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ヴァンサン・ゾンカ 『地衣類、ミニマルな抵抗』/大村嘉人『街なかの地衣類ハンドブック』

☆mediopos3514  2024.7.1

それまであまり目にとめなかった
街中の身近なところにある地衣類も意識して見るようになったのは
mediopos-888(2017.4.21)で
大村嘉人『街なかの地衣類ハンドブック』を紹介した頃からのこと

地衣類は身近に見られるにもかかわらず
「壁を汚す鳥の糞や、舗道にこびりついたガムの滓と
混同され」ているくらいで意識してそれと見られることは稀だが

森・極地・砂漠・海岸・丘陵・山頂と地面の裂け目等
「何かの縁に位置する空間」に自生していて
都市部においても「いわゆる「荒地性」の空間」なども
その棲処としている

地衣類は菌類がそうであるように植物でも動物でもない
しかも「一見すると単独の生物のように見える」のだが
「菌類が藻類と共生して成り立っている複合体である」

菌類は「いわば《家》となる「地衣体」全体を作って、
中にいる藻類を乾燥や紫外線から守」り
「《住人》である藻類は光合成を行い菌類に栄養を与え」
両者は持ちつ持たれつの共生関係で成り立っている」のである

『地衣類、ミニマルな抵抗』の著者ヴァンサン・ゾンカは
文学や哲学を学びながら地衣類に出逢い
「地衣類学者との交流を通じてさらなる奥深い世界の扉を開け」
「科学と文学、芸術という異なる世界を
地衣類によって繋げ」ようとしている

「ミニマルな抵抗に向けて」という副題は
毒にまみれた極限環境である都市部においても、
「ミニマルな抵抗」をして生き抜き、
環境の監視員の役割を果たしている」地衣類の視点で
「人間現社会が自然に与える影響や
自然との共生の重要性を考え」ようとするところから
つけられているようだ

地衣類を考えるということは
「この世界の縁に立って考えることであり、
また同時に、世界からの逸脱をふまえて
地衣類と対面することでもある」

「地衣類は現代社会から見て正反対の位置に」あり
「成長が極端に遅く、一年に数ミリしか伸びないものすらあり、
しかも共生の状態で生きる」

だからこそ「地衣類には複数のアイデンティティが生まれ」
現代社会への「控え目な抵抗のモデルになる」

しかも菌類と藻類が「共生」することで
「変化に富み、時に混乱する生態系の中で生き」る能力を
「相互扶助や共生の概念」として
生物全体を考えるためにも拡張させることができる

こうした地衣類のように
「縁に位置」しながら
「控え目な抵抗」をして生きることこそ
これからの時代を生き抜くひとつの鍵となるかもしれない

■ヴァンサン・ゾンカ (宮林寛訳)『地衣類、ミニマルな抵抗』
 (みすず書房 2023/10)
■大村嘉人『街なかの地衣類ハンドブック』(文一総合出版 2016/10)

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜大村嘉人「地衣類が紡ぎ出す世界」より)

*「地衣類は、一見すると単独の生物のように見える。しかし、その正体は菌類が藻類と共生して成り立っている複合体である。構成している菌類は、いわば《家》となる「地衣体」全体を作って、中にいる藻類を乾燥や紫外線から守る、そして《住人》である藻類は光合成を行い菌類に栄養を与える。このように両者は持ちつ持たれつの共生関係で成り立っている。」

*「一九八七年生まれのフランス人、ヴァンサン・ゾンカは文学や哲学を学んだ背景を持つ。一見地味な存在の地衣類に出逢った彼は、地衣類学者との交流を通じてさらなる奥深い世界の扉を開けることになった。本書は、科学と文学、芸術という異なる世界を地衣類によって繋げようという彼の情熱が生み出したものである。そして、「ミニマルな抵抗に向けて」という原書の副題には、自然に対して抱くべき人々の意識への強いメッセージが込められている。彼は「地衣類はグローバル化した世界の縁に身を置き、抵抗の姿勢を崩さない生物だ」と述べている。これは、地衣類が人間によって作り出された、毒にまみれた極限環境である都市部においても、「ミニマルな抵抗」をして生き抜き、環境の監視員の役割を果たしている。そして地衣類の視点から人間現社会が自然に与える影響や自然との共生の重要性を考えるきっかけを提供していると解釈できる。」

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜エマヌエーレ・コッチャ「序 種の区分を超えて――」より)

*「地衣類を————「縁に身を置き、抵抗の姿勢を崩さない生物」を————新しい生物学的な省察の中心に据えることで、ヴァンサン・ゾンカの本が打ち出したのは、一種の生物学的コミュニズムだった。時に「レプラ性」「膿疱性」「結節性」の生物として描かれ、植物でも、動物でもなく、単一体ですらない地衣類は、アイデンティティの分配規則を見直すよう強いてくる。さらにまた、あらゆる種を偶発事と捉えたうえで、生物個体の実在と、そこから生まれる出会いによって、偶発事を乗り越えるよう強いてくる。」

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜「第一部 ファーストコンタクト/憎まれ役」より)

*「誰にでも馴染みのある地衣類を、本当に知る者はどこにもいない。」

「森ではコケや樹皮と、街中では壁を汚す鳥の糞や、舗道にこびりついたガムの滓と混同されれば上出来だ。そんな地衣類だから、確たる身元があるようには見えず、ただ「体液」の乱れに起因する気紛れにすぎないとも思えてくる。どこからともなく漏れ出たもの、体が輩出したもの、自然が生み出し、注意してかからないと劣化し、増殖をくりかえすもの。無視された末に、道を逸れたもの。」

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜「第一部 ファーストコンタクト/科学への挑発――地位の保全、横並びの脱却」より)

*「地衣類は分泌物でもなければ、寄生生物でもない。科学が進歩するにつれて少しずつ明らかになったのは、石や、地面や、樹木など、地衣類が生える基物は着生の支持体にすぎないということである。地衣類が基物から栄養を得ることは一切ないのだ。」

「共生を営む地衣類は、その地衣体の中で、最低でも二つのパートナーは連合することで成り立つ、きわめて特異な生物だ。基本となるのは子嚢菌類で(忠類全体の九〇%を占める)、菌糸と呼ばれる繊維によって。上皮層近くに位置する髄層に、葉緑体をもち、養分の摂取を助ける顕微鏡サイズの細胞を取り込んでいるが、取り込まれるのは主として単細胞藻類か、シアノバクテリアである。時に別の菌類(担子菌類の酵母)が上皮層、すなわち地衣体の表層に存在することもある(この、第三のパートナーが見つかったのは、つい最近、二〇一六年のことだ)。こうして地衣類は時として二通りの内的共生が起こる場として認識されるようになった。つまり上皮層における菌類同士の共生が、菌類と藻類による共生体の内側で起こるということで、それを一まとめにして地衣類と呼ぶようになったのである。」

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜「第四部 共生の思考に向けて」より)

*「地衣類でとりわけ目につく特徴の一つは共生的性質だろう。なにしろ地衣類は単一の個体に二つ以上の共生パートナーを住まわせることができるのだ。「フォトビオント」(光合成を丹党し、そのため地衣体の上皮層付近に位置することが多く、太陽光の間近で含窒素物質と含炭素物質、あるいは糖とタンパク質を菌類に提供する藻類————藻類に代わってシアノバクテリアが共生パートナーとなることもある)、そして「マイコビオント」(構造体、すなわち保護的環境を藻類に提供するだけでなく、水や、光合成に必要な二酸化炭素とミネラルをもたらす菌類)。時としてこれに第二の「マイコビオント」(担子菌の「酵母」)が加わって、地衣成分の合成に関与する場合もあるし(・・・)、他にもまだ顕微鏡サイズの共生パートナーが考えられる。」

*「「地衣化」とは、協働に向けて開かれた、いわば多孔質の生き方を作り出すことである。一般に地衣類は菌類の「栄養戦略」から結果的に生まれたと考えられている。それもそのはず。菌類は従属栄養生物なのだ。つまり(人間と同様)栄養になる有機物を自分だけでは作ることができないのである。だから当然、他の生物に頼るしかない。土壌の分解(腐食生物の働き)を利用することもあれば、他の生物に寄生する、あるいは菌根や地衣類の事例が示すように、それらと連合を組む場合もある(対する藻類は独立栄養生物である。無機物とミネラルから、光合成によって自身の体組織となる有機物を作り出すからだ)。その意味で地衣類は、土壌の分解に依存する生活から抜け出すために、いわばガラスの温室で藻類を育てることで、水辺よりも高い場所で生きられるようになった菌類だ。地衣類を植物から区別する従属栄養摂取に照らす限り、その場を動かない菌類は本質的に共生生物であると考えられる。つまり共住を強いられた生物である。」

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜「第四部 共生の思考に向けて/共に住まう」より)

*「地衣類を思考の(抵抗の、相互作用の)モデルにすれば実に実り多い成果を期待できる。ぼくたの生物理解を根底から覆す一方で、今の世界を考えるための鍵が手に入る。」

**(ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
   〜「反歌 小さな胞子」より)

*「地衣類を考えるとは、この世界の縁に立って考えることであり、また同時に、世界からの逸脱をふまえて地衣類と対面することでもあるのだ(地衣類はぼくら人間のセンチネルである)。地衣類を考えるとはつまり「人新世」の基礎となった論理をより深く考え、その解体を目指して世界との境目に身を置くことである。そういえば、地衣類が自生する場所は、森(語源どおりに読めば「除け者」にされ「追いだされた」木々)、極地や砂漠、海岸に丘陵、山頂と地面の裂け目など、いずれも何かの縁に位置する空間だが、これに加え、ぼくらが暮らす都市中心部に人の手で作られた、いわゆる「荒地性」の空間で生育したり、オルタナティヴな微小生育地を新たに作ったりしながら、都市という組織体との戦いに勝利し、鉱物化と装飾過多から救った自由の圏域も、やはり地衣類の棲み処となっている。」

*「地衣類は、ポスト人新世の世界を考えるにあたって中心的役割を担う。芸術家の作品や思想家の著作に続々と登場しはじめた地衣類から、共生をめぐる幻想の理想論がすべて洗い落とされたとは言いがたいが、それでも二十一世紀初頭に、グローバルな気候変動への気づきを背景に再び見出された共生に思いを巡らすことで、地衣類は「崩壊学」のプリズムで見られかねない世界にあって、倫理と詩的真理、抵抗、そして「生き残り」のモデルを提供してくれる。」

*「ぼくらの時代の読にまみれた風景の中で、地衣類は生命の兆しであり、環境破壊の指標としても重要だ。単作、遺伝子を組みかえ、殺虫剤を多用する栽培法、森林が伐採された地域、疲弊した土地、汚染した水、目に見えない電波と放射性物質など、問題を数え上げればきりがない。(・・・)

 地衣類にはさまざまな生物学的特徴があり、一部はつい最近発見されたものだが、それらがすべて、ぼくらの現在地を別様に考えるための明確な道筋を示している。地衣類は、変化に富み、時に混乱する生態系の中で生きるその能力によって、控え目な抵抗のモデルになるのだ。その場を決して動かないため、支持体のすぐ近くにあると同時に、全身を空に向けていることも忘れてはならない。結局のところ、フランスの地衣類学者、ジョエル・ブスティが総括したように、「地衣類は現代社会から見て正反対の位置にある。成長が極端に遅く、一年に数ミリしか伸びないものすらあり、しかも共生の状態で生きる」からこそ、地衣類には複数のアイデンティティが生まれるのだ。」

*「地衣類はまた、現在の世界を理解できるようにしてくれた重要モデルの、そもそもの起原である。地衣類があったからこそ、相互扶助や共生の概念を(そして共生の発見における、地衣化、あるいは菌根化した従属栄養菌の中心的役割を)科学的に理解できるようになり、これらの概念が生物全体を考えるために拡張されることにもなったのだ。」

**(大村嘉人『街なかの地衣類ハンドブック』より)

*「「地衣類は私にとって小宇宙のような存在です。子どもの頃、天体望遠鏡に夢中だった私は、毎晩のように月のクレーターを望遠鏡で眺めていました。その後、天文学者への道は目指しませんでしたが、高校の恩師の影響もあって生物学の分野へ進み、大学で初めて地衣類を知りました。実体顕微鏡で様々な標本を見せてもらっているうちに、なんと月面のクレーターのような色と形の地衣類に出合ったのでした! 地衣類は今までに視界に入っていたはずなのに、この“宇宙”に気づかなかった自分にも驚きました。しかも共生体! 南極や砂漠などの極限環境にも生きている! など不思議な性質にも好奇心をかき立てられ、その日から地衣類の勉強をしていこうと決めたのでした。」

*「地衣類は、熱帯から極域にかけての海岸から高山まで分布しており、地球の全陸地の約6%を被っていると見積もられています。土や岩石、樹皮、あるいはコンクリートや屋根瓦といった人工構造物など、様々な基物に着生し、生葉上に地衣類が生育することもあります。日本で約1,800種が知られており、世界では3万種以上と推定されています。」

*「20世紀前半、世界各地の大気汚染の深刻な都市部から地衣類が消滅する現象が報告されました。ひどい地域になると、葉状や樹枝状となる大型地衣類が全滅して「地衣砂漠」とよばれる状態になっていることもありました。その後、野外調査や室内での実験によって、地衣類の消滅は大気中の二酸化硫黄が原因となっていることが確かめられたのです。」

□ヴァンサン・ゾンカ『地衣類、ミニマルな抵抗』
 目 次

地衣類が紡ぎ出す世界――大村嘉人
序 種の区分を超えて――エマヌエーレ・コッチャ

第一部 ファーストコンタクト
はじまり

憎まれ役
科学への挑発――地位の保全、横並びの脱却
慣習と迷信
地衣類のエロス

第二部 記載し、命名し、表象する
具象化への挑発
  自然のイメージ/具象表現/『夢の植物相』
Music=mushroom
極東、コケとワビ-サビ

第三部 環境詩学――生の力と抵抗
荒地性
ルソーの散歩
センチネル種
「太陽の地衣と蒼穹の鼻汁」
「スバルバロの国」の土蛍
生態学的予兆
弱さ、抵抗
現代の「詩的倫理」
  ハイメ・シレス――実存の風景とゴンゴラ的衒飾/ヌーノ・ジューディスーー地衣の竪琴に乗せて/アントワーヌ・エマーズ――耐えよ、さすればいつか/オルビード・ガルシア・バルデス――緑の微光/ジャック・ラカリエール――熱狂と廃滅
「弱者の蜂起」
微小生育地

第四部 共生の思考に向けて
地衣類のポリティクス――共生の起源に戻って
キマイラ、吸血鬼、その他よくある怪物
「第三の場所」
共に住まう

反歌 小さな胞子

謝辞
訳者あとがき

原注
図版について
地衣類名索引
人名索引

○ヴァンサン・ゾンカ
(Vincent Zonca)
1987年ディジョン生まれ。作家、美術評論家。リヨン高等師範学校で比較文学の博士号を得る。現在、在カナダ・フランス大使館書籍・グローバル討論部門の文化アタッシェ。2021年1月、本書を出版。文化や知識(哲学、人類学、植物学、都市計画、文学、現代アートなど)を組み合わせることで、エコロジーと人新世の現状を考察している。とりわけ「無視された生物多様性」、共生、里山、野生種、都市の自然に関心を持っている。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

○大村嘉人
(おおむら・よしひと)
1970年静岡県生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士後期課程修了。博士(理学)。専門は、植物分類学(地衣類)。地衣類の進化、多様性、生態の研究とその学際的応用。現在、国立科学博物館植物研究部菌類・藻類研究グループ長。筑波大学グローバル教育院教授。地衣類研究会編集幹事。学術誌、専門書への寄稿多数、『街なかの地衣類ハンドブック』(文一総合出版、2016)など一般書も著している。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

○エマヌエーレ・コッチャ
(Emanuele Coccia)
1976年生まれ。イタリアの哲学者。フィレンツェ大学で中世哲学の博士号を得る。現在、パリの社会科学高等研究院(EHESS)准教授。著書にLa trasparenza delle immagini(2005)や、Angeli(ジョルジョ・アガンベンとの共編、2012)など中世の哲学・神学研究、近年は『植物の生の哲学 混合の形而上学』(勁草書房、2019)『メタモルフォーゼの哲学』(勁草書房、2023)など独自の生命哲学で注目を浴びている。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

○宮林寛
(みやばやし・かん)
1957年生まれ。慶應義塾大学文学部教授を経て同大学名誉教授。専門は19世紀フランス詩とベルギー仏語文学。主な訳書にジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫、2007)、マリ・ゲヴェルス『フランドルの四季暦』(河出書房新社、2015)、シャルル・ペギー『クリオ 歴史と異教的魂の対話』(河出書房新社、2019)、ナタリー・スコヴロネク『私にぴったりの世界』(みすず書房、2022)がある。

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