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私にしか書けないものってなんだろう 今純化の壁を越えようとするあなたへ

みなさんを創作沼に引きずり込むべく、すでに創作を楽しんでいる、いわば楽園の住人たちにインタビューをするこの企画「エデンの住人たち」。
インタビューは創作初心者のマシュマロ見習いが行っています。

「エデンの住人たち」第9回はodさん(@IEuYqRZchla49Wz)にお話を伺いました。
odさんは以前「あなたの作品に感想書きます」(旧:マシュマロ見習いが感想を語る企画)で書き込みスタイル第一回をさせていただいた方なのです!

みなさんも強く印象に残っているであろう生花教室の2人のお話はこちら!↓

今回はそんなodさんに創作方法の様々な試行錯誤やマシュマロマガジンとの交わりについておはなしいただきました!

「エデンの住人たち」を最初から読みたい方は以下の記事からどうぞ!

基本情報

Twitter:od(@IEuYqRZchla49Wz
執筆ツール:Evernote(メモ、横書き)、Word(縦書き)

マシュマロ見習い(以下見習い):ではインタビューをさせていただきます! まず初めに創作のきっかけをおしえていただけますか?

創作のきっかけ

odさん(以下敬称略):初めて小説を書いたのは、1年半くらい前のことです。あるアニメにハマったことがきっかけです。その時、初めてこの世に「二次創作」というものがあることを知りました。

インターネット上で個人の趣味の小説を読んだのもこの時がほぼ初めてでした。個人個人の欲望が詰まった、こんなにディープなおもしろい世界があったのか!と笑
その熱量に惹かれました。

それまで好きな小説を読むのは大好きでしたが、約30年生きてきて書きたいと思ったことは一度もありませんでしたし、自分が書けるとは微塵も思っていませんでした文章を書くこと自体にも、苦手意識がありました。

それでも書き始めた、その動機は今思うと少し不純だったように思います。誰かと交流してみたかったのです。
とは言え、こちらから話しかける勇気はなかったので、何か書けば、誰か話しかけてくれるかな?と思いました。書くきっかけはそんな、軽いものでした。

一歩を踏み出してみて思ったのは、「書くのがとにかく楽しい!!」「意外と書けるじゃん!!!」です。
最初の頃に書いていた作品は今では読み返せないくらい拙いものですが、「書けば書くほど広がっていく、ひとつの世界をつくりあげていく楽しさ」や「物語を書きはじめ、終わらせられる自信」がその頃に定着したのは大きいと思います。

脱線しますが、1年ほど前に、小説を書くのにハマりすぎて生活がままならなくなり、「もう止めよう!!」と強い意思を持ち、読者さんに宣言してまで筆を置いたことがあったのですが、数か月後には我慢できず戻ってきてましたね。

「ちょっとだけ…ほんのちょっとだけだから…」とブツブツ言いながら書いてました笑。久しぶりに書いたときは脳汁が出てるんじゃないかと思うくらい楽しかったです。我慢することを諦めて、飽きるまでとことん書いてみようとその時思いました。

見習い:創作を始めてまだ一年半ほどなのですね!
一足踏み入れてしまえばそこはもう抜け出すことのできない底なし沼だったと……。

普段はどのように執筆されていますか?

小説の書き方

od:執筆ツールとしては、メモや普段の執筆は基本的にEvernote(横書き)です。他のツールも使っていましたが、結局シンプルな機能しか使わないのでコレに落ち着きました。ブラッシュアップ時、本文に注釈を入れる時は「コードブロック」を使用しています。

縦読み本の執筆は、Wordで縦書きしています。特に根拠はないのですが、縦読み作品は縦書きで執筆するようにしています。縦書きと横書きで、文体が少しだけ変わるような変わらないような…おそらく気分の問題です。

執筆の流れについては少し試行錯誤してきたので、時系列で語らせて下さい。

書き始めた頃から約半年間は、とにかく「文章の自走を楽しむ」書き方でした。
二次創作だからやりやすかったのかもしれません。自分の中でキャラクターができあがっていて、都度自分が頭で考えなくても、勝手に動いてしゃべってくれる状態です。(一次創作の場合は、この状態になるまでキャラクターをイメージしておくことが一つ難関だなと思っています)

まず一つか二つか、書きたいシーンが思い浮かんだら、とりあえず先は見えない状態ではじめから終わりまで書いてしまうやり方でした。
この書き方は、先が見えないジャングルを切り拓いていくようなワクワク感はありました。プロットなくても最後まで書ききれるんだ、という自信にはなりました。

プロットについてはマシュマロちゃんが書いているこちらの記事もどうぞ!

7,000~30,000字の小説を16作くらい書いたあたりですかね。「ワンパターンだな」と思うようになりました。特にオチが。連なったシーンに軽いオチをつけて締めることに、物足りなさを感じるようになりました。

その物足りなさを解消するヒントは、それまでの経験の中にありました。私は「自分が感じ思ったことを、自分の体からアウトプットして表現すること」を複数の実技系分野で実践してきたのですが、その中で「コンセプトは?」「で、結局は何がしたいの?」とそればかり質問攻めにあってきました。それを思い出し、小説も同じだなと。

その経験を活かし、「テーマ決め」と「それが実現できるように、頭の中で大体の展開を決めておく」ことをしてみました。

それまで感じていた物足りなさは、これでかなり解消しました。自分の書きたいものが狭く、深くなっていく充足感がありました。作品に頂くコメントも少し変わったような気がします。

そのやり方で一年弱、さらに20作くらい書いた頃、また物足りなさを感じるようになりました。

その物足りなさを探るために、美しいと思う短編小説を読んでから自作を振り返ってみました。
これは自分が小説を書きはじめて発見できたことですが、私は短編ならではの、引き締まった緊張感のような美しさが好きなのです。

自分もその方向性で書きたいと思い自作を振り返った時、ひとつひとつのシーンや描写、文章の「必然性」みたいなものが弱いな、と。何を表現したいか明確に把握できていないと、それぞれの表現がブレるように思いました。

それをふまえ、本文を書く前にプロットを細かく組んでみるやり方を2度やってみたことがありますが、結論を言うと、今の自分には合っていませんでした。

1作は完成させそれなりに効果も感じられましたが、もう1作は本文を書き始める前にテンションが下がり作品を完成させるパワーが尽きてしまいました。
プロットを書いているうちに、本文を書いている気になってくるんですね。もっとバランスのいいやり方があるのかもしれませんが。

結局、今のやり方は、

1、テーマを決めて頭の中で大体の展開を決めておく
2、本文を書く
3、ブラッシュアップ

で落ち着いています。
本文を書いているとき特有の、展開や台詞、心情をふっとその場で思いつくライブ感を大切に、思いのままにテンションが高いうちに最初から最後まで一気に書いてしまいます。

その後にプロットをする気持ちでブラッシュアップしていきます。辛い作業ですが、もやっとしてたものがクリアになっていく楽しさ、それにふさわしい表現をみつける楽しさがあります。

具体的なやり方は、書いた本文を読み直しながら、Evernote内のコードブロックという機能を使って注釈のようなコメントを入れていっています。
まず全体を俯瞰しながら、ここではこういうことを表現する、と各所を整理し自分で把握します。

そのあと各パートを凝視して、ひとつひとつの文章を直していきます。書き足したり、逆に削ることもあります。ほぼ書き直しになります。
こうやってみると非効率なやり方ですね。笑 これから変わるかもしれません。

ネタだし、は難しいのですが、自分のコアになるものを見つけることが大事なのかなと思ってます。
ふと思い出す過去の情景だったり、心が動かされた作品だったり、なぜか引っかかった人の言動だったり。

それに対して、「なぜ、自分はそれに感情を動かされたんだろう?」ととにかく自問自答しながら、クリアにしていきます。それが作品の芯や原動力になるような気がします。作品でうまく表現できているか、わからないですが…。それを見つけることが、楽しいです。

「あなたの作品に感想書きます」に応募した作品について

見習い:odさんは以前「あなたの作品に感想書きます」(旧:マシュマロ見習いが感想を語る企画)に応募してくださりましたよね!

書き込みタイプの感想を初めて送らせていただきましたが、あれはどういったきっかけで送ってくださったのですか? また、実際に感想を受け取ってみていかがでしたか?

od:オリジナル小説はなかなか読まれる機会がなく感想も頂いたことがなかったので、企画を知った瞬間「これだ!!!」と思い即応募せて頂きました。ちなみに100件感想も別作品で応募し感想を頂きました。
他者の目を通して自作をフィードバックする機会は、やはり多ければ多いほど良いと私は思います。

もらった感想としては、めちゃくちゃ嬉しかったです!まさか書き込み感想だとは思っていなかったので、それだけでテンション爆上がりでした。

実際に頂いて気が付いたことですが、書き込み感想には利点が沢山ありますね。ポイントでフィードバックしやすいこと、読み手の感情が伝わりやすいことなどです。頂いた感想をもとに改めて読み直すと客観視できて、書き手として発見が沢山ありました。わからなかった自分の作風の、糸口が少し見えたような気がします。
あと、浮気男がしゃべるたび「こいつーーーーーーー(怒)」に何回も笑いましたw

見習い:記事本文は作品を最後まで読んでの感想なので全体の印象や文章の書き方についても触れられますが、書き込みは実際に読み進めながら書いているのでついつい感情移入しまくっているのが漏れちゃいますね笑。
喜んでいただけて本当に嬉しいです!

あの作品は先の書き方の試行錯誤の中だといつ頃完成したものなのでしょうか?

od:先日の一次創作作品は書き始めて1年数か月経った時のもので、本文を書く前に「テーマ決め」して「それが実現できるように頭の中で大体の展開を決めておく」創作方法が定着している頃の作品です。

ただ、あの作品はその創作方法では書いていません。明確なテーマを決めないまま、ぼんやりとしたシーン展開のイメージがあるだけで書き始めました。

というのも、あの作品は意識的に「短時間」「軽い気持ち」で書いたものだからです。数週間かけて力んで書いた作品が多くの人に読まれず落ち込んだ経験がそれまでにあったので、読まれないことが当たり前の一次創作作品は、半日~2日間だけで書き上げてしまおう、書くことを純粋に楽しもう、と。(その代わり、キャラクターの作り上げは入念に終わらせておくことを意識していました)それでも、結果的にあの作品はかなり気に入ったものになりました。

その要因は、私が持っていた一つの考えを再認識し、それを自分なりに表現できたと思うからです。
その考えは、「例え今は人の道から外れていても、それを自身が批判的にみることができていれば、いつかは自分が納得できる道に進めるのではないか」ということです。それまでになんとなく思っていたことなのですが、作品を書き上げた後に、そういう考えを持っていたことをはっきりと認識できました。

上記の作品で具体的に言うと、主人公であるカヨは以前から複数人を相手に不倫している女の子ですが、それに溺れているわけではなくて、そういうことをしてしまう自分を客観的に見ようとしています。なぜしてしまうのか、なぜしたいと思うのかを考え、虚しさや孤独からも目を逸らしていません。カヨがそういう姿勢を持ち続けていれば、いずれ自分自身で打破できると思っています。

今、そう振り返ってみて思ったのですが、テーマって小説を書く前に設定しなくても意外といいのかもしれないです笑
作者の中にある、作品の軸になるような考えを、はっきりと認識できている方が大切かもしれません。

私が小説を書き始めた年齢は早くないですが、それまでの経験を通して考えてきたことを作品に活かし、その考えを深めることができるのだと思えば、年齢を重ねてからでも小説を書くことにも意義を感じています。

見習い:odさんは何度もやり方を試行錯誤しておられますが、どういった時に自分の成長を感じますか?

成長の手応えを感じるタイミング

od:頭の中でイメージしたことを文章で表現することに抵抗がなくなったのは、私の場合書き始めて1年弱、おそらく30~40万字程度を書いた頃です。ただ、今でも書きづらいなぁ難しいなぁと思う瞬間はあるので、これは字数を重ねていくしかないですね。書けば書くほど書きやすくなる、という話は本当にそうだと思います。

私は作品を書いている時の感覚を大切にしており、違和感を改善点として認識しているのですが、自分で成長の手応えを感じる時は、以前感じていた違和感が無くなっていることに気づく時です。成長の手応えを感じるためにも、違和感を常にできるだけクリアに認識できるといいです。

ちなみに、私は毎作毎作、執筆中~完成直後は「これは…、今まで書いた中で一番良い作品では…?」と思ってしまいます。
それはほぼ錯覚ですが、その錯覚を引き起こしているのは、毎作何かしら小さな成長を感じているからだと思います。次の作品が過去最高傑作だ、と自分に刷り込ませることができれば、書き続けるモチベーションもなかなか下がりません

自分で感じられる技術面の成長に対して、周囲から得られる量的な評価は、私の場合はほとんど比例しないですね。

今までで一番多くの評価(コメントや感想の数と熱量、ブクマ率の総合から)を貰った作品は、今から一年以上前に書いたものです。自分では読み返せないほど技術的にはかなり未熟で、視点もころころ変わってしまうような、今と比べるとかなり読みづらい作品です。

それでも評価が高かったのは、その時に自分が書きたかったものと、ジャンルにその時いた読者さんの読みたいものがピッタリ合致した結果だと思います。
裏を返せば、さほど技術が高くなくても、多くの人の感情は動かせるということですね。技術より熱意の方がまず大事な気がします。

技術面の成長を周囲からの評価で実感したのは、「読みやすい」という言葉を頂いた時や、描写したかったことがきちんと伝わっていた時です。
読みやすさや分かりやすさ、表現力は自分ではなかなか客観的に判断できないので、とても嬉しかったです。

見習い:「読みやすい文章」とはどうすれば書けるのでしょうか?

読みやすい文章とは

od:まずスタンスとして、私は「文章を書くことは自己表現ではなくサービス」を心がけています。読む人のことを常に考えて書く。難しいですが、これを忘れないようにしたいです。

あとは、格好つけないようにしています。自分に自信がない時に陥りがちですが、「読んだ人に凄いと思われたい」「褒められたい」という書き手の欲求が強いと、それは文章を読んだ時になんとなく匂います。小説でも、そういう匂いがつかないようにしたいです。

そういうスタンスで技術面を伸ばしていくと、自然と読みやすい文章(小説)になっていくのかなと思います。その他に具体的に気を付けていることは、素直に書く、自分の引き出しにない単語や表現は使わないこと等です。

また、自分で読み返した時に「なんか読みにくいな」「しっくりこないな」と思った場合、書きたい事柄に対して書き手の咀嚼が足りないことが主な原因だと思っています。

そういう時には一度立ち止まって、ここでは何を表現したいんだろう、伝えたいことはなんだろう?と自問自答してみます。それをしながら自分の考えを整理し、鮮明にしていきます。

文章を書くことに抵抗が無くなった段階からは、ひたすらその繰り返しで研いでいくしかないように思います。
それは小説全体のテーマにも、構成にも、文章の細部に至るまで当てはまりそうです。小説以外でもそうだと思います。

見習い:何事も初心者の場合、そもそも自分が直面している「壁」が分からないことがあると思います。いわゆる「分からないことが分からない」状態ですね。odさんの場合はどのようにして自分の改善点を見つけていますか?

壁を壁と認識すること

od:まず、書いている時に自分が持つ違和感から、目を逸らさないようにしています。例えば、R18シーンを書いていて、「なんかつまらなくなってきた」とか「あまりドキドキしないなぁ、楽しくないなぁ」と、思ったほど筆が乗らなくなったことがありました。それを「まぁいいか」で済まさずに、自分が楽しく書けるにはどうしたらいいかを書きながら探りました

というのも私にとって小説を書くことは、基本的には自分が楽しむことが目的だからです。書いていてたまに訪れる、「あーーーめちゃくちゃ楽しい!!」と思える瞬間を大事にしています。自分が書いていてつまらないなぁと思う作品は、きっと誰が読んでもつまらないですよね。執筆中のつまらない時間をできるだけ減らし、良い!と思える瞬間を増やしたいんです。

それが足りないところの認識につながっているかもしれません。自分が書いていて違和感を覚えるところは、もうすぐ克服できる所だと思っています。今の自分のレベルで克服できないことは、きっと違和感を覚えることすらできません。それを積み重ねていくと、感度も高くなっていきます。違和感はひとつ克服したらまた別の違和感が出てくるので尽きることはありませんが、違和感を潰すごとに良くなっていく感じはあります。

見習い:そんなodさんが「今直面している壁」はありますか?

今直面している壁

od:これから自分でどう乗り越えていけばいいんだろう?という「壁」は、やはり読者さんをどう掴むか、ということですかね…。

1年半、同じジャンルで50作弱の作品を出して、感想も頂きましたし、数名のコアな読者さんが付いて下さったと思っているのですが、私の書くものも読者さんも流動的なものだと認識しているので、今後の不安もあります。もっと定期的に頻繁に作品を出せると、読者さんの数を増やせて有効だと思いますが、作品ひとつひとつの質を高めたい時には中々できません。

自分なりに小説の質を高めていけば、自分の読者さんをも喜ばせることができる、とは意外とならないように思えて、もどかしいです。
ただ、私は鑑賞者としては、作家さんが自分と向き合って質を高め続けてきたんだろうなと思わせられる作品に感動するので、その感覚を信じて今はやっています。

私は、技術面の他にも、書く前にテーマを決める創作方法に変えた頃から「自分が何を書くか」「自分なりの視点」という面を意識してきました。

見習い:「純化の壁」ですね!

od:その純化の壁を登りはじめた時、量的評価は比例しなくなりました。書くことが狭くなった証拠かもしれません。ふさわしいフィールドで読者に刺さる内容と技術があれば、比例するような気もするので反比例とまでは言いませんが。

純化面の成長を周囲から実感したのは、量ではなく感想やコメントの内容です。
例えば、読者さんの好みの幅が広がったり、私が持った疑問に作品を通じて共感してもらったりしたことが知れた時です。読者さんの視野が広がることが、自分が書く意義を一番感じられるものかもしれません。

私はこの純化の壁を意識して書いていて、成長の自覚も多少あるのですが、特に最近は、それを客観的に実感できる機会はなかなかないですね。純化の方向性が独りよがりなのかもしれません。

見習い:「文章は自己表現ではなくサービス」と語るodさんですが、読者の方にはどのようなことを伝えたいと思って書いておられますか?

読者に伝えたいこと

od:うまく言語化できないですね。難しいです。
ただ、「生きててもいいな」が伝わってるといいですね。人間が持つある種のさみしさに寄り添えるような。そのような小説に、私が今まで沢山救われてきたからです。

……伝える…。そうですね、作品で伝える、は私にとっては少しニュアンスが違うかもしれません。
私は小説(創作物)の、二歩三歩引いた感じが好きなんですね。こういう視点もあるよ。読んだあなたはどう思う?みたいな。

作者の言いたいことを詰めたボールを読者に渡すのではなくて、伝えたいことを沈ませた湖をつくって、じゃあ後はどうぞご自由に…みたいな感じでしょうか。

作者の伝えたいことは目に見えていなくて、受け手によって見え方が違う。ただ、作品から受け手それぞれが感じるものは、なんとなく共通している。そのなんとなく共通していることが、「生きててもいいな」だと私の理想です。

見習い:では、「おもしろさ」についてはどのように考えておられますか?

「おもしろさ」とは

od:うーん、難しいです。おもしろいと個人的に思う小説、でまず考えてみます。キーワードは「感情」「驚き」でしょうか。

私は基本的に文章を読むこと自体はさほど好きではないのですが、ではなぜ小説が読みたくなるかというと、感情を揺さぶられたいからです。心を揺さぶる娯楽という認識です。感情を波に例えると、作品を読んで高低に差が出たり、波長に緩急がついたり、波形が複雑になったりすると、おもしろい小説だと感じます。

驚きも感情の一種ではありますが、これは先程よりもマクロに「作り手なりの視点」に対してです。作家性というのでしょうか。「そういうアイディアがあったか!」と太ももをパンっと叩きたくなるような独創性とか、そういうものもあるでしょうか。いや、小説に独創性というものはあるんですかね?勉強不足ゆえ、まだ分からないです。

そう考えると、私にとって小説のおもしろさは、作家なりの視点と感情の揺さぶり方、にあるということになるのでしょうか。

ちなみに、「読者を感動させる」という意図で作品を作ればいいのかというと、そうではないように思います。そのような作為を作品から感じてしまうと、私の場合は冷めてしまいます。

作り手が題材や技術に誠実に向き合ったことで宿る、作品から滲み出る清廉さのようなものを感じ取れた上で、私は深く感動を覚えます。
ということで、おもしろさが何に宿るかというと、作り手の誠実さ、ですかね。

これから創作をする人へ

od:当初の動機「他者との関わり」が増えたこと以外で、私が小説を書き始めて良かったと思う点を挙げておきます。「趣味が一つ増えた」「自分自身と向き合う機会が増えた」「読書の楽しみが深まった」です。

見習い:自分自身と向き合う機会というのは一見どこでもできそうで、実に体力気力が必要ですので、否応なくそれをさせられる趣味というのはとても素敵ですね……!

スキルアップのために

od:意外とスキルアップに役立つなと思っていることが2点あります……

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