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佐々木まなび『雨を、読む。』

☆mediopos-2356  2021.4.29

水は
いのちの
エーテル

天と地を
めぐり
いのちを育む

天のアメとアマ
それが雨となって
地へと降り
大地を潤し
やがて海原をつくり
また天へとかえっていく

海から生まれ
海へと沈む
太陽の神様は
アメとアマを
あまねく司り

水の神
龍神さまは
大地をめぐる河となり
いのちをめぐむ

いのちは
どこから生まれたのか
海からはじまったともいわれ
天から降ったともいわれる

天と海をつなぎ
自然界を育む
いのちという
水のエーテル

「雨」という言葉
そしてその音からひろがっていく
日本語ならではの感覚は
四季それぞれに
うつろう時のなかで物語を紡ぎながら
私たち日本人の心を彩っていく

■佐々木まなび『雨を、読む。』
 (芸術新聞社 2021.5)

(「神さまにたとえられた雨」より)

「あたりまえの「雨」と呼んではいるけれど
 そもそもなぜ「アメ」なんだろう。
 昔からある言葉を拾っていくと、見えてくるものがある。
 「天」から「アマ」へ。
 やはり、神様がおられるのだ。」

「龍神さまが
 日本の至るところに
 お祀りされているのを、
 ご存じだろうか。
 作物を豊かにする
 「恵みの雨」がもたらすのは
 龍神さまのおかげだと信じ、
 水を司る神様を我が物にしようと、
 人々はたびたび
 争いごとを起こしてきた。
 それを鎮めるのも、
 また応援するのも、。
 神様になってしまったには
 いつからなのだろう。
 神様も忙しい。

 池の中にある祠をはじめ、
 水に囲まれた神社には必ずといっていいほど、
 弁天さまが祀られている。
 そしてその横には、
 弁天さまのお遣いともいわれる、
 龍神さまがおられるのだ、
 私のまわりには
 「小さい頃、龍を見た!」という人が何人かいる。
 亡き母もそういっていた。
 その姿は、色も大きさも様々。
 残念ながら私は出会ったことがないのだが、
 その人たちは嘘をついているようには
 とても思えなかった。
 不思議だったのは、
 話をする彼らはみな、
 とても豊かな表情をしていたことだ。」

(「天の水」〜「気になるアメとアマ」より)

「気になる・・・・・・。
 「天」や「雨」を
 「アマ」と読んだり、「アメ」と読んだり。
 どちらが正しいのか、古いのか。
 古事記に出てくる「天」には
 「アメ」と「アマ」のどちらにもあてられている。
 「手の届かない遙か上空のことを「天(アメ)」。
 その天から落ちてくる水が「アメノミズ」。
 高天原におられる神様の名前は、
 「天御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」と呼ばれていた。
 〝大和言葉〟には「コトバ」としての使い分けはあるが、
 漢字自体を使い分ける概念がなかったのだ。
 のちに「雨」という象りから創られた漢字になったのだという。
 のちに「雨」という漢字は、説文解字によると、雲から水が落ちてくるという意味で、
 「一」の部分は天を、「 冂」は雲を象ったものだとされている。
 しかし、これでたくさんのコトバを生み出した「アメとアマ」
 神様の名前や、命の物語は、解決したのだろうか・・・…。」

「気になる・・・・・・。
 「アマ」の奥行きが深くて、つながらない。
 古事記の「高天原」は、高い天空の、ハラ(命を生み出す腹)。
 つまり、はるか上空より、更に高いところに、
 「命の生まれる場所」があると信じられていた。
 「生命の誕生は海から始まった」といわれているが。
 海には「アマ」と呼ばれる浄土〝海女、海人〟が存在する。
 「海人」は天も海も、命の源としては同じなのか……。
 そして、このはるか遠い距離を繋ぐものは「水」だと気づく。
 雲、雨、海、霧……「乾元(けんげん)」という言葉が浮かぶ。
 「アマ」の「間(ま)」の発音には、感覚上の空間〝見えない存在〟が含まれ、
 「天照大御神」「天宇受売(あめのうずめ)」のように「アマ」のつく、
 日本独自の神様の名前となる。
 太陽が海から昇り、海に沈む、
 太陽の見えない時間の裏側の闇も含めたすべてを指す、
 「アマネク」自然界そのもの、
 永遠に繰り返される命の循環を、今も表している。」

 (乾元)
 「雨の異称。空のこと。「乾」は天を指し、「乾元」は天の道を表す。二文字で自然界万物のめぐりのことをいうが、これらが滞ると生命は存在しなくなるのだろう。命の源の「水」は、水蒸気が空に昇り雲に、それが雨となった大地に落ち、海に注がれ、また雲に昇ることが繰り返されている。大きな水の循環のこと。」

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