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『影の不思議: 光がつくる美の世界』

☆mediopos-2418  2021.6.30

光のあるところには
必ず影ができる

影はつねに
私とともにあり
さまざまに濃淡を変化させてゆく

光に照らされると
光源と反対側に影が投げかけられる
それをキャストシャドウという

そのキャストシャドウは
投影としてもとの形を表すものの
もとの形そのままではなく
歪んだ形となる

プラトンは『国家』において
洞窟の比喩で
地上世界では影としてしか
本来のものを理解できないと示唆しているが
その影はキャストシャドウとして
さまざまに歪んで現れている

影の比喩は
わたしたちの魂について
理解するのに役立つ

光のあるところには
必ず影ができる
光はなにかに遮られることによってしか
光として現れることができないからだ
わたしたちは常に影とともにあり
影から離れて生きてはゆけない

影はしばしば
暗くネガティブなものに
関わることが多いため
みずからの影を恐れ
それを無意識に閉じ込めたりもする

フロイト的にいえばそのとき
影は暗い無意識の衝動となって
その暗いところから働きかける

フロイトは意識化することで
影をコントロールしようとしたとが
ユングは影を両義的な存在ととして
肯定的に捉えようとした
影の働きの危険性を踏まえながら
光と影の両面をもつ魂を
錬金術的に統合しようとしたのだ

ユングは言う
「人は光の形を想像することによって悟るのではない。
闇を意識することで悟るのだ。」

ウィリアム・ヴォーンの『影の不思議』には
こんな示唆的な言葉もある

「自分の中の悪魔を追い払うのは難しい。
なぜなら、他の誰も抱きしめてくれない時、
悪魔は抱きしめてくれるからだ。」

みずからの影から目を逸らそうとするとき
むしろ悪魔は甘い言葉で近寄ってくる
その言葉に従ってしまうとき
光だと思っているものこそが
悪魔としての闇そのものなのだが
そのことに気づけなくなるのだ

まずみずからの影を影として捉え
少しずつでも自覚的に影と対峙していくこと
そうすることで魂は統合への道を歩むことができる

■ウィリアム・ヴォーン(駒田曜 訳)
 『影の不思議: 光がつくる美の世界』(アルケミスト双書)
 (創元社 2021/6)
■河合隼雄『影の現象学』
(講談社学術文庫 1987.12)

(ウィリアム・ヴォーン『影の不思議』〜「はじめに」より)

「影とは何か? 物体が光線を遮ることで生じる暗い部分のことだ。」
「影は光と密接な関係にある。影と光は相反しつつ互いに対になるもの、陰と陽である。両者は一緒になって宇宙の根本的二重性のひとつを形成する。すなわち、互いに自らの性質を示すためには相手を必要とする対立物なのだ。
 影はわれわれの「物の見方」の中で重要な役割を果たしている。実際、人類は影に対する認識によって根本的に条件付けされてきた。哺乳類が影に敏感になったのは、身を守るため森に住んでいたからだと考えられている。生き延びるために森の影による保護を必要となって久しい人類だが、哺乳類としてのわれわれの目は今も暗闇の微妙なニュアンスを感じとる力を持っている。」

(ウィリアム・ヴォーン『影の不思議』〜「影と魂」より)

「ある意味で、すべての影は心の中にある。われわれが影として見ているものは、目が捉えた光の割合を伝える信号を受け取った脳が作り上げたものだからだ。影に対する心理的な反応もあり、最も強い反応はキャストシャドウ(光に照らされた物体が光源と反対側に投げかける影)に関連して生じる。なぜなら、キャストシャドウはしばしば物体の形を歪めて再現するからだ。(・・・)
 古代の社会においておそらく最もよく見られたのは、人の影と魂を結びつける考え方だろう。」

(ウィリアム・ヴォーン『影の不思議』〜「心理学」より)

「心理学者や精神分析医は、19世紀後半から、人間の心理を捉えるすべを発展させる中で、伝統的な影の概念に取り組んできた。
 精神分析学の祖であるジークムント・フロイトは、影を否定的に捉えた。影は彼にとって、人間の中にある暗い無意識の衝動を表していた。彼の分析のプロセスは、そうした無意識の衝動という本能を明らかにし、人がそれをコントロールするのを助ける意図を持っていた。
 しかし、彼の教え子でありライバルでもあったカール・ユングは、より肯定的な見方をしていた。ユングは伝統的な知恵に関心を持ち、人間の精神には生得的で普遍的で「集合的」無意識の一部をなす「元型(アーキタイプ)」があると考えて、その元型という概念を発展させた。彼は影を、人間の原初的な側面、特に性と生の本能に関わるものとみなした。影は野生、渾沌、未知のものを表し、多くの場合、夢の中で敵、怪物、野生動物の形をとって姿を現すとされた。」

「自分の中の悪魔を追い払うのは難しい。なぜなら、他の誰も抱きしめてくれない時、悪魔は抱きしめてくれるからだ。」

「人は光の形を想像することによって悟るのではない。闇を意識することで悟るのだ。」(C.G.ユング)

「(河合隼雄『影の現象学』より)

「影といってもマイナスのことばかりではない。(・・・)それはマイナスもプラスも共に含むものである。ただ、厳しい対決と自覚を経ぬときは、それは思いがけぬ破壊的な効果を与えるのである。影の恐ろしさを感じすぎる人は、それとの接触を回避し、影のもつせっかくのプラスの面を引き出すことができない。
 影との「つきあい」は危険に満ちているが、その意義も深い。影は「もう一人の私」の存在として自覚されることが多く、私がもう一人の私とどうつき合うか、ということが本書の課題とも言うことができる。」

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