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大治朋子『人を動かすナラティブ/なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』/ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』

☆mediopos-3172  2023.7.25

「ナラティブ」とは
「物語」「語り」を意味するが

私たちは心のなかで無意識的に
ナラティブを語り続けている

大治朋子『人を動かすナラティブ』での
インタビューにあるように
養老孟司によれば
「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っている
ほとんど唯一の形式じゃないか」という

映像のコマとコマ送りのように
実際はコマでしかない出来事は
それだけでは理解できないから
ナラティブのように
物語化することで理解しようとするのである

わたしたちはナラティブに囲まれて生きているが
それがどんな力をもっているか
私たちをどのように操っているか
そのメカニズムに意識的であることは少ない

ナラティブのそうした力について
こうして調査を行い提言を行ってもいる著者でさえ
たとえば本書では「陰謀論」を
(それもまさに「ナラティブ」にほかならないのだが)
メディア一般で使われるそれとして疑いもなく理解し
その言葉そのもののもっている
「情報兵器」としての側面には目が向いていないようだ
それほどに「ナラティブ」はひとを知らず操っている

以前mediopos2934(2022.11.29)で
ジョナサン・ゴットシャル
『ストーリーが世界を滅ぼす
 ――物語があなたの脳を操作する』を
とりあげたことがあるが

ナラティブは「情報兵器」として
ひとを洗脳することにも使われるほどだ

とはいえナラティブは両義的であり
ネガティブな側面だけのものではない

ひとはナラティブによってその世界観を生き
ひととひとをつなぐのもまたナラティブだからだ

重要なのは人の心をつかみ人を動かすナラティブに
「3人称の客観性と、1、2人称の情動性を兼ね備えた
「2・5人称の視点」」で対することだと大治氏はいう
そうしてはじめて「ナラティブ」で
ひととひとをつなぐこともできる

そして「ナラティブをつむぐというのはまさに
星々に物語を見い出すようなものではないか」という

河合隼雄の示唆している
「コンステレーション」(星座)のように
「一つひとつの星々は個人の記憶や経験」で
私たちはそれらを結び「星座」を描いている

「星々をつなぐのがナラティブ」で
「個人の心の中にはその小ナラティブが創る
個性的な星座があり、世界観がある」

与えられたナラティブに「惑わされ」ず
その危険性に対して自覚的になるとともに
そうした影響下にあることに意識的でありながら
じぶんのそれや他者のそれに向きあい
「世界で唯一のナラティブをつむいで」いけますように

■大治朋子『人を動かすナラティブ/なぜ、あの「語り」に惑わされるのか』
 (毎日新聞出版  2023/6)
■ジョナサン・ゴットシャル(月谷真紀訳)
 『ストーリーが世界を滅ぼす――物語があなたの脳を操作する』
 (東洋経済新報社 2022/7)

(大治朋子『人を動かすナラティブ』〜「はじめに」より)

「ナラティブという英語の表現がある。
 日本語では「物語」とか「語り」と訳されることが多い。本書であえれナラティブという英語表現を使うのは、「物語」「語り」「ストーリー」といった日本語がそれぞれ持つ意味やニュアンスを広く網羅する表現だからだ。」

「善くも悪くもナラティブは人間の感情をかき立て、個人を、そして社会を突き動かす。人間を孤独にも憎しみにも、連帯にも慈しみにも駆り立てる。

「英ロンドンを拠点に軍事心理戦を展開したデータ分析企業のケンブリッジ・アナリティカ元研究部長は私のインタビューに、ナラティブと、その影響力を最大化、最適化するアルゴリズムを組み合わせた「情報兵器」による世界最大規模の人心操作の実態を語った。
 それは現代社会に蠢く「見えざる手」ともいうべきものだった。
 見えざる手は、見えないから恐ろしい。見えないから、支配されやすくもない。SNSを駆使して物語を操るさまざまな手があるのなら、それがいかなるメカニズムを持ち、どのような働きからをするのか、できるだけ「見える化」する、可能な限り顕在化させることが、一方的に支配されないための手がかりになるはずだ。そう考えて、私はこの調査を続けた。」

(大治朋子『人を動かすナラティブ』〜「第1章 SNSで暴れるナラティブ」より)

「「人間にとってナラティブとはいったい何でしょうか」

 養老(孟司)さんの答えは、極めて明快で端的だった。

 「ナラティブっていうのは、我々の脳が持っているほとんど唯一の形式じゃないかと思うんですね」
(・・・)
 「歴史学者はよく知っていると思いますけど、歴史はドキュメントかナラティブかといえば、まあドキュメントなんでしょう。事実の記載ですね。事実を言葉に変える。ところがその時に一番困っちゃうのは、記述と次述の間で時間が経過しちゃうんですね。だからそういう記述だけを受け取っても理解できないんです」
(・・・)
 「映画がそう。コマ送りで、実際には全部止まっているのに、コマ送りにすることで動いているように見せるんですね。ナラティブというのはそういう働きに近いんじゃないですか。過去に起こった非常に長い時間の出来事をどうやって凝縮して伝えるか。物語形式以外の形式を人間は持っていないんです。ちょうど言葉っていう形式がひとつしかないように、必然的に物語になるわけです」」

(大治朋子『人を動かすナラティブ』〜「第6章 ナラティブをめぐる営み」より)

「私にとってナラティブとは何か。
 そんなことを考えながら、ある日、夜空を見上げた。ふと、ナラティブをつむぐというのはまさに星々に物語を見い出すようなものではないかと思いついた。
 星座という概念は約5000年前、古代メソポタミアの人々がよく光って見えやすい星々を動物や神の姿などになぞらえたのは最古の記録として残る。以来、世界中の人々がそれぞれ独自に星々のきらめきを慣れ親しんだ神や生き物の姿に見立ててきた。
 私たちが心の中でつむぐナラティブも、どこかこれに似ている。
 一つひとつの星々は個人の記憶や経験だ。印象深い記憶は良くも悪くも強い光を放つ。良いことが重なれば、私たちはそれらを結んで「幸せの星座」を描く。「自分が頑張ったから」「あの人が助けてくれたから」と好みのナラティブで記憶をつなぐ。悪い経験が重なれば、根拠もないままに、「あいつのせいだ」「自分は被害者だ」「と恨みつらみの「不幸の星座を創るかもしれない。
 星と星を結びつけるのは、私たちの脳内にいる「連想屋」デフォルト・モード・ネットワークの仕事だ。何事もポジティブに捉える人が心の中にたたえる星座は暖色系で、ネガティブに考えやすい人の星座は寒色系かもしれない。その違いには遺伝子やその人だけが経験する固有の環境(非共有環境)が影響するだろう。」

「(河合隼雄)の最終講義によれば、私たちがある言語から連想する言葉の群れ、つまり心の中から出て来る「かたまり」はコンステレーション(星座)であり、その中心にあるのが「感情」だと考える。コンステレーションは「感情によって色づけられたひとつのかたまり」であり、それは「しこり」としてコンプレックスにもなりうる。この心の中の「かたまり」が、私たちが心の中で描く「星座」だと捉えるという。
 ユングはその後、心のさらに奥深くには「アーキタイプ」と呼ぶべき元型のようなものがあると考え、「元型がコンステレートしている」と表現するようになったそうだ。人の心の中にはそれぞれ何か非常に大事な元型的なものがあり、それが星座を創っている。だから人々が抱く星座の集合体を読むことがひとつの文化、時代の理解に役立つと考えた。
 私から見れば、星々をつなぐのがナラティブだ。個人の心の中にはその小ナラティブが創る個性的な星座があり、世界観がある。」

「ケンブリッジ・アナリティカの元研究部長、ワイリーさんの言葉に当てはめれば、政治を変えたければ文化的に共有される星座を変え、文化を変えたければ一人ひとりの個人が心に宿す星座を変える必要がある。
 かつては、個人の星座は洗脳でもしない限り変えられなかったが、今ではアルゴリズムが簡単に操作して並べ変えてしまう。私たちは星座が組みかえられたことにすら気づかない。そうやって個人の星座が変わり、文化や政治を覆う星座も組み替えられてしまう。」

「アルゴリズムに見守られた「ケージ」の中で心地よく過ごす時間が長くなり過ぎると、想定外の難局に遭遇した時に創意工夫で対応したり、対立するナラティブに柔軟に対応したりするための必要な想像力や柔軟な発想も育ちにくくなる。
 私たちはAIに仕事を奪われるかもしれないと恐れているが、実際には私たち自身が「AI化」しようとしているのではないだろうか。大量の情報を浴び、ひたすらそれらを「効率的」にさばこうとする。だがその結果、(・・・)私たちは多くのものを失っているという。」

「SNSが問題というのではない。SNSはプラットフォームに過ぎない。人と人をつなぎ、世界を連帯させることにも使える。ナラティブだけが問題なわけでもない。人と人の心をつなぎ、リボンのように世界を結びつけるのもナラティブだ。
 問題は、「広場(アゴラ)」の縮小に伴い孤立・孤独が深化する現代社会で、心の脆弱性を抱える人々を「足場」に計画的かつ大規模に感情汚染、行動感染を引き起こして自己の利益につなげようとする指導者や政治勢力、企業が急増している状況だ。アルゴリズムを使って人間の脆弱性を自動検索し、ローハンギングフルーツをあぶり出し、彼らを「感染源」にクラスター感染を起こして大衆心理を操作しようとたくらむ。」

「いかなる危機、苦難が訪れようとも人々が孤立・孤独に陥ることなく、力を合わせ、自身やコミュニティのナラティブを再構築して生きていける社会————。そこに求められるのは3人称の客観性と、1、2人称の情動性を兼ね備えた「2・5人称の視点」であり。そこから心も体も、認知的スキルも社会情動スキルも存分に使いこなせる豊かな人間の姿が生まれ出てくる。」

(大治朋子『人を動かすナラティブ』〜「おわりに」より)

「本書は取材相手が交った1、2人称のナラティブをできるだけ忠実に再現しつつ、可能な限り論理的科学的なデータも含めた。ノンフィクション作家の柳田邦男さんが語った「2・5人称の視点」を私なりに生かしたいと思ったからだ。これからも、人と人をつなぐ1、2人称のナラティブ・モードと、事象を客観的に見極める3人称の論理科学のモードを十分に兼ね備えた報道を心がけたい。
 チャットGPTなどAIやアルゴリズムへの依存が日常化する時代だからこそ、その心地良い依存関係から抜け出し、五感を総動員し、自分の心や他者のナラティブとしっかり向き合い、葛藤しながら、世界で唯一のナラティブをつむいでいきたい。
 それこそが人間として生まれた者だけが享受できる最高のぜいたくであり、幸福な時間だと感じる。」

(ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす』〜「序章 物語の語り手を絶対に信用するな。だが私たちは信用してしまう」より)

「たしかに、ナラティブは私たちが世界を理解するために使う主要な道具だ。しかしそれはまた、危険なたわごとをでっちあげる際の主たる道具でもある。
 たしかに、物語にはたいてい、向社会的な行動を促す要素がある。しかし悪と正義の対立という筋立て一辺倒であることによって、残酷な報復を求め道徳家ぶって見せたい私たちの本能を満足させ、つけあがらせるのもまた物語だ。
 たしかに、共感を呼ぶストーリーテリングは偏見を克服する最高の道具になる。しかしそれはまた、偏見を作り上げ、記号化し、伝えていく方法にもなる。
 たしかに、人間社会の善なる部分を見出すのに役立った物語の例は数えきれないほどある。しかし歴史を顧みれば、悪魔的な本性を召喚してしまったのも常に物語だった。
 たしかに、物語には種々雑多な人間たちを引き寄せて一つの集団にまとめ上げる、磁石のような働きがある。しかし物語は異なる集団同士を、ちょうど磁石の斥力のように反発させ合うのにも中心的な役割を果たす。
 このような理由から、私はストーリーテリングを人類に「必要不可欠な毒」だと考えている。必要不可欠な毒とは、人間が生きるために必須だが、死にもつながる物質をいう。例えば酸素だ。呼吸するすべての生き物と同じように、人間は生きるために酸素を必要とする。しかし酸素は非常に危険な化合物でもあり(ある科学者は「有害な環境毒」と言い切っている)、私たちの体に与えるダメージは一生の間に累積すると相当なものになる。」

「物語が全人類を狂気に駆り立てている、という私の言葉が意味するのは、次のようなことだ。私たちを狂わせ残酷にしているのはソーシャルメディアではなく、ソーシャルメディアが拡散する物語である。私たちを分断するのは政治ではなく、政治家たちが楔を打ち込むように語る物語だ。地球を破壊する過剰消費に私たちを駆り立てているのはマーケティングではなく、マーケッターが紡ぎ出す「これさえあれば幸せになれる」というファンタジーだ。私たちが互いを悪魔に仕立て上げるのは無知や悪意のせいではなく、善人が悪と戦う単純化された物語を倦むことなくしゃぶり続ける、生まれながらに誇大妄想的で勧善懲悪的なナラティブ心理のせいだ。」

「政治の分極化、環境破壊、野放しのデマゴーグ、戦争、憎しみ─文明の巨悪をもたらす諸要因の裏には必ず、親玉である同じ要因が見つかる。それが心を狂わせる物語だ。本書は人間行動のすべてを説明する理論ではないが、少なくとも最悪の部分を説明する理論である。
 今、私たちがみずからに問うことのできる最も差し迫った問いは、さんざん言い古された「どうすれば物語によって世界を変えられるか」ではない。「どうすれば物語から世界を救えるか」だ。」

○大治朋子『人を動かすナラティブ』のおもな内容

第1章 SNSで暴れるナラティブ
●養老孟司さん「(ナラティブは)脳が持っているほとんど唯一の形式」
●安倍晋三元首相銃撃件と小田急・京王線襲撃事件
●インセルがはまる陰謀論ナラティブ 
●「ローンオフェンダー(単独の攻撃者)」「無敵の人」「強い犯罪者」の時代 
●岸田文雄首相襲撃未遂事件と現代型テロ 
●最強の被害者ナラティブ

第2章 ナラティブが持つ無限の力
●AIで「潜在的テロリスト」をあぶり出す 
●人間が生まれながらにして持つ「人生物語産生機能」 
●思考のハイジャック――ペテン師からアルゴリズムへ 
●WBC栗山英樹監督が語った「物語」 

第3章 ナラティブ下克上時代
●伊藤詩織さんが破った沈黙 
●五ノ井里奈さんが突き崩した組織防衛の物語
●元2世信者、小川さゆりさんの語り 
●「選挙はストーリー」と語った安倍元首相の1人称政治 

第4章 SNS+ナラティブ=世界最大規模の心理操作
●ケンブリッジ・アナリティカ事件の告発者に聞く 
●狙われる「神経症的な傾向のある人」 
●情報戦を制す先制と繰り返し
●トランプ現象という怒りのポピュリズム 
●ナゾのイスラエル・情報工作企業 
●「日本は特に危ない」
●米国防総省の「ナラティブ洗脳ツール」開発 
●SNSを舞台とする「認知戦」へ 
●イスラエルのSNS監視システム 
●中国の「制脳権」をめぐる闘いとティックトック 

第5章 脳神経科学から読み解くナラティブ
●幼少期の集中教育は何をもたらすのか
●向社会性が低いとカモにされやすい? 
●孤独な脳は人間への感受性を鈍化させる 
●陰謀論やフェイクニュースにだまされない「気づきの脳」 

第6章 ナラティブをめぐる営み
●保阪正康さんがつむぐ元日本兵の語り 
●柳田邦男さん「人は物語を生きている」
●ナラティブ・ジャーナリズムとは
●SNS時代の社会情動(非認知的)スキル

◎大治朋子(おおじ・ともこ)
毎日新聞編集委員。1965年生まれ。『サンデー毎日』記者時代に「最強芸能プロダクションの闇」「少女売春」などをテーマに調査報道。社会部では防衛庁(当時)による個人情報不正使用に関するスクープで2002、2003年の新聞協会賞を2年連続受賞。ワシントン特派員として米陸軍への従軍取材などで「対テロ戦争」の暗部をえぐり2010年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。エルサレム特派員時代は暴力的過激主義の実態を調査報道した。英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所元客員研究員。イスラエル・ヘルツェリア学際研究所大学院(テロリズム・サイバーセキュリティ専攻)修了(Magna Cum Laude)。「国際テロ対策研究所(ICT)」研修生。テルアビブ大学大学院(危機・トラウマ学)修了(首席)。単著に『勝てないアメリカ─「対テロ戦争」の日常』(岩波新書)、『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地』(講談社現代新書)、『歪んだ正義「普通の人」がなぜ過激化するのか』(小社)など。

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