見出し画像

末木 文美士編『死者と霊性: 近代を問い直す』/吉永 進『神智学と仏教』

☆mediopos-2476  2021.8.27

シュタイナーの著作に『神智学』がある

その「神智学」という名称は
ブラヴァッキーの創始した「神智学」を出自とし
『神智学』という著作の記述内容は
多分にその影響を受けているものの
神智学協会から離れたあとの「人智学」は
「神智学」とは異なった内容と展開をみせていくことになる

とはいえシュタイナーの「人智学」を理解するためには
ブラヴァッキー及び「神智学」について
ある程度理解しておく必要があるにも関わらず
「人智学」運動のなかで
ブラヴァッキーについて詳しく言及されることは稀である

ブラヴァツキーはアジアとヨーロッパの緩衝地帯である
ウクライナ(ロシア)に生まれたが
その一家はロシア領内で唯一チベット密教を信奉する
遊牧民たちが生活をしていたカルムィク草原で生活していて
その影響は少なからずあったと考えられる

しかし神智学協会はロシアではなく
おそらく当時のスピリチュアリズムとの関係もあり
アメリカのニューヨークで設立されその後
インドの近代的宗教復興運動と提携しインドに拠点を移すが
さらに(驚くことに)ブラヴァツキーはオルコットとともに
スリランカで仏教の俗信徒としての戒を受けることになる

もともと神智学がその初期において
「秘教的仏教/エソテリック・ブディズム」を自称していたのも
ある意味で神智学こそが本来あるべき仏教であって
それによって世界のあらゆる宗教に総合を与える
という理念があったということだったが
その思想は様々な宗教や
神秘主義思想が折衷されたものでもあった

ちなみに「神智学(theosophy)」は
「theo(神)+ sophia(叡智)」で
すでにキリスト教世界にあった概念で
「隠された神性の内的直観による認識」を意味し
神智学協会のスローガンが
「真理にまさる宗教はない」であったように
宗教ではなく神聖な知識・科学として位置づけられていた

その点でシュタイナーの「人智学」は
そうした神智学のヨーロッパ的な展開の中から
仏教ではなくキリスト教的な背景をもって
展開されてきたということができる

いわゆる「霊統」ということからすれば
シュタイナーの「人智学」は
ブラヴァッキーの「神智学」とは
共通点があるとともに
その源において異なっているといえる

シュタイナーによれば
古来の秘儀の伝統は東西南北の霊統に属し
東の流れが聖杯の秘儀の流れ
西の流れが(位階としての)アーサー王の秘儀の流れ
北の流れがドルイド教の秘儀の流れ
南の流れがヨハネ的な秘儀の流れがあるという

そして薔薇十字会は南と北の霊統を統合し
「人智学」は東と西の霊統を統合し
さらにシュタイナーの晩年の1923年
普遍人智学協会の設立により
南北の霊統と東西の霊統とを統合したのだというが

世界の霊統はシュタイナーの示唆しているような
東西南北の霊統だけでとらえるのはむずかしく
その系統樹ではとらえられないものも
視野に置く必要があると思われる

おそらくブラヴァツキーの神智学の霊統は
同じ秘教的なものを背景とした
神智学的な部分があるとしても源において異なっている
さらにいえばブラヴァッキーにもシュタイナーにも
イスラームの霊統も日本の源にあるだろう霊統も
またその他各地域にある
シャーマニズムなどの霊統も見えてはこない

その意味で
ブラヴァッキーの神智学が
どこか過去へと回帰しがちであるように
シュタイナーの人智学もともすれば
シュタイナーを開祖とする宗教化した運動へと
視野狭窄に陥ってしまいかねないところがある

二一世紀の現代において
これからの霊性の展開と総合・統合を考えていくためには
これまで「空白」になっていた視点にも
目を向けていく必要があるのではないか

とはいえそれ以前に
現代においてもっとも危機的なのは
背景に政治経済的な利害を強くもっている
科学と宗教の原理主義的な展開ではあるのだが・・・

■末木 文美士編『死者と霊性: 近代を問い直す』
  (岩波新書 新赤版 1891 2021/8)
■吉永 進『神智学と仏教』(法藏館 2021/7)
■ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)
 『H・P・ブラヴァツキー夫人/近代オカルティズムの母』
 (神智学協会ニッポンロッジ 1981/4)

(『死者と霊性: 近代を問い直す』〜《座談会》第Ⅱ部より)

「末木文美士/十九世紀において、いま私が関心を持っているのは神智学ですが、その母体となった神智学協会は、ヘレナ・P・ブラヴァツキー、ヘンリー・S・オルコットらによって、一八七五年に設立されました。宗教・哲学・科学のある種の統合を目指して、人間の潜在能力を考究することが重要視されました。神秘思想とも言えますが、これまで、ほとんどまともには取り上げられてこなかった。調べて見ると、神智学に関する学問的な研究というのは皆無ですね。逆に言うと、危ない世界の側にあるもの、つまりは「近代」でありながらその外側にあるものと見られていた。にもかかわらず、それぞれの宗教が持つ伝統的価値を尊重することで、社会的にも政治的にも独特な役割を果たしたと言えます。
 比較宗教学のフリードリヒ・マックス・ミュラーが、アジアの諸宗教の聖典の英訳を集成した『東方聖書』の刊行を始めるのが、一八七九年です。全五〇巻の完結は一九一〇年ですが、ヒンドゥー教、儒教、仏教、イスラーム、ゾロアスター教などの主要な聖典をヨーロッパの人も読むようになっていく。次には、それがアジアのほうに逆輸入されていくわけです。たとえば、一八八一年にオルコットが編集した『仏教問答』は、スリランカの仏教復興にもつながっていくし、柳宗悦や鈴木大拙を通して日本にも深い影響を与えていく。そういう、いわば東洋と西洋のキャッチボールみたいなものが始まっていく十九世紀後半において、神智学は大きな役割を果たしているのではないか。ちょっと驚いたのは、インドの国民議会派は、神智学協会の二代会長のアニー・ベサントが深くかかわっているんですね。インドの独立運動にまでかかわってくるような、そのようなかたちで、神智学をとらえ直していく必要があるかもしれない。安藤さんが詳しいところだと思うので、そのあたりのところを教えていただけますか。

安藤礼二/二〇〇〇年ぐらいから、それまで非常に怪しいオカルティズムの運動ということで正面から論じられてこなかった神智学が、近代インドの独立運動ですとか、近代日本の神道改革運動や仏教改革運動、そういった広義の近代的な宗教改革運動にきわめて甚大な影響を与えているのではないかということで、ようやく真面目な研究の対象になってきたと言えます。
 神智学を打ち立てたヘレナ・P・ブラヴァツキーは、ロシア(ウクライナ)に生まれた女性です。ロシアというのは、まさにアジアとヨーロッパの緩衝地帯ですね。ブラヴァッキーは一八三一年に生まれ、九一年に亡くなるのですけれども、神智学協会を設立したのはロシアではなくて、アメリカのニューヨークです。ようやく最近になってその全貌が明らかになりつつある事実なのですが、ブラヴァッキーの一家は、ロシアのコーカサス地方を放浪する生活を送っていました(・・・)。黒海からカスピ海にまたがるカルムィク草原です。ここにはロシア領内で唯一チベット密教を信奉する遊牧民たちが生活をしていました。つまりブラヴァッキーにとってチベット密教は幼少期から馴染みのある教えであったのです。しかも二八歳でこの世を去るその母親(エレーナ・ガン)は、将来を嘱望された小説家であり、カルムィクの仏教徒たちを主題とした小説『ウトバーラ』を書き上げています。「青蓮華」のサンスクリット表記に通じていますが、どこまで意図していたかは判然としません。
 その初期、神智学は「秘密仏教(秘教的仏教)」、エソテリック・ブディズムを自称していました。その呼称はまんざら誤りではなかったのです。密教は仏教の人間的な始祖、ゴータマ・ブッダを重視しません。人間を含め森羅万象あらゆるものを産出する根源的な存在、法身を何よりも重視します。その上、カルムィク草原では、そのような大乗仏教の密教的な展開と、一神教の極であるイスラームが相互に浸透する状態にあったとも言われています。無神論の極と一神教の極が、あらゆるものを自身のうちから産出する根源的な存在、法身というヴィジョンのもとで一つに結び合わされていたのです。ブラヴァッキーは、おそらくはそのような背景をもとに、一神論、多神論、無神論が生みだされてくる太古の根源的な宗教の教えが再発見されたと称しました。「一」と「無」の間で「多」がはじめて可能になるのです。そうした教義の再発見(実は創出なのですが)を、新たな世界交通の中心地、アメリカで宣言したのです。密教こそが新たな世界宗教、グローバルな世界宗教の骨格になる、と言う訳です。それだけではありません。現代によみがえった太古の根源的な宗教は、未来を切り開いていく近代的な科学の教えとも背馳せず、逆のその未知の可能性を指し示すものだとさえ主張しています。
 神智学は近代に勃興してきた二つの科学と結びつき、それらを自らのなかに取り込んでいます。一つは心理学です。まさに心の奥底の探求です。もう一つが生物学、生命の根源を探求する進化論なのです。海底を漂う最も小さな生命体、同時代の進化論生物学者エルンスト・ヘッケルが観察しその詳細を発表した「放散虫」のようなもの、無機物と有機物の性質をあわせ持った根源的な生命体(ヘッケルはそれを「モネラ」と名づけました)からあらゆる生命体が、系統立てて進化してきたのだという考えを換骨奪胎していきます。精神と物質の根源である霊的な種子から我々をはじめとするあらゆる生命が生まれ、それゆえさらに霊的な進化を続けていく、というヴィジョンです。根源的な神とは霊的な物質にして霊的な種子なのです。そこから生命という樹木が繁茂していく。まさに霊的進化の曼荼羅です。ちなみに、いわゆる生命の「系統樹」をはじめて提示したのは、ブラヴァッキーが自身の教義の中に取り入れたエルンスト・ヘッケルその人でした。
 さらにブラヴァッキーは、末木さんが先ほどおっしゃったマックス・ミュラーの『東方聖書』に結実していく諸著作を熱心に読み込んでいきます。世界のあらゆる宗教が、根源的な一者からの発生にして流出を説いていいる。新プラトン主義の流出論、つまりはプロティノスの哲学や、そこから一神教が発生したと位置づけ直されたユダヤのカバラ思想などを、ブラヴァッキーは自身の宗教体系に取り入れていきます。ユダヤ教、キリスト教、イスラーム、さらにはチベット密教、そしてアートマンとブラフマンが一致するというヒンドゥーの「不二一元論」まで、世界のあらゆる宗教を生みだし、それゆえ世界のあらゆる宗教に総合を与えるものこそが神智学だと言うのです。」

「神智学のヨーロッパ的な展開の中から、ルドルフ・シュタイナーの思想が生まれてきます。シュタイナーは神智学協会とは決裂するのですが、明らかに同じヴィジョンをもって自らの道、総合芸術運動にして総合教育運動の道を歩んでいきます。(・・・)ブラヴァッキーの神智学もシュタイナーの人智学も、近代的な意味での国教、国家という概念を超えてしまう、いわばトランスナショナルな運動を内包しています。」

(『神智学と仏教』より)

「神智学は、スピリチュアリズムの流行から派生した運動である。ただし、スピリチュアリズムでは死者霊の働きで心霊現象が起こるとするのに対して、神智学(あるいはブラヴァッキー)は、スピリチュアリズムを批判したフランスの元社会主義者アルフォンス・ルイ・コンスタン(筆名エリファス・レヴィ)に影響を受け、魔術は意志の科学であり、心霊現象の原因は死者霊ではなく生者の意志であると主張する。さらにオカルティズムという用語を使い、カバラ、錬金術、占星術などさまざまな隠秘学(オカルト科学)に一つのシステムを与えようとした。一八七七年、ブラヴァッキーは最初の大著『ヴェールを剥がれたイシス』を出版する。彼女の思想の基本は二つあります。まず、魔術は科学であり、科学的法則を応用することで超常現象は起こるというもの、もう一つは、古代の普遍的な「知恵」からさまざまな宗教が派生し、ヘルメス、モーゼ、オルフェ、ピタゴラス、プラトン、イエスなどの賢者がその「知恵=宗教」の伝授者という宗教史観である。ただしこの時点では、彼女の思想は基本的には西洋オカルティズムの範囲内にあった。
 一八七八年、オルコットとブラヴァッキーの二人は、インドの近代的宗教復興運動であるアーリヤ・サマージと提携して、インドに拠点を移す。この提携は、インド移住後まもなく解消され、その後一八八〇年、二人はスリランカで仏教の俗信徒としての戒を受ける。この後ブラヴァッキーは、チベットに住むとされるモリヤやクート・フーミというマハトマ(あるいはマスター)から教えを受けるようになった(とされる)。
アラハバードのPioneer紙の編集者であったアルフレッド・パーシー・シネット(一八四〇〜一九二一)は、ブラヴァッキーの周辺に起きる超常現象に魅せられ、マハトマとの文通を開始する。ブラヴァッキーの周辺で起こった超常現象などについて書いた『隠れた世界』(Occult World,一八八一年)、マハトマとの質疑応答で教えられた仏教教義をまとめた『秘密仏教』(Esoteric Buddizum,一八八三年)の二著を発表するが、これが国際的なベストセラーにとなる。それまでエドウィン・アーノルドやウジェーヌ・ビュルヌフ、マックス・ミュラーによって紹介されていた日常的、人間的、倫理的な仏教とは異なる、超自然的で神秘的、形而上的な仏教であった。
 ブラヴァッキーは一八八八年に第二の大著『秘密の教義』(Secret Doctrine)を発表し、『秘密仏教』で開陳された教えをさらに展開する。」

※以下、各【目次】紹介

■末木 文美士編『死者と霊性: 近代を問い直す』【目次】

《提 言》近代という宴の後で┄┄┄┄┄末木文美士

《座談会》死者と霊性――末木文美士(司会)・中島隆博・若松英輔・安藤礼二・中島岳志

第Ⅰ部
はじめに――コロナ禍のなかで
死者とのつながり方
転換期としての二〇〇〇年代
二つの震災をめぐって
一〇〇年単位と一〇〇〇年単位
第Ⅱ部
「近代」のとらえ方
一九世紀のグローバル化と神智学
インドの近代と霊性
中国の近代と霊性
日本の近代と霊性
言語の余白について
第Ⅲ部
死者たちの民主主義
「政教分離」と「メタ宗教」
「宗教」と「国家」の再定義へ
「メタ宗教」の条件
天皇と国体をめぐって
哲学と宗教の再興に向けて

死者のビオス┄┄┄┄┄┄中島岳志
死者と霊性の哲学――西田幾多郎における叡知的源流┄┄┄┄┄若松英輔
地上的普遍性――鈴木大拙、近角常観、宮沢賢治┄┄┄┄┄中島隆博
「霊性」の革命┄┄┄┄┄安藤礼二

あとがき

■吉永 進『神智学と仏教』【目次】

序 章 似て非なる他者―近代仏教史における神智学―

I 神智学の歴史
第一章 チベット行きのゆっくりした船―アメリカ秘教運動における「東洋」像―
第二章 近代日本における神智学思想の歴史
第三章 明治期日本の知識人と神智学

II 仏教との交錯
第一章 仏教ネットワークの時代―明治二〇年代の伝道と交流―
第二章 オルコット去りし後―世紀の変わり目における神智学と〝新仏教徒〟―
第三章 平井金三、その生涯

III 霊性思想と近代日本
第一章 仏教雑誌のスウェーデンボルグ
第二章 大拙とスウェーデンボルグ―その歴史的背景―
第三章 らいてうの「天才」

終 章 神智学と仏教、マクガヴァンとその周辺

解題 吉田久一から吉永進一へ(碧海寿広)

初出一覧/あとがき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?