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山本高樹『冬の旅/ザンスカール、最果ての谷へ』

☆mediopos-2283  2021.2.15

インドのヒマラヤ山脈の西の外れ
ラダック地方から川に沿って
さらに山奥にあるザンスカール

冬場は外界との間を結ぶ峠道も
雪で塞がり行き来できなくなってしまうが
一月上旬から二月下旬頃の間だけ川が氷結し
外界との間をつなぐ幻の道「チャダル」が現れる

ザンスカールの中心地パドゥムの南東の
さらに奥深くにある渓谷地帯ルンナクに
一五世紀頃に建てられたチベット仏教の古刹
プクタル・ゴンパという僧院があり
真冬のさなかプクタル・グストルと呼ばれる
祭礼が行われるという

ふつうその時期は外界との行き来はできなくなるが
ある年にかぎって
幻の道「チャダル」が現れる二月初旬に
その祭礼が開催されることを知り
著者はザンスカールを再訪することにする

本書はその「冬の旅」を綴ったルポルタージュであり
著者のいわば「魂の旅」の記録でもある

十一年前に旅した時の案内役パドマに
今回も案内役を依頼し「冬の旅」を共にするが
プクタル・グストルの祭礼を旅するルポというよりも
本書はそのパドマとその背景にあるザンスカールで
著者みずからの生を確かめようとする旅でもあったのだろう

あと数年でザンスカールには
これまで閉ざされていた地域を結ぶ道路ができ
パドマのような案内役は
その役割を必要とされなくなることになるという
「ザンスカール人のミツェ(人生)」が
失われてゆくということだ

そしてそれまで閉ざされていたがゆえに
守られていたさまざまな伝統は
次第に失われてゆくことになるだろう
「チベット仏教を信仰する人々」もまた
その信仰をそのままの形で保っていくことは
おそらくむずかしくなる

近代以降の歴史はとりわけ
そうしたそれまでは閉ざされているがゆえに
そこで守り育てられてきた文化や伝統が
開かれるがゆえに失われ変わってゆく歴史でもある
つまりグローバルがローカルを変えてゆき
否応なくグローバルに呑み込まれてゆくプロセス

人間はそうした変化のなかで
何を失い何を学んでいくことになるのだろう

どんな環境でどんな生を生きるとしても
人はそこに「生まれてきたこと」を肯定する
つまり「人生には意味がある」のだということを
それぞれのかたちで実感できるものでありたい

みずからの生の意味を得るためにこそ
著者もまた冬の旅を敢行したはずだ

■山本高樹(文・写真)
 『冬の旅/ザンスカール、最果ての谷へ』
 (雷鳥社 2020.4)

「ヒマラヤ山脈の西の外れに、ザンスカールと呼ばれる土地がある。
 そこはかつて、二つの小さな王家のもとで、チベット仏教を信仰する人々が暮らしていた、ささやかな王国だった。今は、国としてはインドに属していて、ユニオン・テリトリー(連邦直轄領)の一部となっている。一帯の平均標高は、約三千五百メートル。峻厳な山々の狭間に、村や集落がぽつぽつと点在している。
 ザンスカールでは一年を通じて、雨はあまり降らない。強烈な陽射しが照りつける夏の間、大地は砂漠のように干からびる。しかし、冬の寒さはとても厳しく、マイナス二十度を下回ることも珍しくない。外界との間を結ぶ峠道もすべて雪で塞がり、行き来できなくなってしまう。
 ところが、寒さがもっとも厳しくなる一月上旬から二月下旬頃までの間だけ、外界との間をつなぐ「幻の道」が現れる。隣接するラダック地方へと流れ出るザンスカール川が凍結し、氷の上を歩いて行き来できるようになるのだ。凍った川の上に現れるこの幻の道を、ザンスカールの人々は「チャダル」と呼ぶ。
 十一年前の冬、僕はこのチャダルを辿って、ザンスカールを旅した。その頃の僕は、ラダックを拠点に約一年半を費やして、ラダックとザンスカールについての本を書くための取材に取り組んでいた。村で畑仕事を手伝い、僧院の祭礼に密着し、遊牧民のテントをトレッキングで訪ねた。春夏秋冬を通じて、この土地で起こるできごとすべてを見届ける。チャダルを歩いてフュのザンスカールを旅することも、当時の僕にとっては果たすべき目標の一つだった。
 いくつもの出会いと幸運に恵まれて、僕はラダックとザンスカールでの取材を終え、一冊の本を書き上げた。この土地で、やるべきことはすべてやった。冬のザンスカールでも、自分にできることはやり尽くしたはずだ。少なくとも、本を書き上げた直後はそう思っていた。
 でも、本当はそうではないと、薄々わかっていた。
 十一年前のチャダルの度で、僕は、冬のザンスカールの入口まで行っただけに過ぎなかったのではないだろうか。入口からほんの少し中をのぞき込んで、すぐに引き返してきただけだったのではないか。氷の川の上を歩くという行為に気を取られすぎて、冬のザンスカールとそこで暮らす人々について、本当の意味では何も理解できていなかったのではないか・・・・・・。そうした思いは、本を書き終えてからもずっと、くすぶり続けていた。
 それからしばらくたって、たぶん、数年前くらいからだろうか。ふとした発見と思いつきから、一つの突拍子もない計画が浮かんできて、頭から離れなくなった。
 ザンスカールの中心地パドゥムの南東に、ルンナクと呼ばれる渓谷地帯がある。ルンナク川が削り出した急峻な谷間に小さな集落が散在している。ザンスカールでもひときわ奥深い場所だ。夏の間は、川沿いにあるデコボコの未舗装路を車で行き来できるが、冬は頻発する雪崩で道路が寸断されるため、深い雪の中を歩いて訪れるしかない。
 ルンナクの最深部、ツァラブ川のほとりには、一五世紀頃に建てられたチベット仏教の古刹、プクタル・ゴンパがある。この僧院では真冬のさなかに、プクタル・グストルと呼ばれる祭礼が行われる。チベット暦に合わせて日取りが決められるこの行事は、太陽暦では二月下旬に催される場合がほとんどだ。その時期には、チャダルの氷が解けてしまう可能性が高いので、外部から祭礼を見に訪れるのは難しい。だから、プクタル・グストルがどんな祭礼なのか、一般にはいまだにほとんど知られていない。
 ところが、何年か分のチベット暦の日付をあらためて調べてみると、ある年だけ、二月初旬にプクタル・グストルの開催日が来ることがわかった。二月下旬なた、チャダルを通ってザンスカールに行き、ルンナクを抜け、プクタル・ゴンパで祭礼の一部始終を見届けてから、同じ工程を引き返しても、チャダルの氷が溶ける前にザンスカールからラダックに戻ることができる。往復でおそらく四週間はかかるが、計算上はけっして不可能ではない。
 真冬のザンスカールを歩いて縦断し、プクタルの祭礼を見に行く。ザンスカール出身の人間でも思いつかないような、酔狂としか言いようのない計画だ。でも、この計画をやり遂げれば、プクタルの祭礼だけでなく、ルンナクを含めた冬のザンスカールの本来の姿を、これ以上ないほどしっかりと見届けることができるはずだ。そして、現地の言葉を使いながらそうした取材を実行できるのは、おそらく自分しかいない。
 やらなければならないし、やるべきだし、何より、やってみたい、と思った。十一年前に経験したあの世界に戻ると想像しただけで、両手のひらに、チリチリとしびれるような緊張を感じる。怖くない、といえば嘘になる。家族に余計な心配をかけたくない、という迷いもある。でも、あきらめてしまったら、きっと後悔する。
 行こう。行くしかない。」

「パドマは、ザンスカールのツァザルという村の出身で、今年で四十歳。ザンスカール人特有の、やや小柄だが、骨太でがっしりした身体つき。陽に焼けた彫りの深い顔には、目尻を中心に深い皺が刻まれている。彼はプロのトレッキングガイドとして豊富な経験を持っていて、特にチャダルに関しては、あらゆることを知り尽くしている。筋金入りにチャダルパ(チャダルの男)だ。僕が十一年前にチャダルを旅した時に案内してくれたのも彼だったし、今度の旅も、ガイド役は彼以外に考えられなかった。」

「「タカ。これがザンスカール人のミツェ(人生)だよ」
 その言葉に、僕は思わず顔を上げ、焚き火を見つめるパドマの横顔を、その目に映る橙色の光を見た。
 こんな当たり前のことに、なぜ今まで、気づけなかったのだろう。
 彼は、チャダルの旅を、心から愛していたのだ。彼が人生の大部分を過ごしてきた、この岩と雪と氷の世界を。気の遠くなるほど昔から、ザンスカールの名もなき旅人たちが、知恵と経験と勇気とともに受け継いできた、この冬の旅を。
 あと何年かあっって。ザンスカール川沿いの道路が完全に開通したら、チャダルの旅は、すっかり失われてしまう。パドマのような本物のチャダルパたちも、姿を消していく。
 涙が滲みそうになるのを、必死にこらえた。ごまかすために、立ち上がって、洞窟の入口に歩いていき、空を見上げる。
 三日月が、西の山の端の上に浮かんでいた。星が、一つ、また一つと、瞬きはじめていた。」

「冬の旅の途中から、ずっと。ミツェ(人生)について考えていた。
 あれほどまでに強大な自然に囲まれた土地で、わずかな畑と家畜とともに慎ましく暮らす人生に、意味はあるのか。辿り着くことさえ困難な山奥のゴンパで、瞑想と仏への祈りにすべてを捧げる僧侶たちの人生に、意味はあるのか。パドマのようなチャダルパたちが、岩と雪と氷の世界を旅して過ごしてきた人生に、意味はあるのか。
 今なら僕は、「ある」と言い切れる。あるに決まっている。ほかの誰かを傷つけたり貶めたりするものでないかぎり、意味や価値がまったくない人生など、この世にあるわけがない。逆に、僕たちのようにすべて充ち足りた環境で暮らしている人間の方が、生きる意味を見失いやすい。
 人生に意味があるかどうかの基準がこの世にあるとしたら、それは、その人が、どれだけあるがままに、まっすぐに、自らの人生を生きているか、ということに尽きる。
 彼らは確かに、そこで、生きていた。これ以上などほど、鮮やかに、ありありと、彼ら自身の人生を生きていた。」

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