コンテンツの中身をチラ見せ!——
・心を動かす描写とは?
・読みやすい文章とは?
・おすすめ特訓方法

月額制のマシュマロマガジンを購読していただくと、「エデンの住人たち」だけでなく「マシュマロ式小説マニュアル」が過去記事も含めてすべて読めるようになります。購読者限定で行っている企画もあるよ!

購読者限定コンテンツ 心を動かす描写深堀り

見習い:下落合めるさんは商業でのお仕事もされているとのことですが、お仕事で得たものはどんなものがありますか?

ここから先は

7,830字