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岩川ありさ「養生する言葉(論点)」(『群像』2023年3月号)/岩川ありさ「養生する言葉 連載最終回 田村恵子さんとの対話——スピリチュアルペイン、スピリチュアルケア」(『群像』2024年8月号)

☆mediopos3545(2024.8.1)

岩川ありさ「養生する言葉」の連載(『群像』)が
最終回を迎えた
この連載の原点となったのは
二〇二三年三月号の『群像』での「論点」だった

最終回にあたり岩川氏はその「論点」の文章が
「「わたしはいつも死にたかった」
という言葉ではじまっていたので、驚いた」という

たしかに最初の記事の最初はこう始まっている

「わたしはいつも死にたかった。
だから、生きるために必要な言葉を探しつづけてきた。」

その「言葉」が「養生する言葉」であり

「自分の生が崩れそうになるとき、生きづらさに苦しむとき、
自分の背中を支えてくれる言葉、その言葉から力をもらって、
今を生きられるようなヒントを探して」出会ってきた

それらの「言葉」たちが連載となってきた

岩川氏の『物語とトラウマ————クィア・フェミニズム批評の可能性』
という本は二〇二二年に刊行され
「自分の経験と文学の言葉が
いかに響きあうのかについて」書かれているが

その本を書き終わってからも
「コロナ禍のストレスで過食はとまらないし、
わたしが書いた本に何か意味はあるのだろうかと思い悩んだ」が
じぶんの書いた本を手にとると
「大丈夫、生きられる」という確信のようなものが生まれる・・・

『物語とトラウマ』という著書のタイトルでもわかるように
岩川氏にとって「物語」が重要となっている

「ひとりひとりの物語のかけがえなさ」・・・

しかし反面その「物語」には
「強い拘束力と呪縛が潜んでおり、
自分を縛りつける枠組みともなる」が
「自分の生を規定しようとする力に抗い、
自分を支配する物語をときほぐす働きも持っている」という

そうした「養生する言葉」をめぐり連載はつづけられ
連載の最後に編集部からだれかに取材してみてはという提案があり
がん看護専門看護師の第一人者として知られている
田村恵子に会いにでかける
テーマは「「スピリチュアルペイン、スピリチュアルケア」

その一端は引用でもふれているが
そのなかでも対話の最後の話が印象深い

「帰りぎわになっていたのに、私は思わず、
「死」に取り憑かれることがる、
死にたいと思うと話してしまった」のだが

それに対して田村氏は
「「それは私がいやだ」と言った」という

「「死んではいけない」とか、
「生きなければならない」ではなくて、「私がいやだ」」

田村氏は「患者さんがどのようにして世界を生きているのか、
その世界について知りたいという」

「田村さんが相手の世界を知りたい、
生き方に触れたいというとき、それは一方的な理解ではない。
問い、聴き、答え、フィードバックする
という繰り返しのなかで、相手の価値観や世界が現れる。
「私がいろんな人の人生を生きているような感じがする」と
田村さんは話してくれた」という

だから岩川氏が「死にたいと思う」といったとき
田村氏は「それは私がいやだ」といったのである

「希望はその人が見つける」
という言葉にも深い真実が宿っている

かけがえのない「養生する言葉」・・・

「死にたい」というのは
ほんとうは「生きたい」ということなのだろう
切に「生きたい」からこそ「死にたい」という逆説
「死ぬのがとても恐ろしい」のに「死にたい」という矛盾

本連載の視点とは異なるが
以下思うところをいくつかメモしておきたい

肯定的にせよ否定的にせよ
「物語」に拠りすぎると
「物語」のなかでしかみずからを見出せなくなる

さらにいえば生きる意味や生きがい等々にしても
それを求めることが生きる力になることがあったとしても
それも「物語」のひとつであって
(「傷」といったこともそのひとつにほかならない)
それらのさらに深いところからくる
意味をこえた力が必要ではないかと思われる

意味があるのも
意味がないのも意味に呪縛されることであり
その結果「生」と「死」は裏表のセットで
反復横跳びを繰り返してしまうことになるのではないだろうか

■岩川ありさ「養生する言葉(論点)」
 (『群像』2023年3月号)
■岩川ありさ「養生する言葉 連載最終回
 田村恵子さんとの対話————スピリチュアルペイン、スピリチュアルケア」
 (『群像』2024年8月号)

**(「養生する言葉(論点)」より)

*「わたしはいつも死にたかった。だから、生きるために必要な言葉を探しつづけてきた。しかし、死にたいという言葉は語弊があるかもしれない。インターネットなどでよくいわれる「生きたくない状態」に近いかもしれない。わたしは怖がりで、死ぬのがとても恐ろしい。それなのに、ふとした拍子に、生きていたくないモードに切りかわる。仕事が忙しかったとき、何もかも思うようにゆかなかったとき、自分がしたいと思っていることがわからなくなるとき、ふと、この世から消えたいと思う。

 この原因は何か? 突きとめられれば、わたしは何とか生きられるのではないか? 文学研究やサブカルチャーの研究をしはじめたきっかけはまぎれもなく自分自身が死なないでいるためだった。自己肯定感の低さ、自分を痛めつけてやりたいという気持ち、無力感、眠れなさ、警戒心、自分を信じられないこと、自分がしたいことがわからない感じ。それらはわたしが育ってきた環境や人生とかかわりがあるだろう。ひとつの原因を突きとめられないからこそ、やっかいだ。それでも、思い当たることはいくつかあげられる。

 わたしは、二〇二二年に、『物語とトラウマ————クィア・フェミニズム批評の可能性』(青土社)という本を刊行した。この本を書くときに、一二歳のときに性暴力を受けた経験が大きな影を落としていることに気がついた。また、生まれたときにわりふられた性別とは異なる性で生きるなかで経験した差別や暴力も、わたしにとって「傷」や「痛み」として残っている。『物語とトラウマ』は、自分の経験と文学の言葉がいかに響きあうのかについて書いた本になった。孤立無援のわたしにとって、文学の言葉が背中を支えてくれた。では、書き終わって、すべてが丸くおさまったのか? 大団円となったのか?

 実は、そんなことはなかった。コロナ禍のストレスで過食はとまらないし、わたしが書いた本に何か意味はあるのだろうかと思い悩んだ。しかし、本というのは不思議なもので、『物語とトラウマ』という本を手にとると、「大丈夫、生きられる」と自分のなかで確信のようなものが生まれる。生きるために必要な言葉を探して、集めて、書いて、伝えることで、誰かが生きるための言葉になる。言葉は自分を超えて、誰かの背中を支える。それは、誰かの生を養う言葉、つまり養生する言葉になるのではないだろうか? これまで積み重ねられてきた養生する言葉によって、自分の生をいたわることができれば、生きのびることができるかもしれない。言葉は時代や社会と結びついているので、生きのびることができる言葉を増やすには、この社会を変えてゆく必要もある。養生する言葉はそのための足場をくれる。」

**(「養生する言葉(論点)」〜「「物語」と「論」より)

*「ひとりの人の生のなかには複数の物語があり、層になって、その人の歴史をかたちづくっている。ときに、国家などの強力な物語が前景化することも多いが、わたしが惹かれてきた文学や文化が垣間見せてくれるのはひとりひとりの物語のかけがえなさである。奪われてはならない。壊されてはならない。そのことを教えてくれる物語ばかりだ。人びとを強く束ねて、ほかの生き方を許さないような物語はたくさんある。だが、焦点から外されてきた細部を読みとるのが批評の役割のひとつである。小さな言葉がその人の物語をつくっているのだと示しうるのが言語だ。

 だが、小さな言葉から生まれるとしても、物語というのは実はとても大きな言葉だ。普段からよく物語という言葉を用いるし、わたしたちの多くは物語を楽しむ。しかし、物語が自分の人生をかたちづくる。物語には強い拘束力と呪縛が潜んでおり、自分を縛りつける枠組みともなる。だが、不思議なことに、物語は、自分の生を規定しようとする力に抗い、自分を支配する物語をときほぐす働きも持っている。わたしが物語について研究しているのは、物語の拘束力をときほぐす働きがつねに生じていることに惹かれたからだ。抗えないように思う支配が、この世界にはある。それは本当に微細な物語で、今はまだ少ないのかもしれない。しかし、書き手は確実に増えてきており、今後、さらに必要とされる物語となるだろう。トランスするなかで見た世界はきっと違っている。その世界を描きうる言葉がもうすぐ見つかる。」

*「物語と出会うと、自分の感情を知ることができる。何か違和感がある。悔しい。こぶしを握りしめる。そういうときにそばにいてくれる言葉。別の見方がある、別の社会がある、今もままではない時代を必ずつくれるといってくれるような言葉。そこから力をえて生きられるようなちょこんと置かれた言葉。それは、養生する言葉だ。死なないようにしたいという思いから、生きづらさのなかで見つけた、生を養う言葉は、自分をいたわり、生きていてもいいと背中を支えてくれる。そして、わたしは、明日も生きて、自分以外の誰かがこんな思いをしない世界になるようにしたいと思う。わたしがほしいのはそんな養生する言葉だ。お守りのようにして懐に入れておくだけでも、人生はずいぶん違う。ささやかだけれど、ささやかだからこそ、光る言葉がこの世にはある。」

**(「養生する言葉 連載最終回」〜「連載の最後に」より)

*「二〇二三年三月、『群像』の「論点」というコーナーにこの連載の原点になった「養生する言葉」を発表した。最終回を書くにあたって読み返してみて、その文章が、「わたしはいつも死にたかった」という言葉ではじまっていたので、驚いた。一年あまりをかけて、私は、自分の生が崩れそうになるとき、生きづらさに苦しむとき、自分の背中を支えてくれる言葉、その言葉から力をもらって、今を生きられるようなヒントを探してきた。私がたどり着いたのは、生老病死のすべてを受けとめて、生き切るという生のありようだった。私たちは、絶えまなく変化し、別れと出会いを繰り返す。苦悩とともにこの生を生きる。長い道のり、長い旅の途中にいて、毎日の生活のなかで生を養ってゆく。」

「自分の人生に意味がないという思いに駆られることがあった。自分が生きていることに意味はなく、誰にも必要とされていないし、ふとしたことで生きる支えをなくしてしまう。折れてしまう。精神的に調子がよいときにもこの現象が生じていたのである。私はこうした不調を心に還元して理解してきた。これまでも、心、体、社会という次元だけでは捉えきれない苦痛や苦悩があるように思ってはきた。とはいえ、自分の苦しみについて言葉がみつからなかった。」

*「連載の最後に、どなたかに取材して書いてみるのはどうですかと編集部から提案してもらった。すぎに名前をあげたのが、看護専門学校で文学を教えていたとき、NHKのドキュメンタリー「プロフェッショナル 仕事の流儀」のDVDを見て識った田村恵子さんだった。田村恵子さんは、一九八七年から二七年間、淀川キリスト教病院のホスピス緩和ケアに携わり、がん看護専門看護師の第一人者として知られている。また、スピリチュアルペインとそのケアを中心にして。現象学と看護を接続した研究を続けてきた研究者でもある。」

「NHKの番組で、「プロフェッショナル」とは何かと問われて答えた田村さんの言葉がずっと私の人生の指針になってきた。

   私の中のこれまでの経験に基づいてできている直感を信じて揺るがないこと。そして、相手の方の力をそれ以上に信じてあきらめない、そういう人だというふうに思います。
   (『プロフェッショナル 仕事の流儀 希望は 必ず見つかる がん看護専門看護師 田村恵子の仕事』NHKエンタープライズ 二〇〇九年)

 経験というのはどれだけ大事か。養われた言葉は、たしかな手ごたえを持って、他者に伝わる。自分の仕事に意味はあるのだろうかと心が折れてしまうとき、それでもこれまでに書いてきたものが自分を支えてくれることがあった。その経験をちゃんと蓄積していると思えるようになってきた。書くことはひとりの作業、孤独な作業だと思われているし、実際に孤独だ。だが孤独だから、沈黙しているから、他者の声を聴くことができるときがある。私が向きあっているのは、言語という他者であり、他者が書いたり、語っている言葉である。相手を信じて言葉を受けとり、同じく、信じてもらえるくらい誠実に書く。それを繰り返して生きてゆけば、揺るがない核心ができる。田村さんの言葉は、読んだり、書いたりするときの指針にもなってきた。心の傷と言葉で向きあうことを私は自分の人生の仕事として選んだ。その向きあい方や存在の仕方そのものを田村さんは教えてくれた気がする。」

**(「養生する言葉 連載最終回」〜「スピリチュアルペイン、スピリチュアルケアとは何か?」より)

*「田村さんに訊ねたいことはいくつもあったのだが、そのひとつが、田村さんが専門にしている、スピリチュアルペインとスピリチュアルケアについてだった。スピリチュアルという言葉そのものが捉えにくいといわれることもある。たしかにこの言葉は多義的であるが、自己が生きている存在や意味、価値観などにかかわり、自分を超えたもの、自分を支える何かのことを指しているのだと私は理解した。宗教や信仰と繋がることも多いし、スピリチュアルについて考えるとき、宗教や信仰はとても大事なものだ。けれども、それに加えて、スピリチュアルという言葉は、人生の意味や目的、生きがいや平穏、支え、自分を超えて広がる時間や世界のなかに、自分が位置づけられているという感覚と繋がっているように思う。

 ホスピスケア、緩和ケアの領域でかたちづくられてきた。スピリチュアルペイン、スピリチュアルケアの概念をそのままトラウマと接続することはできない。だが、「私はいつも死にたかった」という言葉がなぜ自分のなかから出てきたのかについて考えてみるとき、先ほども述べたように、スピリチュアルペインという概念は重要になってくる。うつ状態ではなく、心の調子がいいときでも、突然、人生が無意味に思えたり、生きる目的を喪失したりすることがあった。自分という存在がこの世界の厄介者だという感覚にとらわれることがある。これは医学的には抑うつ状態ではあるし、希死念慮があるといわれることも多いと思う。そのケアも必要であることはいうまでもない。しかし、伝えたいのは、それはそのまま「死にたい」ということではないのではないかということだ。」

「「わたしはいつも死にたかった」という言葉はスピリチュアルペインの現れではないのか? 希死念慮という言葉が広く知られているが、この世に居場所がない虚無感、人生に意味を見出せない無意味感、自分が根底から否定され、消えるしかないという思いを、「死にたい」という言葉でしか表現しえないという思いを、「死にたい」という言葉でしか表現しえなかったように思う。難しいのは、この状態にある私は本当に死に近い場所にいて、死なないように懸命に生きている状態なので、心理的なケアが当然のごとく必要であり、それらは切り離せないということだ。けれども、心理的ケアの領域だけから考えていると、根底にある、この世に生きる意味や支えを失っているという苦痛や苦悩を自分でも見過ごしてしまうのではないか? 苦痛や苦悩を細分化したり、分類したりして、どれがあてはまるかという見方ではなくて、「全人的」に見たとき、複数の要因が折り重なったところで現れる苦痛や苦悩の複雑な姿が浮かびあがるだろう。」

**(「養生する言葉 連載最終回」〜「田村恵子さんとの対話」より)

*「田村さんからホスピスケアの実践を聴いたとき、「生きたい」と望む患者さんの話があった。詩を前にした患者さんたちが「生きたい」というときのスピルチュアルペイン、スピリチュアルケアの話に私は自分の考えが一八〇度転回してゆく気持ちがした。死への恐怖があるそのなかで、「生きたい」と願う。傍らにいて、田村さんはどれほど多くの患者さんの生を支えてきたのだろう。」

「「希望はその人が見つける」

 田村さんと話すなかで印象に残った言葉のひとつだ。自分が希望をあげるといった考えではなく。患者さんのほうから、こんなことがしたいという希望が出てくるようにケアする。何が希望が尋ねないで一生懸命になると、その親切は暴力にすらなりうると田村さんはいう。聴くことを通じて、人を信じてもいいという関係をつくってゆくことがホスピスケアでは重要なのだと感じた。患者さんたちは、人生の意味や目的などそれまで大切にしてきたものを喪失しそうになっている。身体の活動や、明日あるいは次の瞬間の不確実性も生じるだろうし、家族など周りにいる人への負担を気に病むこともある。希望をなくして、死への恐怖を感じてもいるだろう。そうした全人的苦痛を緩和し、最期まで寄り添い続ける。これがホスピスマインドであるのだろう。」

*「田村さんは、患者さんがどのようにして世界を生きているのか、その世界について知りたいという。近年、ますます、他者理解が大切だといわれることがあるが、自分が相手を「わかる」というとき、あくまでも、私の側の認識に引きよせて他者を理解していることになる。田村さんは、現象学を学ぶなかで、他者の一人称の世界を知ろうとしてきたのではないだろうか? 他者がどんなふうに考え、どんなふうに世界を見ているのか、そして、その人の観点からどういうふうに世界を捉えているのか? このことはなかなか知るのが難しい。けれども、その人がどういう人なのか知るとき、相手の希望が何なのかを知ろうとするとき、とても大事な視点である。「わたしはわたし、あなたはあなた」というバウンダリー(境界)を意識しながらも、対話を続ける。すると相手が一人称で自分の世界について話してくれることがある。もちろん、状況や機会が重なって話してくれることもあるだろう。しかし、がん看護専門看護師としての経験、ホスピスケアを行ってきた経験から、田村さんは相手の世界を聴くことを学び、考え抜いてきたのだと思った。聴くことの実践によって相手は心を開いてゆく。」

*「田村さんが相手の世界を知りたい、生き方に触れたいというとき、それは一方的な理解ではない。問い、聴き、答え、フィードバックするという繰り返しのなかで、相手の価値観や世界が現れる。「私がいろんな人の人生を生きているような感じがする」と田村さんは話してくれたが、田村さんが無心になって問うことなしにこの境地はえられないだろう。対話をしているあいだ、本当に自分のわからかったことが埋まってゆく感じがした。

「パズルみたいに、最期のピースがはまったとき、この人がわかる」

 田村さんのその言葉は、問うことで相手の世界を知ってゆく実践そのものだった。私は自分のことで手一杯の人生だったが、去年、心の底から自分の周りにいる人たちのことが知りたいと思った。誰もが何と豊かな世界を生きているのだろう。そういうことに気がついたのだ。」

*「この連載で一年あまり生を養う言葉を探してきて出会ったのは、傷との関わり方の変化だった。そして、それに気づかせてくれる人たちがこれまでにもいたことを改めて感じ、思い出した。その出会いはすべてかけがえのないものだった。田村さんと三時間話した最期に温かいコーヒーとお茶をおかわりして飲みながら、話が深いところへいきついた。帰りぎわになっていたのに、私は思わず、「死」に取り憑かれることがる、死にたいと思うと話してしまった。そういった私に、田村さんが、「それは私がいやだ」と言った。「死んではいけない」とか、「生きなければならない」ではなくて、「私がいやだ」という言葉に自分のなかの重荷が一気に軽くなるような思いがした。私があなたに生きてほしい。こう言えるのはなまなかなことではない。本当に相手の生きる力を信じたときにしか言えない言葉だ。田村さんは、最後に、「次も来てね。約束」と笑顔になる。田村さんの言葉は、私にとって希望であり、私の支えになる。まぎれもなくこれは養生する言葉だ、この連載の最後が、こうして、生きること、もう一度、生き始めることに繋がったのに驚いた。苦しみのなかでもがくすべての人がその生を生きられる世界を私は信じる。」

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