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長山靖生『SF少女マンガ全史――昭和黄金期を中心に』

☆mediopos3509  2024.6.26

長山靖生によれば
SF少女マンガの黄金期は
「一九七〇年代半ばから八〇年代半ば」

『SF少女マンガ全史――昭和黄金期を中心に』で
とりあげられている当時の作品を
すべて読んでいるというほどではないにしても

萩尾望都をはじめ
竹宮恵子・山岸凉子・倉多江美
内田善美・水樹和佳・佐藤史生
大島弓子・坂田靖子・岡田史子・高野文子といった
その時代のマンガ家の作品の数々は
いまだ手放せないまま手許に・・・

mediopos2964(2022.12.29)で内田善美
mediopos3267(2023.10.28)で萩尾望都・大島弓子・高野文子
mediopos3489(2024.6.6)で高野文子
mediopos3492(2024.6.9)で佐藤史生をとりあげているが

SF少女マンガ黄金期の時代は個人的にも
入沢康夫や吉岡実などの現代詩を読んでいた時代と重なり
当時よく聴いていた音楽などを含め
ぼくの感性を形成している重要部分は
その時代の影響を深く受けているように思われる
そこにはその時代でしか得られないエキスがある

さて日本SFはその草創期から
「マンガと密接に結びついていた」という

小松左京の『SF魂』では
「日本SF第一世代の活躍がはじまった当時の状況」を

「漫画星雲の手塚治虫星系の近くにSF惑星が発見され」
その惑星に星新一・光瀬龍・福島正実・小松左京・眉村卓
石橋喬司・半村良・筒井康隆といった存在が活動していた
と伝えているが

「草創期日本SF界の自己認識」は
手塚治虫をはじめとするマンガ家たちが星雲を形成し
ひとつの惑星上にSF作家たちがいるというものだった
SFマンガはそれほどの影響力をもっていたというのである

しかし「少女マンガでSFが花開くには時間がかかった」

「少女マンガではSFをなかなか描かせてもらえなかった」と
一九六〇年代から活躍している少女マンガ家の多くが
回想しているように
少女マンガですぐれたSF作品が次々と発表され始めるのは
ようやく一九七〇年代半ば以降である

そして少女マンガSFの黄金期が訪れる

本書で紹介されている
マンガ専門誌『ぱふ』一九八二年三月号の
読者によるオールタイムの
「SFマンガベストテン」集計結果を見ても
その「黄金期」の様子をみてとることができる
そのほとんどがSF少女マンガである

 第一位 『スターレッド』萩尾望都
 第二位 『11人いる!』『東の地平 西の永遠』萩尾望都
 第三位 『樹魔・伝説』水樹和佳
 第四位 『百億の昼と千億の夜』光瀬龍・萩尾望都
 第五位 『うる星やつら』高橋留美子
 第六位 『超人ロック』聖悠紀
 第七位 『地球へ・・・』竹宮恵子
 第八位 『デビルマン』永井豪
 第九位(同率)『暗黒星雲』諸星大二郎
 第九位(同率)『日出処の天使』山岸凉子

「九〇年代以降もSF少女マンガは描かれ続け、
重要な作品も生まれ、今も新たな作品が描かれ続けている」が
音楽や絵画などをはじめ
ある時代が重要なムーヴメントを生み
高みをもたらしているように
SF少女マンガの黄金期において生み出されているものが
その後の表現にさまざまな影響を与えていることは確かだろう

本書で紹介されている作家・作品は多岐に渡るので
そのいちいちをとりあげることはできないが
そのなかでうれしい情報があったのでメモしておきたい

以前内田善美のことをとりあげた際
『星の時計のLiddell』以降作品を発表することをやめ
その消息がわからないために作品が復刊されないでいる
としていたが
こんな記述があった

「内田と親しかったマンガ家の松苗あけみが二〇一三年に」
「行った講演によると、内田は実家で元気にしているそうだ」

とはいえ作品の復刊の話はできていないようで
長山靖生は「内田は自分の最も適した主題はもう描いた、
描き切ったという気持ちなのかもしれない」としている

内田善美にかぎらず
SF少女マンガを描いてきたひとたちには
想像を超えたさまざまな思いがあり
それらが交錯しながら稀有のドラマを生みだしてきたが
その光と影はいまだぼくの魂のなかにも射し込み
ある種の曼荼羅をつくりだしてもいるようだ

■長山靖生『SF少女マンガ全史――昭和黄金期を中心に』
 (筑摩選書 筑摩書房 2024/3)

**(「はじめに――SF少女マンガ黄金期伝説」より)

*「橋本治が〈今のところ、現在のマンガ状況を切り拓いた作家としては大島弓子、萩尾望都、山岸凉子の三人を挙げればそれですむ〉(「いわゆる、〝若者文化〟とマンガ)と書いたのは、たぶん一九八〇年代後半のことだ。(・・・)注目点は(・・・)〝現在の少女マンガ状況〟ではなく、〝マンガ状況〟とあるところだ。つまりマンガ表現全体の一九八〇年代状況を理解するために押さえるべきは、手塚治虫でも石森(のち石ノ森と表記変更)章太郎でもなく、大島・萩尾・山岸だったのである。」

*「「日本SF」の草創期もそうだった。そして日本SFは、最初からマンガと密接に結びついていた。

 日本SF第一世代の活躍がはじまった当時の状況を伝える有名な言い回しがある。(・・・)ここでは小松左京の『SF魂』から引用しよう。

  〈漫画星雲の手塚治虫星系の近くにSF惑星が発見され、星新一宇宙船船長が偵察、矢野徹教官が柴野拓美教官とともに入植者を養成、それで光瀬龍パイロットが着陸、福島正実技師が測量して青写真を作成、いちはやく小松左京ブルドーザーが整地して、そこに眉村卓貨物列車が資材を運び、石橋喬司新聞発刊、半村良酒場開店、筒井康隆スポーツカーが走り・・・・・・〉

 驚くべきは当時のSFの小ささであり、手塚治虫の大きさである。何しろSF全体が一つの惑星にすぎないのに、手塚はひとりで星系になぞらえられている(ということは、その周辺には綺羅星のごとき漫画家たちがいる)。それが草創期日本SF界の自己認識だったのだ。」

*「これは少女マンガでも同様だった。

 少女マンガ家にはSF好きな人が多い。それも今に始まったことではなく、初期からSFを描きたいと考えている人が少なくなかった。

 にもかかわらず、少女マンガでSFが花開くには時間がかかった。一九六〇年代から活躍している少女マンガ家の多くは「少女マンガではSFをなかなか描かせてもらえなかった」と回想している。」

「一九七〇年代半ば以降、少女マンガではすぐれたSF作品が続出し、SF少女マンガ黄金期とでもいうべき期間が到来する。」

「SF少女マンガの黄金期は、一九七〇年代半ばから八〇年代半ばにかけてだと私は思っている。昭和でいうと五〇年代がこの時期で、この区分は西暦より昭和のほうがしっくりくる。」

*「その時代、いかにSF少女マンガが人気だったかを見てみよう。次に掲げるリストはマンガ専門誌『ぱふ』一九八二年三月号掲載の、読者によるオールタイムの「SFマンガベストテン」集計結果である(・・・)。

 第一位 『スターレッド』萩尾望都
 第二位 『11人いる!』『東の地平 西の永遠』萩尾望都
 第三位 『樹魔・伝説』水樹和佳
 第四位 『百億の昼と千億の夜』光瀬龍・萩尾望都
 第五位 『うる星やつら』高橋留美子
 第六位 『超人ロック』聖悠紀
 第七位 『地球へ・・・』竹宮恵子
 第八位 『デビルマン』永井豪
 第九位(同率)『暗黒星雲』諸星大二郎
 第九位(同率)『日出処の天使』山岸凉子

 念のためにいっておくが、これはSF少女マンガのベストテンではなく、SFマンガ全体が対象になっている。」

**(「第1章 SF少女マンガ概史」より)

*「少女マンガ草創期の中心にいたのは男性マンガ家たちだった。手塚治虫らのマンガが小説や少女アイドルの記事を中心にしていた「少女雑誌」に載るようになり、やがて「少女マンガ雑誌」が創刊されていく。」

「初期の描き手は手塚のほか、石森章太郎、横山光輝、ちばてつや、赤塚不二夫、松本零士ら。永島慎二も少女マンガを描いた。有名な『あんみつ姫』(『少女』一九四九〜五五)の作者も倉金章介で男性だ。」

*「少女マンガ誌の執筆陣は六〇年代全版は、まだ男性が多かったが、次第に女性マンガ家が増えていく。」

*「一九五〇年代に登場したわたなべまさこ、水野英子、牧美也子、今村洋子らは、それまでの男性による一種の固定観念化された〝少女〟〝母〟〝女性〟をはみ出す女性像を作り出していくようになっていく。なかでも水野は手塚治虫的ロマンスをさらに発展させたロマンチックな作品で人気を高めていった。いわば彼女らは少女マンガ界における初期のロマン派である。」

*「一九四九(昭和二四)年生まれの萩尾望都や山田ミネコらを中心に、大島弓子や山岸凉子などその前後の作家たちを指す「花の二四年組」という言葉がある。」

「この世代で一足先にメジャー・デビューしたのが青池保子や里中満智子だった。」

*「一九七〇年前後に、戦後生まれの新人マンガ家やその予備軍が集まって議論し、互いに刺激し合う場がいくつか生まれている。一つは新宿の喫茶店「コボタン」で、ここには虫プロ商事のマンガ雑誌『COM』に執筆していた永島慎二や真崎守や新人、投稿者、マニアが男女の隔てなく集まっていた。稀には手塚治虫も顔を出した。ここで和田慎二、一条ゆかり、弓月光、山田ミネコ、岡田史子、萩尾望都らがマニア(マンガ家予備軍)と語り合った。

 また別マまんがスクールの選者・鈴木光明が主宰する『三日月会』が例会をしていて、美内すずえ、和田慎二、山田ミネコ、市川ジュン、木原敏江、河あきら、三原順、柴田昌弘らが通っていた。こちらは少女マンガ家中心だが、「コボタン」同様、男女共に参加していた。

 新人マンガ家が近くに住んで、執筆の合間に行き来して語り合う場も複数あった。杉並区下井草には山岸凉子、大和和紀、忠津陽子がいて、しょっちゅう集まっていた。竹宮恵子と萩尾望都は大泉の長屋で二年間共同生活をしており、ここも数ある溜まり場のひとつとなった。彼女らは相互に刺激し合いながら、自身の表現を形づくっていった。」

・潮目が変わった七五年、ブーム到来の七七年

*「「SFを描かせてもらえない」という少女マンガ界の状況は改善されつつあった。決定的に潮目が変わるのは一九七五年のことだ。その背景には少女マンガ家たちのそれまでの努力に加えて、数年前からの少年マンガでのSF隆盛があったろう。」

「そして七七年にはテレビ・アニメや少年マンガ誌中心にSFブームが到来、少女マンガ界の状況も一変する。」

*「七〇年前後に少女マンガで起きた表現の絵画面での大きな変化は、心理表現の深化だった。それまでも美男美女のスタイル画的表現、さらに演劇的、舞踏的ポーズが、キャラクターの立場や状況を表現していた。それがさらに眼や手、指、唇などの全体との関係を通して、人間の心理・内面を暗示し象徴する表現だった。そうした試みに積極的だったのは、まず岡田史子であり、萩尾望都、山切り涼子だ。大島弓子は、類型的人物表象を比較的保ちつつ、背景に飛び散るものもの(雪や花弁や葉)を通して真理の襞を表現する手法を好んだ。」

「八六年には古代の神々と人間に跨がる戦いを描いた水樹和佳の大作『イティハーサ』(『ぶーけ』)がはじまった。SFないしファンタジーはますます少女マンガに広まった。その一方、普遍化すると共に拡散というのが一般化し、マンガ全般に見られる夢のような表現との差異が見えにくくなりつつあった。」

**(「第2章 挑発する女性状理知結晶体」より)

「1 山岸凉子――抑圧と理知の先にあるもの」
「2 倉多江美――シュールで乾いた宇宙」
「3 佐藤史生――科学と神秘の背反する魅力」
「4 水樹和佳――王道SFロマンを求めて」
「5 「見えない壁」と「見える壁」を超えて」(清原なつの・佐々木淳子・樹なつみ)

**(「第3章 思考するファンタジー」より)

「1 少女マンガSFの詩人・山田ミネコ」
「2 大島弓子――少女の心象はハラハラと舞い散る」
「3 共同制作と見せ場主義のエンタメSF・竹宮恵子」
「4 少女感覚とSFファンタジー」(坂田靖子・日渡早紀・川原泉)

**(「第4章 時を超える普遍を見つめて――萩尾望都の世界」より)

「1 SFは自由への目醒めをもたらす」(『11人いる!』『百億の昼と千億の夜』
「2 萩尾SFの絵画論的・音楽論的宇宙観」(『銀の三角』『スター・レッド』)
「3 多様な異世界生命体と性別の揺らぎ」(『モザイク・ラセン』『マージナル』)
「4 危機から目を逸らさず、希望を捨てず」(『青のパンドラ』)

**(「第5章 孤高不滅のマイナーポエットたち」より)

「1 岡田史子――その花がどこから来たのか私たちはまだ知らない」
「2 内田善美――圧倒的画力が創り出すファンタジー世界」
「3 高野文子――絶対危険神業」

□長山靖生(ながやま・やすお)
1962年生まれ。評論家。鶴見大学歯学部卒業。歯学博士。開業医のかたわら、世相や風俗、サブカルチャーから歴史、思想に至るまで、幅広い著述活動を展開する。著書『日本SF精神史』(河出書房新社、日本SF大賞・星雲賞・日本推理作家協会賞)、『偽史冒険世界』(筑摩書房、大衆文学研究賞)、『帝国化する日本』(ちくま新書)、『日本回帰と文化人』(筑摩選書)、『萩尾望都がいる』(光文社新書)など多数。

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