小林康夫『存在とは何か/〈私〉という神秘』/谷口義明『宇宙・0・無限大』
☆mediopos-3143 2023.6.26
素朴実在論的な意味では
物質的な宇宙には
ゼロも無限大も存在しない
存在しないからこそ
私たちは物質的な身体をもって
こうした時空を生きることができる
天文学者・谷口義明は
『宇宙・0・無限大』で
「宇宙にはゼロも、無限大も、永遠もないのだ。
そもそも、私たちが手にしている物理法則では
ゼロを取り扱えない。
私たちはそういう宇宙に住んでいるのだ。」
としているが
いうまでもなく私たちが
物質的身体をもって生きているこの世界
つまり「実存」においては
論じるまでもなくゼロ・無限大・永遠は存在しない
しかし問いはそこからはじまる
では「実存」ではなく
「虚存」においてはどうか
「実」の世界において
「存在とは何か」と問うのではなく
「虚」の世界においてそれを問う
小林康夫はその問いを
imaginaryに
量子力学的な波動論
あるいは数学の複素数論と結びつける方向へ向ける
「実」の世界においては
ゼロ・無限大・永遠が存在しないからこそ
わたしたちは生きられるのだが
わたしたちははたして
「実」の世界だけに「存在」しているのだろうか
小林康夫はこう示唆している
「「実」と「虚」は、
数学的な座標軸としては、0において直交する」
「言い換えれば、
「存在」と「無」は対立的であるのではなく、
「無」は0という原点として、
「実」と「虚」が交錯する交差点である」と
わたしたちは実だけではなく
虚においても存在している
「〈私〉という神秘」はまさにそこにこそある
「世界は複素的」なのである
■小林康夫『存在とは何か/〈私〉という神秘』
(PHP研究所 2023/6)
■谷口義明『宇宙・0・無限大』
(光文社新書 1261 光文社 2023/6)
(「小林康夫『存在とは何か/〈私〉という神秘』」〜「存在は複素数的である」より)
「シュレーディンガー方程式は虚数iを含んでいる。われわれ人間は、数学史上もっとも美しいとも言える「オイラーの公式」から出発して、複素数の極形式を用いて三角関数と指数関数とを結びつけることによって、きわめてエレガントに波打つ波動を表現できるようになったわけだが、このシュレーディンガー方程式における虚数iは、単に「便宜的なもの」ではなく、本質的、つまりダイレクトに「存在」に関わるとされている。わたしとしては、これこそ、「想像的なもの」が「存在」する、といっても「実在」ではなくて————こう言いましょう————「虚在」!する数理的な根拠が開示されたことを意味するのではないか、と読みたいわけなのです。
なにしろ、虚数のiは、imaginaireのiであり、こう名付けたのは、近代哲学の原点とも言うべきあのルネ・デカルトです。もちろん、デカルト派、それを「存在しない、想像的な数」として考えていた。だが、20世紀になって、シュレーディンガーによって、その「想像的なもの」が「存在」する!「虚在」として「存」する!ことが明かされた。つまり、「存在」とは、「実」が直交する複素的な、つまりコンプレックスcomplexな「波」であるということ、そこに哲学にとっても存在論のラディカルな転換の可能性を見出すことができないか。」
「「実」の世界のなかで、これまで実存exsistenceという言葉で語ってきた存在のあり様を————そこでは、その「外へ」ex-という「開け」が強調されたのでしたが————なによりもその「虚」の次元へと「開け」た実在、つまり根源的にコンプレックスな存在として考えることで、世界と実存との関係をより明確にすることができるだろうと考えるわけでし・(冗談のようなことを付け加えるなら、このex-のxに「実」「虚」の直交性のシンボルすら読みこみたいと思っています)。」
(「小林康夫『存在とは何か/〈私〉という神秘』」〜「実存と虚存」より)
「ここで興味深いのは、その「実」と「虚」は、数学的な座標軸としては、0において直交すること。だから0すなわち「無」とは、「実」と「虚」が直交することそのものだということになる。言い換えれば、「存在」と「無」は対立的であるのではなく、「無」は0という原点として、「実」と「虚」が交錯する交差点であると考えなければならない。そして、あえて付け加えておくなら、この「0」こそが意識なるものを指し示しているのかもしれない。
つまり、実存とは「実×虚」であるということです。
実存は「実」世界と「虚」世界の交わりとして「ある」。
それこそが、実存のもっとも深い意味であるということになります。
となれば、当然、実存に対して「虚存」という存在を考えることができるかもしれません。つまり、「実在」の世界における実存に対して、「虚」の「虚在」の世界における実存に相当するものとしての「虚存」。つまり、次のようなマトリックスが考えられます。
実在 −−−− 実存
虚在 −−−− 虚存
では、虚存とはなにか? それは、簡単に言えば、「実」として「ある」という仕方では「ない」が、しかし「ある」存在。そこで思い出さなければならないのが、われわれ人間の文化は、それがどんな地域のどんな時代のどんな文化であっても、古来より一貫して、神的存在、霊的存在、妖怪的存在・・・・・・等々という「実」ではない存在を語り、それらを信じ、それらを祀ってきたということ。それら「不可視の存在」(仏語ならl'invisible)なしの文化はひとつもない。言葉がどのように違っていようが、「神」や「霊魂」や「魔物」などについて語らなかった文化はない。
そして、そこでは。それらの存在が虚存であるがゆえにこそ、言い換えれば、「実」として「実証」不可能であるがゆえにこそ、それらへの信が現実において圧倒的な支配力をもつことになった。」
「だが、注意しておきたいことがある。それは、われわれは、あくまでも実在の世界に実存しているのであって、数学的には。x軸を「実」、y軸を「虚」ととれば、その複素数的世界が簡単に平面上に表示されることになるが、しかし。われわれは、この実世界に関しては座標軸をもっているが、虚世界に関しては、座標軸つまり誰にも共通して普遍的であるような計算可能な「距離」のオーダーをもってはいない。まさにそのことが、imaginaryといわれる理由であって、わたしが夢で天使を見たとしても、鬼を見たとしても、そうした虚存は、世界の時空のなかに位置づけることはできず、他の人々には、まったく実証性をもたない、つまり「存在しない」ことになってしまう。」
「(存在者)とは区別された)「存在」とはプロバブルなエネルギーです。「存在」と「時間」は異なった別のものとして「ある」のではなく、「存在」は本質的に確率論的に「時間−存在」としてあるエネルギーの波です。そして、それは、実の次元と虚の次元をもつ。
世界は複素的であるのです。」
(「谷口義明『宇宙・0・無限大』」より)
「どんなに時間が経過しても、誕生したときからの時間の経過を計測するので、無限大になることはない。宇宙はたしかに長い期間、生き永らえるだろう。しかし、それを永遠と表現してよいか悩むところである。(・・・)この宇宙の年齢が無限になることはない。なにしろ始まりがあったのだから。
すべての天体において永遠という言葉はない。それは、宇宙においても当てはまるのだ。」
「宇宙の中にゼロを見出すことはできなかった。同時に、無限大にも見当たらない。時間に目を移しても永遠はない。
結局、宇宙にはゼロも、無限大も、永遠もないのだ。そもそも、私たちが手にしている物理法則ではゼロを取り扱えない。私たちはそういう宇宙に住んでいるのだ。」
「そもそも重力定数が0なら、物質が重力で集まることはない。銀河も星も惑星もできない宇宙になってしまう。プランク定数が0なら素粒子はエネルギーを持たないので、存在しない。光速が0なら光は静止したままである。何も見えない世界だ。これらの宇宙に意味があるだろうか。
結局、ゼロがない宇宙だから、私たちはこの宇宙に住んでいるのである。
なお、無限大も永遠もない。もちろん、私たちもいずれ消えていく。これはしょうがないことだ。」
◎小林康夫『存在とは何か/〈私〉という神秘』
目次
序章 知を通して世界を愛す
第1章 「存在とは何か」が浮上する歴史的界域
第2章 実存の彼方を目指して
第3章 ファンタジック存在論
第4章 四元的世界観へ
終章 コーダ、〈幹〉ではなく
◎谷口義明『宇宙・0・無限大』
目次
はじめに
第1章|不可思議なゼロと無限大
1‐1: 厄介なゼロ
1‐2:ややこしい無限
第2章|宇宙に無限はあるか
2‐1:これまでの宇宙観
2‐2:夜空と無限を巡る謎
2‐3:オルバースのパラドックスを解く
2‐4:大きな世界と小さな世界
第3章|宇宙にゼロはあるか
3‐1:宇宙の誕生
3‐2:原子のその先へ
3‐3:遠隔力しかない宇宙
3‐4:自然はゼロを嫌う
第4章|宇宙に永遠はあるか
4‐1:有限な宇宙で育まれる命
おわりに
◎小林康夫(こばやし・やすお)
東京大学名誉教授。専門は、現代哲学、表象文化論。
1950年、東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科(比較文学比較文化)博士課程単位所得退学、1981年パリ第10大学にて博士号取得(テクスト記号学)。2002年から2015年までUTCP(University of Tokyo Center for Philosophy)の拠点リーダーをつとめた。
著書に『表象の光学』(未来社)、『君自身の哲学へ』(大和書房)、『〈人間〉への過激な問いかけ』(水声社)、『死の秘密、〈希望〉の火』(水声社)、『若い人のための10冊の本』(ちくまプリマー新書)、『絵画の冒険』(東京大学出版会)、『こころのアポリア』(羽鳥書店)、『起源と根源』(未来社)など多数。
編著も『知の技法』、『知の論理』、『知のモラル』(以上、東京大学出版会)など多数。
また、ジャン=フランソワ・リオタール『ポストモダンの条件』(水声社)、『マグリット・デュラス『緑の眼』、共編訳の『フーコー・コレクション』全7巻(筑摩書房)などの翻訳も多数ある。
◎谷口義明(たにぐちよしあき)
1954年北海道生まれ。東北大学理学部卒業。同大学院理学研究科天文学専攻博士課程修了。理学博士。東京大学東京天文台助手などを経て、現在、放送大学教授。専門は銀河天文学、観測的宇宙論。すばる望遠鏡を用いた深宇宙探査で128億光年彼方にある銀河を発見、当時の世界記録を樹立。ハッブル宇宙望遠鏡の基幹プログラム「宇宙進化サーベイ」では宇宙のダークマター(暗黒物質)の3次元地図を作成し、ダークマターによる銀河形成論を初めて観測的に立証した。著書に『天文学者が解説する 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」と宇宙の旅』『宇宙を動かしているものは何か』(以上、光文社新書)、『アンドロメダ銀河のうずまき』(丸善出版)、『天の川が消える日』(日本評論社)など多数。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?