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谷口 ジロー『歩くひと 完全版』

☆mediopos2627  2022.1.25

『歩くひと 完全版』には
映画監督の是枝裕和氏が初めて谷口ジローについて書いた
寄稿文が書き下ろしで掲載されているが
そこで書かれているように

その魅力は
「「取るに足りないもの」の前で立ち止まる」
ということだろう
「登場人物にその行動、そして風景に、
目的や目標、意味を、意識的に背負わせない」
ということ

時代に遅れないように
目先の目標や目的を追いかけ
それらに追いかけられ続けるような
そんな生を生きるのではなく
身近なところにあるような
「取るに足りないもの」の前で
「立ち止まり、深呼吸を」すること

谷口ジローの絵をいまいちばん目にしやすいのは
『孤独のグルメ』(原作:久住昌之)の作画だろうが
本書『歩くひと』は
その世界にも近しいところがある

街や土地・風景のなかを歩き観察する
そのことで見えてくる世界
もちろん『歩くひと』は猛烈に腹が減って
おいしいものを食べるために
店をさがして歩くわけではない
ただ歩き観察し
ときに少しばかり変な行動をしてみたりもするが
あくまでも歩き立ち止まれるはやさで生きているのだ

『歩くひと』は
1990年から1991年にかけて
連載されていたものだそうだが
2020年年4月〜2021年3月まで
NHK BS4K8Kテレビドラマ化もされていたという
(残念ながら知らずにいた)

本書はカラーページも再現しながら
その全作品を収めた完全版で
さらに2010年にLOUIS VUITTONが刊行した
「TOKYO CITY GUIDE2011」のために描き下ろされた特別編が
初邦訳・全世界で初めて単行本に収録されているほか

さらに特典として
「別冊読本 谷口ジローが『歩くひと』を描いた日々」も付いていて
連載当時の著者「近況報告」や
担当編集者が当時を振り返る文章等も読むことができる

「作者の言葉」にこうある

「なんの変哲もない日常の景色のなかでさえ、
おもしろいものを見つけて楽しんでしまう。
ときどき佇んでぼんやりしたり、木に触ってみたり、
登ったり、石コロを拾ったりします」
「さあ、今すぐにせわしなく走りまわってきた時間を
ちょっと止めて、少しだけ歩いてみませんか。
 ゆっくりとね。」

「取るに足りないもの」として
わたしたちが忘れているものこそが
生きるために必要なのかもしれない
生きるためにこそ
「ゆっくりと」「歩くひと」でありたい

■谷口 ジロー『歩くひと 完全版』
 (小学館 2020/8)

{是枝裕和「カタクリの花」より)

「カタクリの花は群生と呼ぶほど多くなく、あくまでもさりげなく、むしろ「取るに足りない」ものとして、まばらにそこに存在していた。I君がいなければ恐らく僕らは気づかずに素通りしてしまったに違いない。」
「谷口ジローという名前は正直に言えば20年程前までは『「坊っちゃん」の時代』という作品で記憶している程度だった。つまり、個人的にはそれ程重要な名前ではなかった。その存在感が大きく変わるきっかけは、やはり映画だった。2004年に『誰も知らない』という映画を撮って海外の映画祭を頻繁に回るようになって以降、特にヨーロッパで、中でもフランスで「タニグジジローを知っているか?」「君はタニグチが好きだろう」「映画化するつもりはないか?」と、期待を込めた暑い眼差しを向けられることがあまりに多くなったので、そこまで言うのなら、と買って読んでみた。読んで、見事はまってしまった。確かにそこには僕が映画で描きたいと思い、いつも苦心惨憺している人々の小さな営みの積み重ねと豊かさが、これでもかという程丹念な筆致で描かれていた。僕が暮らしていたのと全く同じ時期に、谷口さんが清瀬の台田団地の近くで暮らしていたことなど全く知らなかったのだが、今、それを知って読み返すとそこに描かれている風景のいくつかが、僕の記憶の中に色と匂いを伴って確かに甦る。(・・・)
 しかし、それは、もしかすると単なる僕の錯覚かもしれない。何故なら、谷口さんの作品に登場する風景は細密に描かれてはいるものの、どれも全く、風景としては〝取るに足りない〟からである。少なくとも「名所旧跡」とか「風光明媚」という言葉で形容される類のそれではない。その意味では『歩くひと』に代表される彼の日常モノはどれも、普通ならカメラマンがシャッターを切ったり、画家があえてキャンバスを据えてパレットに絵の具を出そうとは思いもしないものなのだ。風景版『孤独のグルメ』と言ってもいい。」
「登場人物にその行動、そして風景に、目的や目標、意味を、意識的に背負わせない。しかもその「取るに足りないもの」の前で立ち止まる。何をきっかけに谷口さんの姿勢がこんなふうに変化したのか、不勉強な僕は存じ上げないけれど、きっと谷口さんには谷口さんの人生における「カタクリの花」との出会いがあったのではないか、と勝手に想像している。
 高級食材を使った料理だけを食べる人々をグルメと呼ぶのではなく、バブルがはじけて以降、谷口さんが描いたような市井の人々の食文化の中にこそ、愛着だったり、郷愁を私たちはむしろ感じるはずだ。それと同様に、この『歩くひと』や『散歩もの』、さらには僕の大好きな短編集『欅の木』で描かれた街の風景は、それが都市からほとんど消えてしまった今、描かれた当時以上に私たちを、否応なくその前で立ち止まらせる魅力にあふれて見える。それは決して単なるノスタルジーではない。世界が激しく変わろうとしている今、移動する、生活するスピードを私たちは問い直さざるを得ない。谷口さんはそんな時代を予見したかのように、立ち止まり、深呼吸をし、空を見上げて来た。あなたたちは相変わらず時間に追われながら私の脇を、小走りに通り過ぎていくのか。『歩くひと』はそう問いかけている。」

(別冊読本「谷口ジローが『歩くひと』を描いた日」より)

「『歩くひと』は、「週刊モーニング」(講談社)の増刊として月刊ペースで刊行されていた、「パーティー増刊」に、1990年から1991年にかけて連載されました。
 連載時には、作中び縦柱に谷口ジロー氏による「近況報告」が毎回掲載されており、今回、それらを毎回収録いたします。」

(別冊読本「谷口ジローが『歩くひと』を描いた日」〜「近況報告」より)

「●第1話(…)
 やっぱり歩くのはいい。車や自転車では見えないものも、歩いていれば、見えたり聞こえたりする。歩くのは楽しい。歩いていると、なんだか人間にもどれそうな気がするのは、僕だけだろうか。」

(別冊読本「谷口ジローが『歩くひと』を描いた日々」〜「作者の言葉」)

「「歩くひと」はゆかいな人です。のんびりと楽しみながら歩きます。時間なんかまるで気にしません。身も心も軽やかです。だからいろんなものが目に入る。なんの変哲もない日常の景色のなかでさえ、おもしろいものを見つけて楽しんでしまう。ときどき佇んでぼんやりしたり、木に触ってみたり、登ったり、石コロを拾ったりします。やっぱり「歩くひと」はとてもへんです。

 それでもきっと「歩くひと」は私たちが遠くへ忘れ去ったなつかしいののを思い出させてくれることでしょう。
 さあ、今すぐにせわしなく走りまわってきた時間をちょっと止めて、少しだけ歩いてみませんか。
 
 ゆっくりとね。」

☆NHKでTVドラマ化された第1話〜第3話がYouTubeで視聴できます。
リンクは第1話です。

◎Aruku Hito 歩くひと Episode 1 English Subtitles Japan Drama 2020


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