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石井ゆかり「星占い的思考㊹霊を買う」(群像 2023年11月号)/柄谷行人『力と交換様式』

☆mediopos3250  2023.10.11

「群像」で連載されている
石井ゆかり「星占い的思考」の
11月号(No.44)のテーマは「霊を買う」

石井ゆかりのエッセイはつい先日
mediopos3241(2023.10.2)で
「現代思想」の特集「スピリチュアリティの現在」に
寄稿されたものをとりあげたところだが

そのエッセイは「スピリット」とは?」としてしまうと
話が大きすぎるので別の方向性で書いたとのこと
そしてそのとき読んでいた
柄谷行人『力と交換様式』に
「「霊」の話が出てきてドキドキした」ということから
今回の連載ではそこで言及されている
「霊」に関連した話となっているのが興味深い

柄谷行人『力と交換様式』については
mediopos-3085(2023.4.29)でもとりあげているが
そこで使われている「霊」は
マルクスが貨幣や商品に入り込んだ
「物神(フェティッシュ)」としての「霊」である

いまだ「霊」という言葉を使うことを
忌み嫌い「精神」としてしまう学者とかもいるようだが
マルクスのいう「霊」は
「人間に入った悪霊をイエスが追い出したところ、
この悪霊がブタの群れに入って、ブタたちは
レミングよろしく崖を駆け下りてゆく」
というときの「霊」でもある

「霊」は貨幣や商品を買うとき
ブランドものを買ってその「物神性」を
じぶんに付着させるときにも
「推し」のためにお金を使うときにも
「自分に「入って」きて
それが自分のなかで大きくなっていったりもする

「物神(フェティッシュ)」としての「霊」は
ひとのなかで「欲望」とともに働き
ときにひとをそれで焼き尽くしてしまったりもするが

その「欲望」があまりに巨大なとき
たとえば「国土とか、非常に大きな利権など」のために
「巨大な暴力を行使している」とき
それらの人たちはひょっとしたら
「自分は義務や使命、聖なる掟に従っている」と感じ
それを自分の欲望だとは思っていないかもしれない

そうしたことを考えていくと
食べることや生きることを過剰なまでに超えて
「欲望」し「得る」「買う」ことを行っているのは
いったい誰なのだろうかという問いが避けられなくなる

それは「私」なのか
「私」のなかに入ってきた「霊」なのか

そして「私」は「霊」は
なにを「欲望して」いるのか

「私」が「霊」が「欲望」し
なにかを得ようとするとき
じっさいなにを得ようとしているのか
そのことを立ち止まって
ゆっくり考えてみたようがよさそうだ

■石井ゆかり「星占い的思考㊹霊を買う」(群像 2023年11月号)
■柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店 2022/10)

(石井ゆかり「星占い的思考㊹霊を買う」より)

「 〝マルクスは、物神、亡霊、幽霊などという語を、よく冗談めかして使った。(中略)私の考えでは、さまざまな霊的な力は、たんなる比喩ではなく、異なる交換様式に由来する、現実に働く、観念的な力である。〟(柄谷行人『力と交換様式』岩波書店)

 先日、青土社『現代思想』の「スピリチュアリティの現在」という特集に寄稿する機会を頂いた。そこで「スピリット」とはそもそも何だろう? と考えていたのだが、さすがに話がでかすぎるのでそっちに向かうことはやめた。やめたのだが、たまたま読んでいた『力と交換様式』に「霊」の話が出てきてドキドキしたのだった。読書の習慣のある人々には「あるある」だと思うのだが、併読する数冊の本が、互いにまったく別ジャンルの無関係な本なのに、なぜか内容が繋がっている、と思えることがある。この時もそうだった。

 マルクスの言う、貨幣や商品に入り込んだ「物神(フェティッシュ)」「霊」、欧米社会で語られている「スピリチュアリティ」の「霊」は、日本人が親しく用いる「霊」とは、かなり違うものなのだろう。日本の霊は「取り憑く」が、キリスト教圏の霊は「入ってくる」のである。神が身体に吹き込むもの、ボディに住み着くものだ。福音書にも霊の描写がある。人間に入った悪霊をイエスが追い出したところ、この悪霊がブタの群れに入って、ブタたちはレミングよろしく崖を駆け下りてゆくのだ。日本の亡霊や幽霊と、この「ブタに入って駆け下りていく」霊は、どうも違う。

 たとえば高級なブランドバックを手に入れ、友達に見せたりSNSで「シェア」したりする場合、このバッグは購入後も、交換価値的な「物神」性を維持している。所有者に「物神」の御利益が乗り移って、キラキラした価値の輝きを放つ。ブランド品と同じように価値ある人だと見なされ、褒められ、憧れられる。また、昨今「推し」という言葉がごく普通に使われている。「推し」のためにお金を使うこと、コンサートのチケットやグッズを買うだけでなく、「推し」のタレントが出演するCMの商品を大量に買うことで「推し」を応援するというやり方があるそうだ。このような購買行動では、いったい何を買ったことになるのだろう。それを考えると「霊」という言葉に、妙なリアリティが感じられる。寺院に納められた仏舎利のように、ファンは「推し」の霊のかけらを買っているとは言えないか。霊は買えば買うほど心の中で育ち、ふくらむ。自分に「入って」くる。

 国土とか、非常に大きな利権なども、人間が欲しているはずなのだが、庶民にはその欲望のありようがよく見えない。誰がどうやってそんなに大きなものを欲し、巨大な暴力を行使しているのか、共感的にはわからない。それは本当に「人間の欲望」に従属したものなのだろうか。多分、その力を行使している人々は、自分の欲望によってそうしているとは考えていないだろう。自分は義務や使命、聖なる掟に従っている、と感じているだろう。」

「この10月半ば、火星が蠍座に入る。火星は蠍座の支配星であり、この配置は「自宅に帰る」ような動きと言える。今回特徴的なのは、対岸の牡牛座に木星が位置している点だ。牡牛座−蠍座は元々、物質的富や所有、支配、獲得といったテーマに関連付けられている。火星は欲望と闘争の星で、木星は富と徳を象徴する。所有とか獲得とか、欲望、奪い合い等のテーマには、不可解な「霊」「神」の気配がある。即ち、だれもが食べる分だけ、生きていく必要な分だけを欲しているわけではないのだ。何を買っているか解らないかれども、買っている。手に入ったものがなんなのか、私たちは無頓着である。」

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