新井卓『百の太陽/百の鏡 写真と記憶の汀』/永井玲衣「世界の適切な保存⑯適切な保存」 (「群像 2023年 08 月号」)
☆mediopos-3168 2023.7.21
最古の実用写真術である
ダゲレオタイプ(銀板写真)とともに
新井卓は
福島の渚へ
遠野の田園へ
核実験場の砂漠へと
旅に出る
そして
「対象に出会ったときの感覚を、
時間と空間を超え見るものに生々しく伝えることのできる
<小さなモニュメント>として」表現する
世界初の写真技術であるダゲレオタイプは
一八三九年に誕生し
それまで肖像画によってしか表現できなかったものが
またたくまに欧州と北ヨーロッパに広がっていく
ダゲレオタイプは
ただ一枚の銀板として複製不可能な写真だが
その後複製技術可能な写真術が開発される
写真とはphoto(光)+graphia(画)であり
「光によって描かれた像」という意味であり
日本でもかつては「光画」と呼ばれたが
やがて「真実を写す」という「写真」へと置き換えられる
それは「「真実」と信じられているもの」を媒介する
メディアとして位置づけられたからなのだろう
そこには複製のできない真実という意味もあったのだろうが
いまや複製可能であるどころか
CG合成さえできるようになり
「アウラ」はほとんど失われてしまっているようにみえる
新井卓のこだわりは
その複製のできない一枚限りの
真実を写す「写真」であろうとするところにあるのだろう
そしてそれを
たしかな記憶を保存するための
「モニュメント」としようとする
さて哲学者の永井玲衣は「群像」で連載されている
「世界の適切な保存⑯適切な保存」において
「保存は、不断の抵抗」のだと言っている
その不断の「抵抗の運動」は全身体的に
「環境とふれあい、たくさんのものを受け取」ってゆくが
「保存」されたものも
それを「保存をしようとしたひとびと」も
年をとって変化していく
記憶を記したモニュメント
それが「写真」であることもあれば
書きのこした言葉であることもあるだろう
それらは変化を余儀なくされながら
「保存」しようとする者の「記憶」を伝えていこうとする
それらの多くは
やがて失われてしまうことになるだろうし
伝えることができたとしても
さまざまな変化にさらされてゆくが
ときになにがしかの
「真実」を写す「鏡」となり得ることもある
現代は「アウラ」のある「真実」が
見えなくなり続けている時代だといえるかもしれない
いまやひとの思考を反映しているはずの文章さえも
AIが複製可能なものとして作り上げていこうとする時代だ
そんななかで
ひとがひとであろうとするならば
「アウラ」を写す「鏡」を
みずからの内にたしかにもつための
「不断の抵抗」を怠ってはならないだろう
ひとも世界も「適切」に
その根拠としての「記憶」を
からだとこころに「保存」するためにも
■新井卓『百の太陽/百の鏡 写真と記憶の汀』
(岩波書店 2023/7)
■永井玲衣「世界の適切な保存⑯適切な保存」
(「群像 2023年 08 月号」講談社)
(新井卓『百の太陽/百の鏡 写真と記憶の汀』〜「Ⅰ鏡ごしに出会うこと/銀板写真・モノと記憶・極小の記念物」より)
「写真————長いあいだ、これほど混乱を生んできた言葉は、あまりない。十九世紀初頭、西洋で発明された写真術の本来の名称「フォトグラフィー」は、photo(光)とgraphia(画)というギリシア語から合成された、「光によって描かれた像」という意味だった。日本でもかつては「光画」と呼ばれた写真は、いつ、なぜ「真実を写す」という意味の語「写真」へと置き換えられたのか。
こんにち写真とは、添えられたキャプションによってイメージの意味内容————一般に「真実」と信じられているもの————を媒介するメディウムを意味する。複製可能なイメージは新聞や雑誌、テレビ、インターネットを通じて拡散され、出来事を告発し、証拠づけ、人々を動機づける手段となった。
一八三九年、フランスで世界初の実用的写真実、ダゲレオタイプが公表された。産業革命後に生まれた有産市民層を中心に安価なポートレイト作製技術が求められ、この時期に光学と化学の知見が出揃っていたことも、写真術誕生の条件だった。
公表からわずか一年、技術の改良によりダゲレオタイプの露光時間が数秒に短縮されると、欧州及び北アメリカの主要都市にダゲレオタイプ・スタジオが乱立し、人々が殺到した。ダゲレオタイプの力を借りて、いまやだれもが肉体の死を超え自らの姿をとどまることができるようになった。それまで特権階級だけに許されていた肖像は、写真術の登場によって一部ながら「民主化」された。
(・・・)
ダゲレオタイプとは、完全な鏡面に磨き上げた銀板の表面をヨウ素ガスでコーティングし、カメラに装填して露光したのち水銀蒸気で現像することにより、銀板に直接画像を記録する技法のことだ(カメラやレンズの名称ではない)。画像の明るい部分には不透明な銀水銀化合物がレリーフ状に分布し、暗い部分は鏡面のまま残る。銀盤は光を通さないのでプリントをつくることはできず、ただ一枚の銀板が複製不可能な写真として残る。最初期の技法でありながらその画像は驚くほど鮮明で、角度によってわずかに色調がうつろう宝石のような輝きを放つダゲレオタイプには、いまも色褪せない美しさがある。
(・・・)
ヴァルター・ベンヤミンはダゲレオタイプを他の写真技法方明確に区別しながら、その特質を〈アウラ〉という概念で説明している。」
「その後複製可能な写真術が登場して以来、わずか百五十年のあいだに、写真のテクノロジーは飛躍的に進歩した。しかし、いつでも簡便に確実に撮影できる技術の「進歩」とともに、ダゲレオタイプが持っていた、人々を気おくれさせるほどの映像の鮮明さは失われていくことになる。こうして「写真」がになっていた呪物としての価値は、大量複製時代の実用的価値の背景へ、急速に後退していったのである。」
「あらゆる文脈や解釈。教義を保留して、モニュメントの表面に留まりつづけること。そうしてわたしたちは、わたしたちひとりひとりの内に生まれ出ずる、新しい言葉をたずさえ、からくも、他者の記憶から放たれるわずかな光を見いだすだろう。」
(永井玲衣「世界の適切な保存⑯適切な保存」より)
「「保存」とはつくづく動的なものだと思う。建物や街並みをまるごと3Dスキャンして、データ化することもできるようだ。あるいは、カメラで一瞬を切り取ることもできるし、詩のように言葉で世界を捕まえることもできる。だがそれで永遠に冷凍することができるとは限らない。むしろ、保存しようと試みつづけることが、消え去っていくことに抗うことなのだ。
保存は、不断の抵抗である。変容しつづける世界の中で、保存されたものもまた、変化をこうむるだろう。保存をしようとしたひとびと、そしてそれを受け取るひとによって、それは変容しつづけるはずだ。だが、その方がよっぽど健全であるかもしれない。
いま「保存をしようとしたひと」と書いた。保存が抵抗の運動であるならば、誰がそれを試みたのかということもまた、重要になってくる。
経験というものは、全身体的なものだ。建物でも、場所でも、何でもその場に自分の身体が置かれるということが、決定的な事実である。身体は環境とふれあい、たくさんのものを受け取る。」
「「生きているということは、年をとるということ」
生きているとはどういうことか、という問いで、福島県の葛尾村の小学校で哲学対話をしたとき、ある子どもがつぶやいた。あなたはそれだけ言って、黙った。もう十分だというふうだった。
保存されたものも年をとる。わたしたちはそんな当然なことを、忘れてしまっている。保存したひとも年をとるし、されたものも年をとる。保存されたものは、生きているからだ。」
「何かを残そうとするとき、わたしたちはまず誰もが共有できる事実を書き留めるだろう。そこに何があり、何がおかれ、いつ建てられたかなど。そして、そこでの印象的なエピソードをかき集めるだろう。時に感動し、時に心揺さぶられ、それゆえ典型に達してしまったような「思い出」を材料にし、ひとつの粘土のようにして、こねあげてしまう。そうして「憩いの場所でした」と書いて、忘れてしまうかもしれない。「いい場所だったよね」と、互いにつぶやきあって、どこかへ去ってしまうかもしれない。」
「もし電車というものがいつかなくなってしまうのならば、わたしたちは何を保存するだろうか。
(・・・)
あのときの電車の体験が何だったのか、もう思い出せない。日常に埋め込まれすぎていて、準備ができていなかった。そういえばいつの間にか変わっていて、そのことすら忘れていた。
(・・・)
完全に止まったはずの地下鉄がちょっと動いてみんなよろける
(岡野大嗣)
百年後のひとたちが「地下鉄」を知るとしたら、図解や技術の説明を通して受け取ることがほとんどだろう。でも、地下鉄がホームに到着し、乗客が扉の前に何となく集いはじめたあたりで、がくん、と電車がほんの少しだけ動いたことを、百年後のひとは知ることができるだろうか。そして、ほんの半歩だけ、でも全てのひとが、よろりとかたむくことを、知ることができるだろうか。」
「体験は、記憶になる前に言葉になり、多くの人の前に差し出される。そうやってわたしたちは消える前の準備をする。
完璧さや不変さを急いで求めなくてもいい。保存されたものは生きているのだから。年を重ねながら、誰かの中で育つだろう。わたしたちはもっと信頼してもいい。
そうだとは知らずに乗った地下鉄が外へ出てゆく瞬間がすき
(岡野大嗣)」
◎新井 卓(あらい・たかし)
1978年神奈川県生まれ。神奈川県を拠点に活動。
写真の原点を探るうち最初期の写真術・ダゲレオタイプ(銀板写真)を知り、試行錯誤ののち同技法を習得。対象に出会ったときの感覚を、時間と空間を超え見るものに生々しく伝えることのできる<小さなモニュメント>として、自身のメディアとしてきた。近年は映画制作、執筆、共同研究ほか内外の多拠点で学際的活動を展開。
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