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桃山鈴子『わたしはイモムシ』

☆mediopos-2402  2021.6.14

本書の最初に
「ロケットに乗らなくても、行ける宇宙がある」
という言葉が置かれている
じーんとくる言葉だ

その「宇宙」は
「イモムシ」の宇宙なのだが
それに共感し深く頷くひとがひとりでも多くいることが
ある意味人間の未来を創ることになるのではないか
そんなことを決して大げさではなく思っている

ロケットに乗って行こうとする即物的な宇宙の旅と
「イモムシ」に宇宙を観じその世界へ向かう旅と

少し前(mediopos-2393/2021.6.5)に
ウェンディ・ウィリアムズ『蝶はささやく』をとりあげた際
著者の蝶愛好家の友人の
「月面に人を送ったあとで、ようやく
オオカバマダラがどこへ行くかがわかったんだよ」
という言葉を紹介したがそれにも通じている

宇宙船で宇宙を旅することを否定するわけではないが
魂を共振させ得る自然に深くふれることが
どんなに貴重な経験となり得るかということだ

工作舎による「桃山鈴子 イモムシ本制作記」が
「note」で連載されはじめたのが昨年の7月30日
今年2021年春の刊行だということを知る
(実際に刊行されたのがこの6月5日頃)

「桃山鈴子 イモムシ本制作記」は
発売記念の回も含めvol.0〜vol.9あって
連載されるごとに期待感は高まり
これまでどこにもなっただろう
「イモムシ本」を心待ちにしていた

「イモムシ」を描くことにたどり着いた著者の言葉は
先の言葉に繋がるような感動的なものだ

「人付き合いが不得手な」著者は
「確かなもの」を追い求めるようになり
「生身の人間よりも、
自然という私を包み込む大きな存在に関心をよせた」という
それが「イモムシ」だった
そしてそれによって「苦境」を乗り越える

「「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ」
というチャップリンの言葉があるが、
私は、イモムシの姿を観察しながら、いつの間にか
自分自身をも遠くから滑稽に眺めることができたのだ。」

ひとにより「イモムシ」のところには
さまざまな「確かなもの」が入ることだろう
そしてそれによってみずからを癒やすことができるようになる

ぼくの場合も人とかかわることが生来苦手にできている
(そのためむしろ人とかかわらざるをえない場所で
働くことを自分に課しつづけてきているところがあるのだが)
それでもその「イモムシ」にあたるものなくしては
みずからの魂を癒やすことはできなかっただろう
それは決して「ロケットに乗」って行く宇宙ではなくて
みずからの魂の深みにある宇宙への旅であることはいうまでもない

■桃山鈴子『わたしはイモムシ』(工作舎 2021.6)

「ロケットに乗らなくても、行ける宇宙がある」

(「イモムシをひらく」より)

「背中からお腹まで、美しい模様の流れに覆われているイモムシの体。夜空に横たわる天の川のようだ。一粒の星もこぼすことなく、イモムシの模様を、紙の上に写し取りたい。虎の皮の敷物のような「展開図」ならそれを再現できるのではないか? 生きているイモムシたちを上下左右色々な角度から観察し、頭の中で拡げ、イメージを繋げながら描いている。」

(「手のひらの天の川」より)

「中学2年の冬のこと。音楽室に移動する途中、突然、ノイズキャンセラ-がかかったように、周囲の音がかき消された。すぐ隣の友人たちの動作や会話がスローモーションとなり、分厚い水槽越しから魚の群れを眺めるように、私から世界が遠のいていった。目に映る時分の手のひらさえ、遠い。私はほんとうは眠っていて、その夢の中にいるのではないだろうか。自分が存在しているのかどうかさえ、分からなくなり、漠然とした不安に襲われた。一体どうしたらここから抜け出せるのだろう。どうしたら自分が今ここにはっきり生きていると実感できるのだろうか。
 その頃から私は、「確かなもの」を追い求めるようになった。人付き合いが不得手な私は、生身の人間よりも、自然という私を包み込む大きな存在に関心をよせた。月は同じ周期で満ち欠けを繰り返し、星は季節ごとに空を巡る。春にはスピカ、夏にはデネブとアルタイル。空低くアンタレス。秋にはカシオペア、冬にはシリウス。草花や昆虫にも名前があり、視覚的に分類されていることが、確かなものとして私を安心させた。知らない草木、昆虫の名前を知ることは私の楽しみとなった。
 今、私はイモムシを眺める日々を過ごしている。人は笑うかもしれないが、私にとってイモムシは「確かなもの」なのだ。春のキャベツにモンシロチョウ、夏のミカンの木にアゲハチョウ、秋のクズの花にウラギンシジミ、冬のエノキの落ち葉に越冬中のオオムラサキ。夜空を巡る月や星のように。毎年、この時期になればこの木にはあのイモムシ、あの草花にはこのイモムシが現れる。それは季節や時間と共に巡ってくる確かな喜びだ。
 初めてイモムシを虫眼鏡で覗いた時、星をちりばめたような模様に釘付けになった。これは小さな天の川だ。天の川をひょいと手のひらにのせ、好きな時に眺めることができるなんて。
 数学者森田真生氏は、あるスピーチで彼が尊敬する数学者岡潔の言葉を引きながら、このようなことを言っている。
 「数学では1という数字の存在を証明することができない。1という数字は私たちが信じているから存在しているだけだ。」
 私たちにとってのイモムシも、私が信じていなければタダの虫けらだ。私はタダの虫けらであるイモムシと、私が信じる星のようなイモムシの両方を同時に知って、観ている。
 それは私自身の心を観ることにも繋がっている。
 人間関係に悩み、苦しんでいた頃、私の乾ききった心には深い穴が空いていた。森のそばに住んでいたので、毎日イモムシを眺めて暮らしていた。
 「無表情」。そこがとても大切なポイントだ。もしイモムシに感情表現があったなら、この子のために頑張らねば!と自分を無理矢理奮い立たせようとするか、期待に応えられないことに落ちこむかのどちらかだったと思う。表情がないことで、相手に応える必要がなくなり、私は人間の社会から一時的に抜け出すことができた。
 たとえば、イモムシがお尻を高く持ち上げ、尾脚を伸ばし、バッティングセンターにあるピッチングマシンのように、ポーンとフンを遠くへ飛ばす。ケムシが自分の長い毛の手入れをしている。それを見て、ぷっと吹き出し、我に返る。あんなに思い詰めていた自分がイモムシを眺めている間は、悩みのない世界にいる。
 「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇だ」というチャップリンの言葉があるが、私は、イモムシの姿を観察しながら、いつの間にか自分自身をも遠くから滑稽に眺めることができたのだ。
 乾ききっていると思っていた心の底には、静かに泉が湧き続けていた。そして、その泉を観ているつかの間だけ、私は自分自身によって癒やされることができた。イモムシは私自身を映し出す鏡のような役割をしてくれた。イモムシを眺めながら、そうやって私は、自分の奥底を見つめ、苦境を乗り越えられた。
 私がイモムシに魅了され、絵を描いていることを知った家族や友人、知人が「こんなイモムシがいたよ」と教えてくれたり、画像や情報を寄せてくれるようになった。そのほとんどが、それまでイモムシのことなど気にもとめなかった人たちだ。「関心」という名のレンズのピントが合い、それぞれの生活空間の中に、イモムシがはっきりと映し出されるようになったのだと思う。その時、イモムシは私だけのものではなくなり、コミュニケーションという蝶となって、私とその人の間を飛び交う。」

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◎note連載「桃山鈴子 イモムシ本制作記」
vol.0〜vol.9


◎桃山鈴子のホームページ


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