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石川九楊『ひらがなの世界──文字が生む美意識』/「ひらがな語のスタイル──『ひらがなの世界』あとがきのあと」

☆mediopos3604(2024.10.1)

「日本語を書記するために、
漢字、ひらがな、カタカナの三種の文字があるのではない。
三種の文字とともにある言葉が日本語をつくっている」

このもっとも基本的な日本語理解に基づきながら
石川九楊『ひらがなの世界』は書かれている

『万葉集』はすべて漢字(万葉仮名)で書かれた歌であり
その万葉仮名から平安時代中期九〇〇年頃
「ひらがな=女手」は生まれ

九〇五年に編纂された『古今和歌集』は
その新生のひらがなで書かれた

『万葉集』の歌は
もともとあった歌謡を表記したものとは言い難く
「声と文字のあいだには千里の径庭がある」

当時使うことのできる文字は漢字だけだったので
表記する方法は
漢字を表音文字として宛字のように記述する方法と
漢字の意味から字を宛てる方法のふたつ

まずは漢詩をモデルにして
漢字=漢語の意味を使った表現方法を採ったが
その後漢字を表音文字へとつくりあげていくなかで
「ひらがな」はうまれていった

「なくもがなの漢字の意味の侵入をなんとか払拭したい。
漢字の意味を完全に払拭するためには
漢字でない文字にならなくてはならない。
その強い指向が高まって、やがて、
漢字を使った仮字=万葉仮名(漢字)は
女手(ひらがな)へと一大変身をとげることになった」のである

いうまでもなくそうした表記は
現在でも日本語は
漢字語とひらがな語の二重性をもっているように
「漢字語の意や音に依る極と、漢字語から遠ざかって、
ひらがな語の音のみに依ろうとする極とに引き裂かれ」ながら
成立していった

さて一字が一語である漢字とは異なり
「女手やひらがなの本質は、
「上下の文字がつながり、そのことではじめてひとつの言葉、
すなわち文字になる」ことにある」が

漢字の一字一語単位のスタイルとその力の影響から
「女手は、単語の単位や音節単位の書法の確立を目指しつつも、
最終的にはその書法成立には行き着かず、
中間的な姿を許容するようになった」

連続することなしに単語となることができないひらがなは
「前後の文字の筆画が結合することによって掛筆を生む。
その筆画の「あるけれどもない。ないけれどもある」
二重性の美学はさらに掛字、そして掛詞などの
表現技法に結びついて」いくことになった

ちなみに『枕草子』の冒頭文「春はあけぼの」の例が
挙げられているように
原本のそれは
「ずらずらと棒状の、句点も読点もなく書かれている」が
現在書籍で表記されているものは
それぞれの出版社の解釈にもとづいて表記されている

それは正しくないともいえるのだが
解釈としては正しいともいえる
古典的なひらがな表記を
現代における表記法で表すむずかしさがそこにはある

重要なのは
「濁音語や濁音文が隠れるだけではなく、
連合し、連続しなければ文字(語)たりえない
ひらがな(単位文字)の連続と非連続が不可避に生む、
複雑で多岐、多彩に広大な表現が重層的に展開する」
そんな二重化、多重化して広がっていく姿の豊かさだろう

日本語を学び始めた外国の人たちが
まずはじめに当惑するのは
日本語に漢字・ひらがな・かたかなという
三種類の文字による表記があることだというが

三種類の文字表記が一体となっている文字を
使い分けることのできることによって
培われてゆく知力と感性
そのなかでも「ひらがな」という表記法が育んできた
美意識は得がたいものだといえる

■石川九楊『ひらがなの世界──文字が生む美意識』
  (岩波新書 新赤版 2017 2024/5)
■石川九楊「ひらがな語のスタイル
 ──『ひらがなの世界』あとがきのあと」(『図書』2024年9月号)
 (web岩波「たねをまく」り)

**(石川九楊『ひらがなの世界』〜「はじめに――文学と文字」より)

*「  東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月傾きぬ

 多くの人が万葉歌として諳んじているこの歌は実際に存在したものではない。言うまでもないことだが、漢字をずらずらと並べた

    東野炎立所見而反見為者月西渡

という歌があって、それを冒頭のように読んでいるだけなのだ。『万葉集』はすべて漢字で書かれた歌であり、この漢字を「万葉仮名」と呼んでいる。この万葉仮名という名の漢字から、平安時代中期九〇〇年頃にひらがな=女手は産まれた。『万葉集』は漢字で書かれたが、九〇五年醍醐天皇(八八五——九三〇)の命を受けて編纂された『古今和歌集』は新生のひらがなで書かれた。」

*「『万葉集』に記された歌は、この国が成立する以前の弧(ゆみ)なりに存在した群島に元々あった歌謡を表記したものとはいい切れない。たとえ口誦の歌があったとしても、文字は漢字しかないから、漢字で表記するしかない。その方法は二つ。ひとつは漢字を表音文字と割り切ってこれで宛字のように記述すること。もうひとつは、漢字の意味から字を宛てて表記すること。前者の方が簡単ではないかと想像するが、そうでもない。口誦歌があったとしてもそれはあくまで声と共なる歌にすぎない。当時、書かれてある詩は漢詩である。声と文字のあいだには千里の径庭がある。眼前にあるのは漢詩。万葉歌もまた、第一段階としては漢詩をモデルにつくり上げていった。後者は漢詩をモデルに、漢字=漢語の意味を使って表現することから出発した。漢字を表音文字へとつくりあげるためには、力業を必要とした。しかし、しだいにまた当然にこの島にあり、使っている言葉つまり音をそのまま表現したいという意識が高まりその表現を獲得していった。

  春野尓須美礼採尓等来師吾曽野乎奈都可之美一夜宿二来 (巻八・一四二四)

 このように漢字で書かれた元歌を、われわれが親しんでいる漢字かな交じりの読みでは、

  春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける

とされる。

 ここで表記法(書き方)に注目すると、第一に、(・・・)「尓(に)」や「等(と)」「曽(そ)」「乎(を)」の序詞が文字で明示されている。しかし、最終の「来」の次には何の文字も添えてはおrず、「くる」で終わるべきか、あるいは「ける」と読んでよいものかは示されていない。

 そして次に問題にすべきは「須美礼」。「春」も「野」も、さらには「採」「来」「一夜」も漢語の意味をそのまま使っている。これに倣えば「須美礼」は、漢語で「菫」と一字書いてスミレと読ませればよい。ところが、意味を主体に表記している歌の中に「須美礼」という音を表す宛字を入れた。ここが大問題だ。この作者ないし表記者にとっては、「菫」ではなく「スミレ」という音に強くこめられた意味をも含んだ表現が必要だったのではないか。」

「「奈都可之美」。これも漢語の意味を使って「懐」と一字書いてすませてもよかった。ところが、王羲之の手紙に頻繁にでてくる「懐」の字で表示される政治的なまた四苦(生老病死)へと広がる深刻なそれとは異なるもう少し小さく軽い意味だと感じた。「懐」というそんな大げさなものではなく、この島で自分たちがときどき口にする、あの、小さくともさまざまな風景と想いを重ねた「ナツカシミ」といいたくて、音にもとづいた宛字を使って表現したのである。」

*「漢詩は意味を主とするが、その漢詩に倣って育まれた、いわば東アジアの「孤島詩」が、しだいにその音を表記する意思と文体(詩体)を獲得し、「孤島歌」を育てあげていった。この段階に至ると、もうほんとうは漢字でない方がよいのだが、これに代わる文字がないから漢字で表現するしかなかった。」

*「なくもがなの漢字の意味の侵入をなんとか払拭したい。漢字の意味を完全に払拭するためには漢字でない文字にならなくてはならない。その強い指向が高まって、やがて、漢字を使った仮字=万葉仮名(漢字)は女手(ひらがな)へと一大変身をとげることになった。

 漢字で書かれた万葉歌かたひらがな=女手歌=和歌への誕生の過程は、このように整理できる。しかし日本語が現在もなお、漢字語とひらがな語の二重性にあるように、漢字語の意や音に依る極と、漢字語から遠ざかって、ひらがな語の音のみに依ろうとする極とに引き裂かれつつ、そのあいだで万葉歌人、万葉編集者が試行を繰り返しながら歌をつくり書記していた。むろんけっして表意表記の万葉歌から表音表記のそれへと単線的に展開したわけでも、また音仮表記の成立がただちにひらがなの成立をもたらしたわけではない。」

**(石川九楊『ひらがなの世界』〜「第一章 ひらがなへの道」より)

*「日本語を書記するために、漢字、ひらがな、カタカナの三種の文字があるのではない。三種の文字とともにある言葉が日本語をつくっているのだ。」

「文字は言葉である。言葉を抜きに文字はありえない。日本語という言葉を書き表すために三種類の文字があるのではない。逆に三種類の文字が、それにふさわしい意味、表現、文体をもち、その集合体として日本語が成立している。文字は言葉の記号ではなく、言葉はつねに文字とともに存在する。」

**(石川九楊『ひらがなの世界』〜「第四章 三色紙を味わう」より)

*「女手やひらがなの本質は、「上下の文字がつながり、そのことではじめてひとつの言葉、すなわち文字になる」ことにある。すでに、このことを、宿命としての「連続」として述べた。これが一字が一語である漢字とは構造が決定的に異なり、一字一音の女手の美学は、すべてこの特性から生じている。

「つながる」というひらがなの性質からは、たとえば、「あめがふる」という文は、「あめがふる」あるいは「あめ が ふる」というような文節もしくは語彙単位で連続する書き方が成立し、定着してもよかった。

 たしかに、女手の内部では文節単位。語彙単位でつながる書法を成立させんとする力が強くはたらいていた。だが、そうはさせない力も同時にはたらいていた。それは、女手の字母にとどまらず、父親的存在として、漢詩、漢文の宇宙を形成する漢字(語)の、一字一語単位のスタイルとその力であった。一字が一語である漢字は、一語単位で書記されているにもかかわらず、形態上はあたかもアルファベットのように、完全に語彙単位で連続する書法とはならずに、「あめ がふる」「あめ が ふる」「あ めがふる」「あ めが ふる」「あ め が ふ る」「あめがふる」など、さまざまな書記法を生むことになった。

 女手は、単語の単位や音節単位の書法の確立を目指しつつも、最終的にはその書法成立には行き着かず、中間的な姿を許容するようになったのである。

 散らし書きではいつも行頭を斜めに上下させて核。二つのブロックに分かち書きされた歌の場合では、上の句では各行頭が、下の句では各行末が斜めに書かれている。斜めの美学、傾きの美学は、ひらがなの美学を構成する重要な一要素である。

 斜めの美学は、漢字に一目置く美学である。斜めの美学に対するのは垂直、水平の美学である。垂直、あるいは水平、左右対称、均等の美学は漢字の構成法の中に息づいている。ひらがなには、垂直・水平の隙間をうめる、斜めの美学、そして非対称の美学がはたらく。」

**(石川九楊『ひらがなの世界』〜「むすびにかえて」より)

*「連続することなしに単語となることができないことを宿命づけられた女手は前後の文字の筆画が結合することによって掛筆を生む。その筆画の「あるけれどもない。ないけれどもある」二重性の美学はさらに掛字、そして掛詞などの表現技法に結びついていった。」

*(『枕草子』の冒頭文「春はあけぼの」は)「「新日本古典文学大系」では、

  春は曙。やうゝゝしろくなり行、やまぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる」

と記している。」

「「新潮日本古典集成」では、

  春は、あけぼの。
   やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、
    紫だちたる雲の、細くたなびきたる。

と解釈する。」

「「新編日本古典文学全集」では、

  春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。」

*「これまで見てきたどの句読点の打ち方、解釈も可能である。それでは真に正しい解は何かといえば、実際に書かれている文字の書きぶり、存在している文そのものにある。

 清少納言本人が書いた『枕草子』の原本はなく、写本の写本というかたちで残って居るのが現状。現存する写本でいちばん古いものでも鎌倉時代中期をさかのぶるものはない。江戸時代初期の、比較的見やすい写本が残っているが、それに従うと、どこにも「春はあけぼの。」などとは書いてはいない。ずらずらとつづけて書いてあっれもちろん読点も句点もない。写本どおりに書かれたとすれば、正解は、

  春は明ほのようゝゝしろくなり行山きはすこしあかりてむらさきたちたる雲のほそくたなひきたる夏はよる・・・・・・

である。」

*「一般には現代語風に漢字をあてはめ、「春は曙、徐々白くなりゆく山極少し明かりて紫立ちたる雲の細く棚引きたる」という句であると解釈されている。実際はけっしてこのような一面的で単純な句ではなく、このように解釈してすませることはできない。」

「ひらがなは文字を濁点なく、次々と書いていく。とはいえたんに清音表記だから、濁音語や濁音文が隠れるだけではなく、連合し、連続しなければ文字(語)たりえないひらがな(単位文字)の連続と非連続が不可避に生む、複雑で多岐、多彩に広大な表現が重層的に展開する領域なのである。」

*「『枕草子』の冒頭の読みは、岩波本、新潮社本、小学館本いずれも正しいといっていいが、いずれも正しくないと言ってもいい。原本の『枕草子』は、ずらずらと棒状の、句点も読点もなく書かれている。その二重化、多重化して広がっていく姿の全体を考えたとき、あたかも映像のように複雑にして、重層的、リアルに刻々変化していく「春はあけぼの」全体のシーンが立ち上がってくる。」

**(石川九楊「ひらがな語のスタイル」より)

・文字と声の二種混合言語・日本語

*「近年、ローマ字の表札をしばしば見かけるようになった。この家の住人は「田中」ではなく、「TANAKA」なのか。そうではないだろうと、いらぬ心配をしてしまう。流行、オシャレだからと、この表札を掲げながら、「名前は「えりか」や「エリカ」ではなく、また「江利加」でもなく、「絵里香」という漢字を書きます」と主張するのではないかという妄想も頭をもたげてくる。

 こういう表記上の混乱が出現する背景には、日本語をめぐる理論と実体の乖離がある。

 近代以降、西欧の「声の言語学」に幻惑されて、文字は音を表記するための記号にすぎないと無邪気に信じたところから、「TANAKA」の表札は生まれる。前島密の「漢字御廃止之議」に始まるこの誤謬の理論の傷痕は深くかつ罪深い。福澤諭吉、時枝誠記、二葉亭四迷、森鷗外以下、ほとんどの文化人がこぞって、不毛としかいいようのない「国語国字論争」に百年以上もうつつをぬかし、現在もなお、「日本語」と「国語」の仕分けをつけられないでいる。これとは異なり、文字のちがいは言葉のちがいと考える「絵里香」の思想は、日本語の実体から来る。

 日本語の実体は、文字の漢字語と音のひらがな語という異質な構造からなる二種混合言語にある(カタカナ語については紙幅の都合上説明を略す)。

 たとえば、「講演」という漢字語(漢語・中国語)。これは、「講和・講義」等の「〈講〉 字語族」と「演繹・演義」等の「〈演〉 字語族」をひきつれた文字=書字の連語(二字熟語)である。

 この「講演」にほぼ対応するひらがな語(和語・国語)は「ときあかす」である。これは、「とく(溶く・融く・解く・説く)」などの「〈とく〉 音語族」と、「あか(明・赤・証・垢・灯・開・飽)」などの「〈あか〉 音語族」とが連合した発声=音語からなる。

 黒船に脳天をかち割られた近代以降、西欧語をモデルに、日本語も「声」でできていて、文字はそれを書記したものにほかならないと信じ(こまされ)てきたが、そんなことはない。東アジア文明圏を構成している漢字語は、文字=書字からできている。

 一方は文字(書字)からできている漢字語、他方は音(発声)でできているひらがな語という異質な二種類の言語の混合体──。ここに、日本語の特殊性がある。政治、宗教、倫理的表現は前者が、四季(自然の性愛)と性愛(人間の四季)については後者が担い、かつ精緻微妙な表現を発展させるという一筋縄ではとらえきれない魅力も日本語は宿している。」

・文字とは書字の別名

*「漢字語「書」が名詞「書かれたもの」であると同時に、動詞「書く」でもあるように、文字とは書字の別名である。したがって、強権的に短期間で人工的に作られた場合は別として、自然発生的に長い時間をかけ、やがて時機が満ちて生まれた文字は、その本質にふさわしい姿をまとうようになる。

 従来、ひらがなは次のように定義づけられてきた(松原茂「ひらがな」、小松茂美編『日本書道辞典』)。

   漢字を一字一音にあてた万葉仮名(真仮名)を字母(字源)とし、その草書体である草をさらに書きくずして簡略化した文字

 草書体の漢字をくずし、簡略化したとする通説は、表面をなでるばかりで、ひらがな(女手)の本質を突いていない。

 東海の弧島に出現したひらがなという新しい文字は、二つの力(本質)からそれにふさわしい姿として生まれ出てきた。」

・音語にふさわしいスタイル

*「ひらがなは漢字とは異なり、西欧語にも似た表音文字(音文字)である。したがって、たえず内なる発音・発声とともに書き綴られることから、その音韻につり合う姿へと変貌をとげていく。」

「この力に導かれて、西暦九〇〇年頃には「安」が「あ」に、「以」が「い」、「宇」が「う」、「衣」が「え」、「於」が「お」へと変貌をとげ、そこで音韻との平衡状態に至った。通説のように「簡略化」なら、九〇〇年頃のひらがな(女手)成立以降もその後一一〇〇年の間にさらなる変容をとげたにちがいない。」

・連合と連結のスタイル

*「書道家はひらがなの特徴を次のように考える。

 ①「全体に流れるようなリズム感」として曲線美、流動美、軽快でリズミカル、②「漢字の草書化で極限まで簡略化した字形」として単純・簡略な字形、③「優雅・流麗で繊細な美女を見るような、美しい線」として、典麗、優雅、女性的と列記する(城所湖舟「かなの構造と特徴」)。

 さらに「かなは単体を並べただけでは美しくありません。連綿することによって、はじめてかな本来の美しさが現れてくる」といわゆる「連綿」の美をつけ加える(同前)。これらもまた、ひらがなの本質に迫るものではない。

 漢字を借用して記述されるしかなかった万葉仮名=万葉歌には、どうしても漢字の意味がしのびこまざるをえない。その濁りを排除した、大陸東方の弧島の音のみで自立した歌(和歌)をつくりたいという欲求が高まり、形の上でももはや漢字との臍の緒を断ち切って、自立した音文字であるひらがなは成立した。

 ひとつは前述の音韻を含みこんだ形状の獲得。他のひとつは「あ」「う」「く」はもとより、一字では単語を形成することのできない発音記号のごとき音文字は、「あす」「うえ」「くり」など連合と結合の形状を構造的にそなえることによって、ことばと文を構成できる本格的な文字の段階に至る。漢字をくずして生まれた文字が上部にアンテナを立て、下部を次につなげる。」

「書道家が力説する「流動・流麗」とは欧文筆記体にも共通する連続への指向であり、「連綿」とはその結合の形状である。「女性的」とは往時の「女手」という呼称に惑わされた幻影にすぎない。」

・掛筆・掛字・掛詞

*「西暦九〇〇年頃、ひらがなの形は整い、以降大きな変貌をとげることはなかった。形状は変化を止めたが、ひらがな語の表記はさらなる展開をつづけていった。」

*「ひとつは、掛詞の問題。

「掛詞・縁語が『古今集』に到って急激に盛んになった」「『古今集』において掛詞・縁語はもはや単なる技巧ではなく表記そのものである」(菊池靖彦「掛詞・縁語」)。

 初の勅撰ひらがな歌集の「古今和歌集」の掛詞は、書字における掛筆を根拠に多出するようになったことを覚り、また『寸松庵色紙』中にしばしば登場する従来「脱字か?」と判断を保留されてきた書字法が掛字であることに気づいた。

 このひらがな語の文字=書字のスタイルは、文化的なスタイルにまで影響をおよぼすことになった。二重に「掛ける」ことは一つを消す、隠す、欠落すること。京女や花町の「ヒ・ミ・ツ」という囁きの多用はここに根拠があろう。

 さらに言葉は逆説的存在であるから、「衍字(不要な字)」でもあるかのように、余分に顕わす、増やす、重ねるスタイルも生むことになった。京女弁の「小さい小さい」「高い高い」など必ずしも必要とも思われない畳句の頻出もここから来るスタイルであって、従来多数の「衍字」が不審がられてきた『秋萩帖』の美学的根拠も明白になった。この「隠す」「重ねる」想像力の深み(察する・思いやる・慮る)(粋)の延長線に、車輪の形を描いて「わ(輪)」、葦の葉をひらがなの筆画に見立てた「葦手」という名の絵文字が生まれることになった。

 このようにひらがな語は成長しつづけ、日本の文化的スタイルの一方にある和風=国風のスタイルを生みつづけていったのである。」

□石川九楊『ひらがなの世界』目次

はじめに――文学と文字
  文字とは何か
  どう読むのか
  どう書くのか
  女手(ひらがな)への一大変身
第一章 ひらがなへの道
  漢字、ひらがな、カタカナ
  桜、さくら、サクラ
  篆書、隷書、草書
  書は、王羲之からはじまる
  舒明天皇、国見の歌
  万葉仮名を読む
  文字は語る
  かなの誕生
  ひらがな=女手
  五母音表記
  清音表記
第二章 女手の宇宙
  結合、連続
  女手書記
  「高野切古今和歌集」
  くっついたり離れたり
  「寸松庵色紙」
  掛字の美
  脱字か、技巧か
  表出と表現
  不自然なつながり
  併字の技巧
  霧が文字も隠す
  掛筆万歳
  見せ消ち
  「秋萩帖」
  隠字
  古典に向かう態度
  文字がとける
  掛筆いろいろ
  言葉の本質
  重字・畳字・顕字
  「高野切」第一種
  第二種、第三種から
第三章 散らし書きの美学
  小山正太郎と岡倉天心
  有限の紙面
  不自然な筆蝕
  密集型の構成
  色紙の書を形成する三つの力
  「雨ニモマケズ」
  古筆の終焉
第四章 三色紙を味わう
  三色紙とは
  つながる女手
  「升色紙」
  三色紙の書法
  「継色紙」
  返し書き
  言葉と時間
第五章 葦手の書法
  『うつほ物語』
  真・行・草
  同じ文字をさまざまに変へて書けり
  葦手とひらがな
  文字は言葉そのもの
  明朝体
  葦手を読む
  「平家納経」
  「葦手下絵和漢朗詠集」
  「元輔集」
  なぜ葦なのか
  具象と抽象
 むすびにかえて
  はるはあけぼの
  ずらずらと
  曖昧性の美
 ひらがな(女手)字体一覧表
 図版出典一覧

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