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吉井 仁実『〈問い〉から始めるアート思考』

☆mediopos-2588  2021.12.17

さまざまなジャンルでしばしば使われる
「アーティスト」とか「作品」という言葉は
「私が」「私が作った」という主張が
あまりに付着しすぎていることが多く
どこか好きにはなれないことがあるけれど

本書で繰り返し繰り返し言及されるように

「アート」も
「アート思考」も
「問い」であり

「アート思考」は
「「問い」を感じ取って自分なりに
新しいものの見方や感じ方を
身に付けて答えを探し出す力」であって

「アーティストは見えないものを
見えるようにするような役割を」担ってきた

という基本的なところは
あらためて認識される必要がある

観る者が「問い」へと導かれることで
認識が変えられたり
また深められたりしないような芸術は
どんなジャンルにおいても
芸術としての意味があるとはいえないからだ

とはいえ「作品」としての「アート」には
さまざまな世俗性が付着しすぎていて
(「作品」の権威づけや売買もそのひとつだが)

しかもそれが公に公開されることそのものが
ある種の内的な思索としての「問い」よりも
社会的な場での「私の」主張へと
偏る向きがあることは否めない

もちろんどんな芸術的な営為も
社会性を帯びることそのものが
純粋な問いであることと多分に矛盾してしまう
(本書ではその「社会性」のポジティブさが
 ずいぶんと強調されている)

そしてその矛盾のなかで
「私が」「私が作った」が
鬼子のように現れてしまい
「アーティスト」や「作品」が
「問い」よりも「権威」として実体化されてしまう

その意味では本書のタイトル
『〈問い〉から始めるアート思考』は
「〈問い〉から始める」ではなく
(「から」だけだと
 他の目的の「ため」になってしまうから)

「〈問い〉から始まり
 〈問い〉へと導かれるアート思考」
「〈問い〉そのものとしてのアート思考」
といったタイトルのほうが
「アート思考」というコンセプトを
より適切にあらわすことができるのではないだろうか

■吉井 仁実『〈問い〉から始めるアート思考』
 (光文社新書 1174 光文社 2021/12)

「「アート思考」を私なりに解釈すると次のようになります。

 ・アート思考=問う力

 現代の社会に対して「問い」を投げかけること、それが「アート思考」であると。「この既成の考え方は本当に正しいのか」「今の時代ではこのような表現もあり得るのではないか」「どうして私たちはこんな不自由を強いられるのか」などという問いを、ときにはユーモラスに、ときには洗練された手法で、ときには突拍子もないやり方で、つまり今までにない方法を用いて表現する。それがアートであり、その「問う力」が画期的であればあるほどにアートの価値が高まると私は思っています。」

「古来、アーティストは見えないものを見えるようにするような役割を社会の中で担ってきました。(…)アーティストたちは、その時代や社会の中で、見たくても見えないものを描き出してきたと言えると私は思っています。(…)アーティストたちに共通しているのは、未来についての「問い」を私たちに投げかけながら、常識を揺さぶったり、今までにない経験をさせたりするところです。」

「アートとは「問い」である。そうであれば、なぜアーティストは「問い」を鑑賞者や社会に投げかけるのでしょうか。何か必然性のようなものがあるのでしょうか。
 アーティストは誰かに頼まれたわけでもないのにみずから「問い」を作って、基本的に言葉には頼らず、それを時間と手間と労力を使って形や色、作品の強度などで伝えようとします。どうして、わざわざそんなことをするのでしょうか。芸術学の専門家や美術評論家に聞けば、さまざまな考えを教えてくれると思います。ただ、私はわりとシンプルにこう考えています。
 アーティストが「問い」を発するのは、人間の感覚と意識を拡張したいからだと。
 アーティストは、不特定の鑑賞者に今まで感じたことがないものを感じさせたいと思っています。言葉に頼らないのは、今まで覚えたことのない感覚を味わわせたいからです。アーティストの中には、その新たな感覚を通して、人々に新たな意識を生み出させようとする人もいます。人が持つ感覚を通して、今まで感じたことのない感覚を覚えさせることで、それまで頭の中にあった意識の壁を越えさせようとするのです。
 アーティストは、お金のためではなく、あるいは誰かの依頼に応えるためでもなく、人々の意識の拡張を図ろうとしまう。それはなぜか。この答えに絶対的に答えられる人はいないと思いますが、アートはそうやって人間の歴史とともに営まれてきたのだろうし、アートが人々の意識を拡張する度に人類はより自由になれたのではないかと私は思っています。」

「アートに触れる意味、あるいは意義、価値、面白さ、楽しさ、魅力があるとすれば、それは何でしょうか。私はアーティストが投げかける「問い」を感じ取ることだと思っています。
 アートシーンの最前線を走るアーティストのアート作品には、現代社会で考えるべき鋭い「問い」が必ず潜んでいます。鑑賞者はそれを非言語的に感じ取りながら、同時に今までのなかったものの見方や感じ方、意識の壁、思考の幅を拡張していくことで、自分なりに「問い」に対する答えを探していくのです。
 このようにアートに触れた経験は、その後の鑑賞者に多かれ少なかれ何らかの影響を与えます。その影響は、ときに鑑賞者の見方や発想、生き方にも及びます。それがアート作品がこの社会に存在する意味だと私は思っています。
 「アート思考」というのは、このように「問い」を感じ取って自分なりに新しいものの見方や感じ方を身に付けて答えを探し出す力なのではないかと、私は思っています。現実の社会の中で今まで見たことも聞いたこともない物事や状況に直面し、それと自分の間に生じるズレや問題は何かを感じ取り、それを「問い」として受け止め、自分の立場や仕事、あるいは生き方やスタイルの中で答えを見つけて行動していく。そのことが、社会で以前よりも強く求められるようになっているとも感じます。
 私は、アートに触れれば触れるほど「問い」を感じ取る力が身に付くと思っています。そして、この力が身に付くほど、アート以外のものからも「問い」を感じられるようになるとも思っています。また、私はアート鑑賞を繰り返して行く中で、さまざまなものごとに対する直感力のようなものも身に付けてきたと思っています。例えば、初めての人や物を見るとき、新しいビジネスを始めるとき、あるいは新たな社会現象に触れたときに、無意識に近いところで新鮮な感覚や違和感のようなものに数多く気付けるようになったと実感しています。そして、その感覚は私が仕事をする上でとても訳だってきました。」

「アートとは「問い」である。そして、「アート思考」もはやり「問い」であると思います。「問い」は、未来という新しい時代における新しい価値や考え方の提案でもあります。つまり、アートもアート思考も、「問い」を自ら作り出して多くの人に伝わるように表現することであり、その「問い」が画期的であれば、社会の「仕組み」を大きく変えるゲームチェンジの原動力になり得るのです。
 アートに限らず、時代を画した製品やサービス、出来事、社会的な事件や現象には、多くの人の心を揺さぶる「問い」があるのです。近年、ビジネスの世界では「問題解決」という言葉がよく聞かれますが、もしかしたら重要なのは「解決」ではなく、「問題」の中にある「問い」なのかもしれません。実は、イノベーションは「解決」ではなく、そんな「問い」から生み出されるものなのかもしれません。」

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