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トーマス・レイネルセン・ベルグ『地図の進化史−人類はいかにして世界を描いてきたか? 』/東辻 賢治郎「地図とその分身たち❾鳥」 (群像)

☆mediopos2778  2022.6.26

地図を描くという視点は
地上を上から見るものであり
実際に見えてはいないとしても
その視点で多くの地図は描かれる

地上を見て描く場合
高い所から見下ろせば
見える範囲の地図は描けるが
それが世界ということになると
それなりの高さが必要になる

鳥瞰図という鳥の目線の名のついた言葉があるが
空から地上を見るという点では
翼をもって空を飛翔できる鳥が
象徴としても使われることは理解しやすい

「最古の世界地図」と呼ばれている
紀元前六世紀ごろのバニロニアの粘土板には
大地の不在の徴としての飛ぶ鳥が記されているという

古代において鳥は死者の霊魂を運ぶものとされ
またノアのハトなどのような役割をもって描かれてもいたように
鳥と大地の関係は地図と人間の関係と深く関わってきたようだ

プラトンの『パイドン』には
ソクラテスが地球の上から
地上を見ている様子が描かれているから
それで地図は描いてはいないとしても
体を離れた状態で地上を離れ
地球をまるごと外から見ることができていたことになる

それはともかくとして
ノルウェーの作家トーマス・レイネルセン・ベルグの
『地図の進化史/人類はいかにして世界を描いてきたか? 』は
古代地図からグーグルマップまでの歴史が紹介され
地図がどのような背景でつくられ使われてきたかなど
「地図」をめぐる興味深い話を読むことができる

そういえば地図といえば
モルワイデ図法・メルカトル図法・正距方位図法など
地図を描くさまざまな図法のことを思い出す
丸い地球を平面で表現しようとするとき
どうしてもひずみがでてしまうので
必要に応じさまざまな図法が考案されたのだ

1570年にオルテリウスによって
世界初の近代的な地図帳が出版された時代から400年以上経ち
現代ではナビゲーションシステムやグーグルマップのように
地上を上からみた世界各地の地図が
日々だれにでも活用できるものとなっている

これから400年後の地図がどうなっているのか
ちょっと想像しがたいところがあるが
ひょっとすればずっと後の時代において
世界の多次元性が常識のようになっていたとして
次元ごとの地図や次元間移動のためのナヴィゲーションなど
さまざまな地図のシステムができているかもしれない
そんなことを夢想してみる

その際にも古代において鳥が象徴的に描かれていたように
ひょっとしたら生の次元と死の次元を導くものとして
あらためて鳥のシンボルが使われることになるのかもしれない

■トーマス・レイネルセン・ベルグ (中村冬美 訳)
 『地図の進化史/人類はいかにして世界を描いてきたか? 』
 (青土社 2022/3)
■東辻 賢治郎「地図とその分身たち❾鳥」
 (群像 2022年 07 月号/講談社 2022/6 所収)

(東辻 賢治郎「地図とその分身たち❾鳥」 より)

「「最古の世界地図」と呼ばれている紀元前六世紀ごろのバニロニアの粘土板————その記述にもとづく古代バビロニア的世界像の復元————によれば、世界の中心には海に囲まれたバビロンがあり、海の彼方にはそれぞれの方角に七つの島があった。真西近くにある第三の島は「翼のある鳥が飛ぶことをやめない」場所、すなわち鳥もまた到達できない地であると書かれていた。飛ぶ鳥とは大地の不在の徴であり、同時に目に見えない大地の存在の徴でもあった。鳥たちのはたらきは未知の場所について、あるいは何らかの先に到来するものについて伝えることだった。ノアのハト、オーディンのワタリガラス、吉報であろうが凶兆であろうが報せをもたらす鳥たちの挿話は枚挙に暇がない。

(・・・)

 中世イスラム世界には大地を鳥の形象として理解する世界像があった。紀元九世紀ごろの歴史家イブン・アブド・アルハカムには鳥の頭が中国、右の翼がインド、左の翼が北コーカサス地方、尾が北アフリカにあたるという記述がある。実際に十世紀以降にアラブで描かれた「世界図」を見ると、そこには南を上にした円形の世界の中でアラビア半島を頭、アジアとアフリカを左右の翼、ヨーロッパを尾にもつ巨大な鳥としての大陸の姿がある。なぜ鳥なのかは解釈に委ねられている。そこでは形象の力によって見上げられるものと見下ろされるものが、つまり遠いものと近いものが結ばれている。それは鳥によって見出される世界ではない。鳥こそが世界なのだ。」

「鳥を見上げる人びとは、鳥は大地を見下ろしていると信じていた。それゆえに、さまざまな言語には鳥瞰、すなわち鳥の目に映ったものという言葉がある。しかしあのガラス玉のような、あるいはただの黒い点のような鳥の目を見上げて(バーズアイといえば細かな点の連続する模様のことだ)、そこに自分たちの世界が映しだされていると信じることは、そう信じること以外には根拠のない不合理でしかない。目の前にいる者の瞳の中に自らの姿を探し、相手の姿もまた自らの眼に映し出されていると信じること、それがありうべきことであり、しかも至福なのだと信じること。鳥の目が媒介していたのも、おそらくは信仰や愛と呼ばれるおなじみの虚構に数えるべきなのだろう。

 私たちに関心をもたない鳥は、それゆえにモダニズムの詩人や芸術家の特権的な対象にもなりえた。近代の大都市はハトやスズメやカラスやカモメといった、大航海時代の探検家が「発見」するオウムやインコやゴクラクチョウとは対極的な、いわば没個性的な鳥類に執着する————あるいは執着されている。前者は地図に記されることもないが、後者はむしろその背景として地図に描かれさえする。それは、たとえば鳥がしばしばモチーフとして出現するウォレス。スティーヴンズの詩業の代表作とされる「日曜日の朝」の緑のオウム(あるいはインコ)に、その他の「鳥」とは明らかに異なる地位が与えられていることともどこかで通じている。しかしそれがいかなる鳥であれ、たとえば鳥と目を合わせたと信じるときに、あるいは地図に何かを幻視するときに、私たちが天球儀に手を伸ばすようにして鳥の目の内側から私たち自身に触れようとしていることを思い出している。」

(トーマス・レイネルセン・ベルグ『地図の進化史』〜「訳者あとがき」より)

「本書は古代地図からグーグルマップまでの発展を描いた、地図にまつわる歴史の本です。多くの美しい地図が載っており、ページをめくり地図を眺めるだけでも楽しめます。地図ごとに描かれた背景と作製者の逸話が紹介されていて、地図とはどれほど通称、文化、宗教、領土の拡張、戦争、それに近代からは広告と結びついていて、明確な目的があって作製されているかがよく分かります。そのひとつひとつのストーリーが、臨場感たっぷりに書かれているので、読んでいると自分が歴史の証人になったように感じます。(・・・)
 学校の世界史で習うような、プトレマイオス、オルテリウス、メルカトル、サープ、ナンセン、クック船長など有名な人物があちらこちらに登場し、彼らの人物像や活躍について易しい言葉で書いてあるため、どうして彼らが地図や探検の世界で有名になったのかが腑に落ちます。」

(トーマス・レイネルセン・ベルグ『地図の進化史 』〜「プロローグ 世界は舞台」より)

「人は飛ぶことができるようになるずっと前から鳥瞰的に世界を見わたしていた。有史前より自分のいる場所を把握するため、上空から見ているかのように、周囲を描いていた。家や畑の岩石線画(ペトログリフ)は、人類史の早期から全体図が必要であったことを示す証拠だ。しかし現実に全世界がどうなっているのかを見ることができたのは近代になってからで、もっと詳しく言えば1968年のクリスマスだった。アポロ8号に乗って月の周囲をまわっていた三人の宇宙飛行士は、宇宙から地球を見た最初の人類になった。(・・・)

 ギリシャの女神アポロンは、毎日太陽を後ろに乗せて、天空を馬車で駆けている。アポロ8号が月を周回する約400年前の1570年、フラマン人のアブラハム・オルテリウスが世界初の近代的な地図帳を出版した時、ひとりの友人が賛辞の詩を贈っている。詩の中でオルテリウスはアポロンの馬車に乗り、世界中を見下ろしている。

 「光り輝くアポロンが馬車で天空を天翔る時、オルテリウスはその横に乗り、彼らの周りの国々と動物たちとを見下ろす」

 オルテリウスの地図帳は一枚の世界地図から始まる。この地図では雲がカーテンのように左右に寄せられていて、世界の全体像が見えている。本を開けば私たちの前にNorugia(ノルウェー)、Barbaria(ベルゲン)、Suedia(スウェーデン)、Aegyptue(エジプト)、Mar di India(インド)、Marnicongo(コンゴ王国)、Iapan(日本)、Brasil(ブラジル)、Chile(チリ)、それにNoua Francia(ヌーベルフランス)が現れる。オルテリウスはこの地図帳を————世界の舞台と名付けた。この中に収録された地図は、私たちの目にちょうど舞台のように映るとオルテリウスが思ったからだ。

 この世界を舞台と見なすことは、オルテリウスの時代には一般的だった。『Theatrum(世界の舞台)』が出版された翌年、イギリスの劇作家リチャード・エドワーズは、ある登場人物に、「この世界は一つの舞台だ。そこで多くの人が自分の役を演じている」と言わせている。このフレーズをウィリアム・シャークスピアは気に入り、喜劇「お気に召すまま」で引用している。「全世界は一つの舞台だ。そしてすべての人間は男も女も役者にすぎない。めいめい出があり、引っ込みがある」と。またシェークスピアは、自分の劇場を地球座ろ名付けている(The Globe-)。」

(トーマス・レイネルセン・ベルグ『地図の進化史 』〜「最初の世界観」より)

「シュメール人とバビロニア人。これまでに発見された中で世界最古の地図では、世界の中心はバビロンである。この地図は2600年前の粘土板で、今日のバグダッドの南西部にあった。バビロニアの古代都市シッパルから発掘さされた。この粘土は12.5×8センチメートルであまり大きくはなく、初めは出土品の中から1881年に大英博物館に送られた70000点の粘土板の中でも、特に注目を浴びたわけではなかった。現在では博物館でもかなり目立つ場所に、『バビロニアの世界地図』という表示とともに展示されている。

 この地図は大きな輪の中に小さな輪があるといった構図だ。内側の輪の中にはいくつもの小さな輪、長い直線と曲線があり、外側の輪の周りを8つの三角形が取り囲む。裏側にある古代文字が解読されて初めて、この粘土板は地図だと理解された、

 この地図によれば外側の輪は「塩の海」、人の住む世界を取り囲む大海を表している。内側の輪の名かにあり、上部から始まって中央を通る長い二本線はユーフラテス川だ。・・・」

(トーマス・レイネルセン・ベルグ『地図の進化史 』〜「デジタルな世界」より)

「この世界は、人々の営みが絶えず上演されている舞台だ。オルテリウスは自分の時代の地図について「これまでに何が行われ、どこで行われたのかを、今目の前で起きた出来事を見ているかのように表現している」と記している。それはユーザーに伝える交通情報を、ほとんどリアルタイムで更新し続けるデジタル地図の時代を予言しているかのようにさえ聞こえる。彼の作品は30年間通用した。やがて、家々が建築されては解体され、土砂崩れが発生し、河川が氾濫し、多くの人々がアレクサンドリアの散歩道をそぞろ歩き、船がインドネシアへと航行し、飛行機がアメリカ大陸を横断する、そういった瞬間を絶えず反映する地図が作製できるようになる————常に全世界の現状を地図上で「現在進行形」で見られるようになるのだ。技術の点から言えば、こういった地図が現れるのも、そう遠い話ではない。今日でさえデジタル地図は、4枚の衛星画像によって毎日更新できるのだから。確実に言えるのは、プトレマイオスやメルカトルやオルテリウスにとって携帯電話が見たこともない不思議な機器であったように、私たちにとって未来の地図は想像もつかないような形をしているということだ。そして現在の途方もない情報量の地図も、400年後の人々の目には『Theatrum orbis terrarum(世界の舞台)』と同じように、単純な地図に見えるに違いない。」

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