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論理と感覚の共存

論理的・感覚的という言葉を耳にすると、自分はどっちだろうとか、どっちの方が良いのかな?って考えてしまうことありませんか?

就活中の今、自分を振り返る機会も多く、なおかつコロナの影響による自粛期間中でいつも以上に考え事をする時間も増え、「なんとなく生き辛い気がするのはどうしてだろう?」というモヤモヤした疑問が沸いてきました。普段からちょくちょくこの疑問を感じてはいましたが、それに向き合ってこなかったので、この機会に自分なりの答えを探してみます。
論理的思考が求められる中でそれに応えられないことが、生き辛さの正体だと感じました。
「論理的と感覚的」について記事にします。

はじめに言っておきます。私は論理的思考が苦手だし、考えを言語化するのも苦手です。だからこの記事を書いている今も、府に落ちる言葉を探すのに必死です、、、拙い表現ですが温かく見守って頂けると幸いです。

錯覚から覚めるまで
高校2年生の頃、文理選択で理系の道を選びました。理由は国語の成績が異常に悪かったのと、理系科目はやってて楽しかったし苦ではなかったから!
(どれほど国語ができないかというと、担任の先生に「あなた国語の成績悪すぎて帰国子女だと思ってた!違ったの?!」と言われるくらい笑)
理系のクラスに行くと、"論理的思考が得意な人の集まり"というレッテルを張られました。事あるごとにそう言われるもんだから、なんとなく私も論理的思考の持ち主なんだーと錯覚し始めます。

そんな錯覚から目覚めたのは、高校3年生の受験期でした。地理、日本史、政治・経済の中から社会の選択科目を決める際、私は地理を選択しました。その頃、政経には興味が持てず、日本史は覚える量がえげつない、地理は昔から好きだったからですね。そして先生の言葉が王手をかけました。「地理は論理的に考える科目だから、理系の君たちにはもってこいの科目。絶対に高得点が狙える!」
しかし、勉強してもしても点数は伸びません。結果センター試験では2年間地理に泣かされました笑 
(浪人してたので!)
そこでまず、私は論理的思考が得意ではないんだなと気付きました。

色々苦難はありましたが、1年浪人して無事大学に入学できました。進学先は薬学部、理系です。

ビビッという感覚
話は少しそれますが、私は中高一貫校だったので中学受験と大学受験を経験しているわけですが、どちらも志望校は感覚で決めました。文化祭やオープンキャンパスに行き、ビビッとくるかどうか。ほんとに電気が走るようにビビッとくるんです笑
どうしてその学校がいいの?と聞かれても理由なんて特にないです。あるとすればビビッときたから。完全に直感。

人を好きになるのもそうです。何でこの人といるの?どこが好きなの?って聞かれても困っちゃいます笑 そんな時決まって「好きだから、一緒にいたいから一緒にいるんだよ!」って答えてしまいます笑

論理的思考が求められる環境
私の大学は、薬学部だけ一つのキャンパスなので周りは皆理系です。ロジカルな会話が飛び交うことは多々あります。特に理由もなく「それって~だよね!」とか言うと「なんで?理にかなってなくない?」と問い詰められることも、、、
研究室に入ると、教授の口癖は「ロジカルに話せ!」でした。たしかに研究者にとってロジカルに物事を考えることは当たり前で、求められて当然のスキルです。しかし私にとっては難しい、、、
そして就活をしている今も、ESや面接でロジカルに話せないと受け入れてもらえないんだな、と痛感する日々です。ESや面接では色々な事を聞かれますよね。例えば、志望動機は?から始まり、学生時代に取り組んだこと・趣味の話・挫折の経験・将来のイメージ、、、いっぱいあります。けど一貫性がないと「え?支離滅裂じゃない?」となるのがオチです。
ここで言わせて下さい!
「そうなんです。なんとなく好きだからやってみる、ワクワクするからやってみるって感覚的に、その場の感情に従って人生進めた来た人は、後から振り返ると支離滅裂になることが多いです。」

けど、会社からしたら論理的に物事を進め分かりやすく説明できる力を求めますよね。私も採用側ならそうですもん笑

感覚と言語化
"感覚的"なのと"言語化が苦手"、この2つに相関関係があるのかは知りません。感覚で捉えたことを上手く言葉にできる人いっぱいいますから!ただ、個人的に感覚派の方が言語化を苦手とする傾向が強い気がします。どうだろう?

例えば友人と映画を観た後に意見交換会をするとします。こういう時、すぐに意見をまとめて討論するのに苦労する事が多いです。言語化に時間がかかるだけで、観た映画に対して感想がないわけではないですよ!私の場合、文字にすると50字くらいのものが、四角とか丸っこいとかフワフワした感じとか"形や色、○○っぽい"と抽象的に頭に残るんです。しかも、1つの四角だけとかなら良いですけど、様々な形や色が複合するから余計に言葉で表すのが大変なんです。自分の中だけで消化する分にはそれでも良いんですけど、人に伝えるためにその"形"を言葉にするのが難しい、、、

バカなのか?自信喪失
私は中高は都内の進学校に通い、大学も頑張って目指していた学校に入学しました。慶應の薬学部に通っている、と言うと周りから「あら、頭がいいのね優秀ね!」と言われます。そして「将来安泰だね!」と。
けどここまで話してお気付きのように、私はたぶんバカです。感覚で決断しちゃうし、言語化も苦手。言葉にできないと何も考えてない奴と誤解され、頭悪そうな話し方だと言われたこともあります笑
受験勉強というのは、その学校が設けた合格点に達するかどうかで合否が決まります。だから与えられた科目をひたすら勉強すればどうにかなりやすいんです。幸いにも私は目の前にあることをコツコツ努力する才能はあると自負しているので、今の大学に通えているんだと思います。
しかし、就活となると話は変わってきます。この会社に入りたい!といくら願って努力してもマッチングしなければ採用されません。同じベクトルを向いているか、その子が社風に合うかどうかなど、面接を重ねる毎に細かい部分を見られ、マッチングした人が採られます。

私は就活でもビビッときた会社を受けました。当たり前ですけど、私がビビッときたからといって会社とマッチングするとは限らないんですね。お祈りメールがくると、私自身を否定された感じがしてしまい、わりとしょげます笑
正直これまで挫折の経験はないし、感覚的に楽しいと思うことをやってきて後悔することもない、人生楽しいなと楽観的でした。しかし、就活で一気に自信喪失です。将来のビジョンも見えなくなり、周りの人が普通にできる事ができない自分が嫌いになり、軽いうつ病と診断されるまで落ち込みました笑

感覚と理論の関係
では、先ほどから何度も出てきている"感覚"と"論理"の関係について考えてみます。

音楽をやっている人なら分かると思いますが、音階は論理的に全音半音の順番が決まっていますよね。でも弾く時にいちいち"ここは全音、次は半音"と考える人少ないんじゃないでしょうか。私自身、幼稚園に入る前からピアノを習い、5歳からバイオリンをやっています。先生から一生懸命音階のロジックを説明してもらいましたが、感覚的に次は半音だなーくらいで弾いていたので、そのロジックをあまり理解してなかったと思います。ただ、この自粛期間中に10年ぶりにバイオリンを弾いてみたら、どのコードの音階も完璧に弾けました!幼い頃に身に付けた感覚は忘れていなかったみたいです!

色彩の話をすると、皆さん一度は色相環を目にしたことがあると思います。いくつもの色が輪っか状に配色されているやつです。あの配色を覚えていなくても何となく補色(反対色)って分かりませんか?赤←→緑、紫←→黄みたいな! 
こう考えると誰にでも"感覚"は備わっているんです。
普通に生活をする分にはその感覚で不自由ないですが、それらを専門にするとなると、やはりロジックは必要になってくると思います。
つまり私が思うに、論理的と感覚的は両者で補っています。感覚的に理解できない部分は、論理的な説明を受けて納得します。すると人は安心して物事を進めることができます。一方、理論で理解できない部分は、自分なりの感覚で把握すると物事を進められます。どちらが得意かは人それぞれで、どっちが得意でも素敵なんです!

論理的じゃなくてもいいんじゃない?!
落ち込んだ状況から這い上がりたくて、頭の中を整理しながらこの記事を書いたのかもしれません。そして今の私が導き出した答えは、"論理的思考が正義、感覚で選ぶはバカなんてことはなく、論理的も感覚的も大事。皆がどっちの要素も持っていて、どっちかが強めなだけ。"でした。
しっかりと自分を見つめ、感覚的な部分(私にとってコンプレックスでした)も個性として受け入れるのも良いかなという、若干正当化した結論でこのモヤモヤを解消することとします!

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