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岡部 聡『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』

☆mediopos-2382  2021.5.25

生きものはまさに生きている
生きているということは
設計図にもとづいて組み立てられる
完成品の機械ではない

複雑な自然環境や他の生物との関係のなかで
自然の生成する不思議な力によって生み出され
現在の姿をとってまさに生きている

どんなにありふれた生きものでも
まして珍しい生きものならなおのこと
その生は不思議と神秘に満ちている

その謎の一端を垣間見ることがあったとしても
それは物理や数学の解を導き出すようなものではない
(とはいえほんらいは物理や数学といった営為も
不思議と神秘に満ちているのだけれど)

アリストテレスは哲学のはじまりには
「驚き」があると言ったが
そのアリストテレスの自然学は
そうした生きものの不思議と神秘に驚き
その秘密を解き明かす試みとして生まれたのだろう

そのアリストテレスは
論理学や倫理学などさまざまなテーマでの
著作が残されているが
そうしたものもまた対象は一見異なっているとしても
すべて「驚き」からはじまっているはずだ
それらは決して答えではなく
不思議と神秘へのあくなき問いかけである

さて本書の著者・岡部 聡さんは
「ダーウィンが来た」「NHKスペシャル」など
NHKで放送される自然番組を制作し続けている

そうした仕事に携わっているのもまた
「想像を超えた生きものたちの面白さ」という
「驚き」がはじめにあったからだろう

生きものの面白さは「正解がないことだ」という
「なぜ生きものがそういう行動をするのか、
なぜそんな進化を遂げたのか、といった疑問に」
「究極的には答えは出ない」のだ

それがなぜなのか知ろうとして
答えをすべて知ったと思ったとき
それへの興味は薄れてしまうが
生きものへのアプローチにはそれがない

知りたくて見たくて確かめたくて仕方がないけれど
それがどこまでも不思議で神秘的であることほど
興味の尽きないことはない

本書が書かれたのは
テレビ番組という限界から
どうしても視聴者に伝えられないことを
「僕が感じたもう一つの自然の中の物語」として
伝えたかったからだという

さて本書で扱われているのは
次の13の「物語」である

ブラジルのイルカ/なぜ人間の漁を手伝うのか?
コペラ・アーノルディ/空中で産卵する熱帯魚
南米のオオハシ/大きすぎるくちばしの謎
巻きつく尻尾を持つサルと空飛ぶトカゲ
タテガミオオカミ/木の実をめぐるアリとの〝友情〟
シンベエザメ/海の巨人、大集結のひみつ
オオアリクイ/哺乳類きっての変わりもの
インドのトラ/地球上で最も怖い生きもの
ボルネオのゾウ/彼らはなぜ命がけで川を渡るのか?
フサオマキザル/直立2足歩行の進化を見た!
フローレス原人/なぜ我々だけが生き残ったのか?
オランウータン/孤独に一生を過ごす「森の人」
スリランカのゾウ/「森の民」にあがめられる聖獣
ピラルクー/子育てするアマゾンの古代魚

例えばこのなかの最初の話「ブラジルのイルカ」は
ブラジル南部の町ラグーナで
毎年7月になると盛んになるボラ漁に
イルカが協力する話である
しかもその協力関係はイルカの間で
何世代にもわたって受け継がれているというのだ

また南米アマゾンに棲む熱帯魚「コペラ・アーノルディ」は
10センチほど飛び上がって、空中の葉に産卵するのだが
葉に産み付けた卵を乾燥させないため水をかけ続けるらしい

そんな話がいろいろ・・・
テレビの映像も見逃せないけれど
(ついつい「ダーウィンが来た」のような番組は見てしまうのだが)
こうしてテレビでは伝えられていない面白い話を聞けるのは
さらに特別なワクワク感を味わえる

■岡部 聡『誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち』(文藝春秋 2021.4))

「僕は幸運にもNHKで自然番組を作る部署に職を得た。以来30年以上、世界各地の現場で、僕が見て感じた生きものたちの物語をなんとか伝えたいと、悪戦苦闘しながら番組を作ってきた。
 しかし、自然番組を作れば作るほど、自分の目で見て、現場で感じたことの10分の1も視聴者に伝えられていないのではないか、という思いが募ってきたのだ。
 長年の経験から確かだと感じても、科学的には実証されていないこと。
 番組の一連のストーリーには入らなかったこと。
 番組の時間内に収まりきらなかったこと。
 目では見たのに、カメラでは撮影できなかったこと。
 その地域の文化や人間と生きものの繋がり。
 生きものを思う人々の気持ちの奥深さ。
 あげていったらキリがない。
 テレビ番組は本と違って、ページをめくり返すことができないので、わかりやすさが求められる。科学的には事実だと証明できないことや、個人的な想像や感傷などは、制限されるのは仕方のないことだ。
 でも、やはり自然の中には、映像や科学的事実だけでは伝えきれない、神秘の領域が存在する。そこにこそ、自然や生きものの本質がある気がしてならない。
 僕が感じたもう一つの自然の中の物語。それは、とても僕の稚拙な文章力では十分に表現することはできないが、「ねえねえ、生きものってね」と誰かに聞いてほしい自分の中の物語でもある。それを書いてみた、」

「なぜ、そんな思いをしてまで番組を作りたいのか。それは、この本で書いてきたような、想像を超えた生きものたちの面白さに出会えるからだ。
 生きものの面白さってなんだろう? 僕は正解がないことだと思っている。同じ科学に分類される物理や数学に解はあっても、生きものにはない。どんなに偉い先生が研究していても、なぜ生きものがそういう行動をするのか、なぜそんな進化を遂げたのか、といった疑問に対して、究極的には答えは出ない。真理には近づけても、それは王手であって、詰むことはない。いくら確からしくても、それは人間の想像でしかないからだ。
 もう一つ、テレビ番組制作をやめられないのかが、誰も見たことのないような生きものの行動を撮れる場合があるからだ。論文に書かれていることが真実ではない。目の前で起きていることの中にあるのが真実だという経験を、これまで何度もしてきた。自分が、世界で初めて確認された生きものの行動の目撃者になれるかもしれないのだ。
 僕が自然番組を通して願っているのは、未来を担う子どもたちの中に、経済の発展よりも自然と共存しながら生きていくことを真剣に考えてくれる人が、1人でも多く育ってくれることだ。それは、次の世代に大きな木となる種を蒔くことだと考えている。そのために、生きものたちのあっと驚くような営みを紹介する番組を、これからも制作してみたい。
 この本が出版される頃には。長野県で小さな昆虫を相手にカメラマンとともに悪戦苦闘しながら、色々と頭を悩ませていることだろう。誰でも知っている昆虫だが、その生態がまた抜群に面白いのだ。
 僕ももういいおじさんだが、撮影に向かう時には、いつもワクワクする。さあ、次はどんな出会いと発見があるだろうか。」

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