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A・S・バーウィッチ『においが心を動かす/ヒトは嗅覚の動物である』

☆mediopos2671  2022.3.10

いうまでもなく
心のはたらきを脳のはたらきに
還元することはできないが
感覚のはたらきを脳と関係づけながら
科学的にアプローチすることは重要である

人間の感覚といえば
視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の
五感があると一般にいわれるが
現代の感覚についての科学では
「最大二七の感覚様相があると推定」
されているということだ
シュタイナーの感覚論では十二感覚とされている

現代神経科学の考え方は
視覚の理論が中心となってきたが
「現実は目に映るものだけではない」
まだ十分に理解されているとはかぎらない
視覚以外の「ほかの感覚」へのアプローチも必要である

本書は「嗅覚は、いくつもある感覚のなかの継子である」
という言葉からはじまっていることからもわかるように
かつてダーウィンが「嗅覚はほとんど役に立たない」
とさえ言っているように
哲学者も科学者も嗅覚をずいぶん貶めてきたようだ

状況が変わり始めたのは二〇世紀半ばであり
嗅覚の潜在力を認める研究者が増え
とくにこの二、三〇年で
神経科学の革命的発展によって
嗅覚へのアプローチが急速に進んでいるという

においはプルーストの有名な
紅茶に浸したマドレーヌの香りの話のように
記憶を呼び起こす力があり
私たちを情動的・感情的に動かすという
それは私たちの多くの経験からも実感できるものだ

本書のタイトル(邦題)は
『においが心を動かす/ヒトは嗅覚の動物である』
となっているが
「嗅覚」こそが私たちの心の謎を解くカギだ
というのが本書の主張するところのようだ
これまであまりに貶められてきた嗅覚が
脚光を浴び始めている

しかし嗅覚の働きは
におい物質がありそれに対して
化学反応的に嗅覚が働いて
その特定の感覚処理がなされるというのではない

においによる知覚の内容は
「においオブジェクト」と対応するのではなく
「においの状況」は文脈に応じて
さまざまに学習された連想の観点から統合されたものだ

つまり同じにおいのもととなるものがあっても
その「刺激に結びつく経験」は同じではない
ソムリエや調香師の鼻にしても
その文脈に依存しながら学習されたもので
その素養はあったとしても
生まれつき特別であるというわけではない
そして「嗅覚の訓練は脳の構造すら変えてしまう」のだという

視覚は人間の知覚のなかでも比較的遅くできたもので
特定の機能のために発達してたといえるが
嗅覚のような化学受容のほうが早く現れていて
その意味でも嗅覚にはその後発達していく
他の諸感覚の要素がいまだ含まれている
ということもできるのかもしれない

「鼻が利く」という表現があるが
それは単ににおいに敏感だということではなく
わずかな兆候から見つけ出す能力でもある

シュタイナーの十二感覚論では
嗅覚は善と悪を嗅ぎ分ける
道徳の基盤でもあると示唆されているように
「においが心を動かす」ということだけではなく
ある意味で「におい」が心を育てる
ということもできるのかもしれない

個人的にいっても(まったく私的な感覚なのだが)
ひとを見てもひとの言葉や声をきいても
そこからどこか「におい」を感じている自分がいて
それがいろんな判断基準になっていたりもするほどだ

■A・S・バーウィッチ(大田直子訳)
 『においが心を動かす/ヒトは嗅覚の動物である』
 (河出書房新社 2021/7)

(「はしがき」より)

「嗅覚は、いくつもある感覚のなかの継子である。昔から目立ってひどい扱いを受けている。従来、主観的な感情と動物的な感覚を津当てるだけだとして退けられ、哲学や科学で重要視されたことがなかった。
(・・・)
 哲学者に加えて科学者も、人間の鼻をほとんど無視していた。チャールズ・ダーウィンも一八七四年、人類にとって「嗅覚はほとんど役に立たない」と述べている。嗅覚には学者が熱意を注ぐほど評価されるものがなかった。
 状況が変わり始めたのは二〇世紀半ばである。感覚研究の新たなモデルとして、嗅覚の潜在力を認める研究者が増えたのだ。とくにこの二、三〇年で、神経科学の革命的発展が、その手法と見解に関する可能性を根本から切り開いた。におい知覚とその神経基盤が、脳を通じての心の理解にとってカギになりつつある。いまこそ、心と脳のいくぶん陳腐な哲学的憶測を、こうした新しい現実に合わせて変えるべきだ。」

(「第3章 鼻を意識する/においの認知」より)

「あなたにはいくつの嗅覚があるだろう? 「なんておかしな質問だろう」とあなたは思うかもしれない。「もちろんひとつだ」。鼻はひとつであり、においを一種類の感覚として経験する。しかし生物学者に−−−−または料理長に−−−−言わせると、あなたには少なくとも二つの嗅覚がある。
 料理は人類文化の中心である。新しい風味を探すことがグローバル化の原動力だった。香辛料貿易はほかのどんな人間の営みにもまして、近代世界の社会経済的景観を形づくった。二〇世紀の間、食料生産の工業化と人口調味料の発見によって、食は変化した。味覚を喜ばせるもののほうが、ピカソよりも人類を魅了したのだ。
 内観、すなわち「心の眼」は、食に関してまったく誤った考えを伝える。ほとんどの人は食べものの風味は口の中にあり、それは味わう経験だと思っている。しかしそうではない。あるいは少なくとも、そうでない場合もある。あなたは鼻で食べるのだ。
(・・・)
 鼻でどうやって味わうのだろう? においの化学物質の感知には二つの経路がある。「オスロネーザル過程」は、鼻から息を吸うときに起こる−−−−これが私たちが嗅覚について語るときにふつう思い浮かべるものだ。そして「レトロネーザル過程」は、揮発性の分子が喉の奥から鼻上皮まで移動するときに起こる。
(・・・)
 レトロネーザル嗅覚を提供する第二の鼻があるからこそ、食べ物の味はおもしろい。」

「においは心の要素である。そして心を理解しようとするなら、心の断片を分析するよりも、その動的処理の観点からとらえるほうがいい。そう考えると、においは一定範囲の無意識的な知覚活動で、複数の意味を伝える。
 たとえば、私たちが知覚内容を意味オブジェクトと関連づけると、においは認知の対象になる。その概念化のおかげで私たちは、自分の経験について考え、伝え、それをほかの状況での知覚経験と直接比較できる。たとえ嗅覚としてのにおいをはっきり自覚するとは限らないとしても、認知対象としてのにおいは、意識経験の中に多感覚の知覚イメージで現れる可能性がある。あるいは、そのような印象に必ずしも簡潔な概念内容がなくても、嗅覚を自覚するとき、それが注意の対象となる。
 嗅覚に多くの層があることは、その内容を感覚処理の理解なしには説明できないことを示している。」

(「第4章 行動はどうして化学を感じるのか/においの感情的性質」より)

「においのおかげで、私たちはさまざまに物事を選んで反応することができる。周囲への態度が変化し、相互作用も変化する。嗅覚は意志決定の道具である。においは文字どおり人を動かす
(・・・)
 においは人間の行動に与える影響は現実であり、それは香水などの商品を買うときだけではない。鼻はつねに周囲に関する価値判断を導く。私たちは鼻を使って能動的に選び、決定を下す。」

「においは記憶を呼び起こす力である。それは意識を圧倒して人間の想像力をとりこにする。「におい知覚」は過去につながる心の窓をこじ開けることもある。心理学者はそのような巡り会いを、いみじくも「プルースト効果」と呼ぶ。」
「記憶は一様な現象ではない。複数の認知および神経のメカニズムを包括する用語だ。したがって、におい記憶についての話には区別が必要である。一方にはにおいの記憶があり、他方にはのいから連想される記憶がある。」

(「第5章 空間で/鼻から脳へ」より)

「におい知覚は空間行動を促す。」

「においは私たちを情動的・感情的に動かす。」

「鼻は眼がやるように、知覚対象の空間特性を伝えるわけではない。しかし私たちは鼻を使って、そうした対象に対して空間行動ができる。」

「においの知覚の空間性は身体化される。嗅覚における強度のコード化は、空間内の行動に対する評価を可能にするが。それは視覚のように、空間を構成するコード化ではない。そうではなく、においは外部空間の包括的な非嗅覚系の計算に頼ることによって、定位行動に加わる。」

(「第8章 におい地図から、におい測定へ」より)

「嗅覚の神経表象は個別化されている。においの定型的な地図はない。生物の脳内の物理的刺激空間を知覚空間と結びつける、一般化できる秩序はないのだ。それでも、においに規則がないわけではない。客観的な測定は、信号を伝える断片を訂正可能な知覚判断へとコード化する計算プロセスだ−−−−知覚者の生理学的状態と、環境中の変化する刺激の比率に応じて継続していく反応である。
 嗅覚はコード化と計算が動的である。その神経評言は、固定的な表象ではなく個別の表象によって機能する。」

「嗅覚の知覚空間は、経験空間として計算される。文脈中の情報を−−−−具体的には変わりやすい混合物を−−−−評価する動態測定器として、嗅覚は働く。信号伝達する断片に柔軟な再配列は、嗅上皮に分散している受容体の組みあわせ論ちょして始まり、嗅球での環境統計の表象、そして神経レベルでの個別の計算スケーリングという、嗅覚経路独特の設定によって可能になる。こうして脳は鼻を用いて世界を測定するのだ。当然、こうしたコード化原理は、におい知覚に現れる。」

(第9章 スキルとしての知覚」より)

「においは単一の均質なものではな。単一のにおい物質でも、さまざまな質的意味を伝える可能性がある。概念レベルでは、脳がにおいのイメージを積極的につくり出すチャンスが与えられる。一般的に認められている知覚理論が示唆するような、刺激をそのまま映し出して再現するものではない。この知覚における概念内容の構築は、嗅覚が遭遇する感覚経験とは切り離せないし、そこに取ってつけるものでもない。それどころか、このプロセスは感覚処理に複雑織り込まれているのだ。
 したがって嗅覚の客観的価値は、特定の刺激に結びつく経験が同じだということではない。嗅覚の客観性は、情報コード化の原理にあるのだ。(・・・)要は、感覚系がどういぇって刺激の情報を理解するか、である。」

「嗅覚へのカギを握るのは、その連想記憶の機能であり、においは強化された経験によって習得された連想の表象として作用する。だからこそにおいは、単独で投与されると特定するのがとても難しい。専門化として訓練されていない場合、鼻はどうやってにおいと概念内容を結びつけるかというと、文脈中でそのにおいに触れるのであって、きまってほかの感覚手がかりもある。そのため普通の日常的知覚において、においは認知作用に助けられながら、脳が背景として、あるいは意識の指針として利用する、経験にもとづくタグの役割を果たすのだ。
 実際、こういうときほど心の鼻が利くことはない。」

(「第10章 要点」より)

「においの知覚内容は、おもに「においオブジェクト」の実例としてではなく、「においの状況」について、分析されなくてはならない。においの状況は文脈に応じた神経系による判断のための知覚尺度を表し、そこでは入力の手がかりが時間的関係と学習された連想の観点から統合される。」

「現実は目に映るものだけではない。知覚の包括的理論は視覚の理論に還元できない。感覚には分岐進化した歴史がある。視覚は比較的遅くできたもので、化学受容のほうが進化の岐路では早く現れていた。(・・・)
 視覚はとても優れた感覚系であり、現代神経科学の考え方を築いた。しかし本質的に視角中心のアプローチは、「ほかの感覚」に対する誤った優越主義を生んだ。視覚のレンズは、知覚とその機能や条件についての考え方を枠にはめてしまった。知覚とは何だと考えるかに、決定的な影響を与えたのだ−−−−「ほかの感覚」がいくつあるかは言うまでもなく。何であるかも十分に理解されていないことを考えれば、おかしな結論である。(・・・)
 現代の感覚科学は、数え方や分類の目的によっては、最大二七の感覚様相があると推定している。触覚、固有受容感覚、内受容感覚など、標準的な知覚モデルには与えはまらない感覚がたくさん存在する。こうして感覚はアフォーダンスによる行動がさまざまで、生理的な機能や現象が異なる。」

「このような感覚の多様性に照らして、少しの間、嗅覚ではなく視覚が異質なものかもしれないという考えを受け容れてほしい。視覚系はとても異例である。大ざっぱに言って、視覚系は三次元の環境を二次元の網膜像に変換して、特定の特性(形、色、動き)を抽出したあと、奥行きを加えて三次元の心的イメージを再構築する。これは触覚の計算の仕組みとは異なる。味覚その他の感覚系の仕組みとも異なる。
 視覚は、予測できる刺激から情報を抽出することによって、空間ナビゲーションの仕事と直接結びつく、きわめて特異的な神経組織をともなう感覚である。しかし触覚や嗅覚など多くの感覚は、予測不能な刺激に反応するよう発達した。規則性はあっても予測可能性をともなわない感覚もあって、たとえば内受容感覚は恒常性(心拍やホルモンバランスのような生理的プロセスにおける安定した均衡)を条件とする。したがって、視覚の理論化は知覚の包括的理論の土台にはなりえない。」

「知覚効果は、その発生という視点からの理解を必要とする−−−−明確にそのコード化を、つまり計算と神経系の原理を見ることだ。このアプローチはかつてパトリシア・チャーチランドが、神経哲学と名づけたものの仕事である。「心を理解することは脳を理解することを意味する」。脳を理解するためには、その構造と配置に注目するだけでは不十分なのだ。」

【目次】

はしがき

序章 鼻から突っ込む
知覚神経科学の現代モデル
実験台の前の哲学者
空気から脳へ、そして心のなかへ

〈第1章 鼻の歴史〉
古代の哲学
中世の宇宙論
近代の分類学
化学の出番
一九世紀末の生理学
二〇世紀初期の心理学
二〇世紀前半
二〇世紀半ば以降

〈第2章 現代の嗅覚研究――岐路に立つ〉
ノーベル賞の鼻
神経科学のパラダイムとしての視覚系の勝利
神経地図形成の基本形式
鼻神経から嗅覚脳へ
嗅覚研究はどこへ?

〈第3章 鼻を意識する――においの認知〉
二つの嗅覚
意識的に知覚されるにおい
認知対象としてのにおい
におい知覚の内容は原因となる物体とイコールではない
物のにおい
心の要素としてのにおい

〈第4章 行動はどうして化学を感じるのか――においの感情的性質〉
においの記憶――プルーストが言い忘れたこと
変化する経験対象としてのにおい
嗅覚信号の知の枠組み機能
愛、汗、涙
フェロモンの歴史を少し

〈第5章 空間で――鼻から脳へ〉
においの物理刺激と空間
嗅ぐ行為と身体の空間
神経空間

〈第6章 分子から知覚へ〉
欠けている環
化学から生物学へ
生物学のブラックボックス
目の見えないホムンクルス
分子化学が香料製造と出合うところ
嗅覚脳は感覚情報をどう表象するか

〈第7章 嗅球につく指紋〉
たった二つのシナプスを通ってまっすぐ大脳皮質へ
見せかけの単純さ
嗅球を分析する
におい物質それぞれの指紋
あらかじめ定まった地図はない
嗅球地図のように見えるもの
地図モデルを超えた刺激の表象

〈第8章 におい地図から、におい測定へ〉
カオスな世界に対処する柔軟なシステム
世界を測定する
エニグママシン 出力パターンの重要性
におい受容体での優先コード化
神経レベルの集団コード化
信号の解釈は三幕構成
一般の原理、個別の表象
神経科学を心理学に結びつける

〈第9章 スキルとしての知覚〉
「主観的」というレッテルを外す
においの認知マッピング
専門家の鼻の秘密
嗅覚の専門家は観察で技能を磨く
認知的手がかりとしての言語
知覚レパートリーの構築
知覚の専門技能は分野特化型
におい経験の認知構造
変化する環境内の経験にもとづくタグ

〈第10章 要点――心と脳をのぞく窓としての鼻〉
鼻が眼と交わるところ
知覚の理論は視覚の理論ではない
嗅覚の何がそれほど特別なのか
個人的な要点

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