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塚本邦雄『薔薇色のゴリラ/名作シャンソン百科譜』

☆mediopos-2259  2021.1.22

行きつけの古書店に
歌人・塚本邦雄の著作の数々をみつけたのもあり
ここ数ヶ月新古今和歌集周辺の人物や短歌を中心に
毎日のようにいろいろ渉猟している

そうしたなかで
塚本邦雄の愛したシャンソンの数々を
回想をまじえて紹介しているのが本書
(新刊書では入手できないが古書店では入手可能)

紹介されているシャンソンの歌詞も
塚本邦雄ならではの言葉で選ばれまた訳されている
これは初版の1975年のものだが
その後1995年に再版されているようだ
当時はまったく知らずにいた

シャンソンといえば
武満徹が第二次大戦中
勤労動員された食糧基地の宿舎にやって来た
学生将校が蓄音機で聞かせたという敵性音楽であるシャンソン
『聴かせてよ、愛のことばを』(Parlez-moi d'amour)が
武満徹の音楽家としての芽生えとなったそうだ

そのとき武満徹が聴いたのは
リュシエンヌ・ボワイエの歌だったけれど
ジョセフィン・ベーカーだと思いこんでいたとのこと
そのことを立花隆から指摘され
リュシエンヌ・ボワイエとしていたが
「客観的事実より、自分の記憶の中の事実を大切にしたい」として
記述をジョセフィン・ベーカーに戻している

じつのところシャンソンは限られたものしか聴いていない
しかもフランス語もたどたどしくなぞっていくしかないけれど
「典型的な歌曲(メロディー)に倣ひ、曲は決して詩を凌駕歪曲せず、
むしろ朗唱に傾くくらゐの歌ひ方のもの」という
塚本邦雄流の魅力的な強いこだわりを導きとしながら
しばらくその世界に遊んでみたいと思っている

ジャンルを問わず小さい頃から音楽を聴くのが好きで
ずいぶんいろんな音楽を聴いてきたと思っていたが
その歴史も半世紀以上経ってはじめて
ようやく耳がひらかれるものがあることを
逆にいえばまだほとんどひらかれていない耳があることを
こうしてあらためて実感できるのもとてもうれしい

どんなテーマでもそうだけれど
歳を重ねることでこそひらかれ深められていくようでありたい
その逆になったとき時はそこで止まり過去に戻ってしまうから

ちなみに本書のタイトルにある「ゴリラ」は
ブラッサンスの同名の曲にちなんでつけられている

ブラッサンスの『ラ・マリーヌ(船乗り)』と
武満徹の初めて聴いたシャンソン
リュシエンヌ・ボワイエとジョセフィン・ベーカー
その二つの音源もどうぞ。

■塚本邦雄『薔薇色のゴリラ/名作シャンソン百科譜』(人文書院 1975.9)
 ※漢字は現代表記に改めています

「劇(ドラマ)の欠落したシャンソンは詰まらない。歌詞をたどるだけで傑れや短編小説や三幕物の芝居を読み、かつ観るような感動を受けるのが、そもそもシャンソンの醍醐味である。」
「真にフランス語の醍醐味を味はふためには、ブラッサンスを筆頭とする近代詩詠唱家物を選ぶのが妥当だ。それも古典的な歌曲(メロディー)に倣ひ、曲は決して詩を凌駕歪曲せず、むしろ朗唱に傾くくらゐの歌ひ方のものがよからう。」

「手探りに近い恰好で私が独り蒐め、独り聴きかつは愛して来た「シャンソン」についての、ささやかな思ひ出と、信仰告白と同時に愛想づかしを、一度は纏めたいとかねがね思ついてゐた。愛想づかしの度が過ぎて、私はここ十年余りシャンソンには全く興味を感じなくなつてからのことである。騒騒しい似非非シャンソンの悪貨が、私の愛惜する正統シャンソンである良貨を駆逐し尽くすならそれはそれで仕方のないことだ。グレシャムの法則の罷り通るのは何もシャンソンの世界だけではない。そして良貨、悪貨の判定基準も全く主観的なもので、ベル・エポックはともかく、いつまでもモノーにコスマではなくてはシャンソンを聴いた気のしないのは、一に私の感傷と反時代性によるものだらうと、口を噤んでゐた。
 ボリス・ヴィアン以降、すなはち’60以来のロック・シャンソンにほとんど生理的な反発を感じ、雨後の筍さながらのブラッサンス擬き、吟遊詩人紛いに軽侮の年を覚えて、古いレコードの黴の臭ひと共に過去へ自己流謫を試みてゐた折も折、’74年一月、ブリュアン・ギルベールを筆頭に二十五枚の懐古盤がオデオン盤で一挙に発売されてゐたことを知つた。知つたのは’74年も暮れ近い頃のことである。単に懐古趣味とはいへまい。古典への憧憬、正統復活のキャンペーンが日本のシャンソン愛好家の間でもやうやく盛上つて来た例証のひとつではあるまいかとひそかに期待してゐる。同時にピアフ、ブラッサンス以後現れた新人は皆亜流や屑と頑なに信じて拒絶反応を呈してゐた私の感受性を、バルバラが見事に宥めかつ癒してくれたのもこの時期であつた。もつともブラッサンスの流行が必ずしも私のやうな享受方法からではなく、フォーク・ソングの延長線上で、置くべき奇貨、系統外の大御所としての再確認であることを知って失望したのも、この頃である。聴かず嫌い癖を改めると共に、自分独りの嗜好やクレドに徹しようと私はふたたび決意した。
 この一巻はさういふ私の屈折を極めた対シャンソン的精神の一端を綴ったものだ千人に七,八人、共感し膝を打つ奇特の士がゐれば以て瞑すべしと思ついている。」

◎以下、本書の目次

眛爽の黄昏=わがシャンソン體驗

戰後五彩
 典雅なゴリラ――ジョルジュ・ブラッサンス論
 地獄の薔薇――エディット・ピアフ論
 馨る水銀――ジュリエット・グレコ論
 悍馬微笑――イヴ・モンタン論
 靑酸を含む珍味――レオ・フェレ論

戰前七星
 冥府の水仙――イヴォンヌ・ジョルジュ論
 黄昏への酸鼻歌――リス・ゴーティ論
 失樂園の巫女――ダミア論
 爛れたマルメロ(注: 「マルメロ」は漢字表記)――フレール論
 猥褻なオルフェ――モーリス・シュヴァリエ論
 淫奔なマドンナ――ミスタンゲット論
 凍れる火喰鳥――マリー・デュバ論

古典双璧
 黄金堕天使――アリスティッド・ブリュアン論
 悲しみの妖婆――イヴェット・ギルベール論

異色三巴(みつどもゑ)
 紫金の蜜――ラケル・メレ論
 黑い夕映――マリアンヌ・オスワルド論
 淡綠の蠍――ミレーユ論

故舊馥郁
 褐色の罌粟――ジョセフィン・ベーカー論
 靑い木犀――ティノ・ロッシ論
 銀色のリラ――リュシエンヌ・ボワイエ論
 紅い梔子――リナ・ケティ論
 橙黄の柏槙(シフレ)――シャルル・トレネ論

拾遺綺想
 霧月(ブリュメール)の娼婦――カトリーヌ・ソヴァージュ論
 錆朱鳥追女――パタシュー論
 熱風金糸雀(アモック・カナリー)――リーヌ・クレヴェール論
 眞珠母の涙――シモーヌ・シモン論
 羚羊飛天――マルセル・アモン論
 憂鬱なシェパード――ムルージ論
 痺れ鶯――ジュヌヴィエーヴ論
 抒情針状結晶――バルバラ論
 Miscelleneous――他の花花

詞華三十二
 ラ・マリーヌ *
 ゴリラ
 いつかの二人
 カルメン物語
 ルノーブル氏
 日曜日は嫌ひ
 そのつもりでも
 向日葵
 お祭は続く
 ミラボー橋
 水夫の歌*
 ナントの鐘
 バルバラの歌
 海賊の許婚者
 暗い日曜日
 人の気も知らないで
 ヴァランティーヌ
 マ・ポンム
 私の男
 私の兵隊さん
 幻覚のタンゴ
 シャ・ノワール
 辻馬車
 見捨てられた人
 抱きしめて
 甘い言葉を
 詩人の魂
 ドミノ
 アルフォンソ *
 パパの気に入るやうに *
 小さな雛罌粟のやうに
 いつ帰つて来るの
 *は北嶋廣敏譯、他は著者譯

●リュシエンヌ・ボワイエ(Lucienne Boyer)
「聞かせてよ、愛の言葉を(Parlez-moi d'amour)」
◎Lucienne Boyer:Parlez-moi d'amour[1930]
https://www.youtube.com/watch?v=rIAQWr34De0

●ジョセフィン・ベイカー(Josephine Baker)
「聞かせてよ、愛の言葉を(Parlez-moi d'amour)」
◎Joséphine Baker - J'ai deux amours, 1930
https://www.youtube.com/watch?v=Rks0kSRIpEc

◎ジョルジュ・ブラッサンス(Georges Charles Brassens)

・1921年10月22日-1981年10月29日
・フランスの歌手、作曲家、詩人。
・日本では仏映画『リラの門』(1957年 ルネ・クレール監督)の準主役の楽士役を演じたことと、同じシャンソンでもイヴ・モンタンやエディット・ピアフの様なショー的なエンターテイナーではなく、ギター一本を基本とし、時折ベーシストやアコーディオン弾きを率いて少数で奏でて歌うスタイルと、反体制的な風刺の効いた歌詞の内容が持ち味のために、ごくわずかな日本版のレコードしか発売されなかったせいか、あまり、シャンソンファン以外には知られていなかった。
だが、没後数十年を経ても存命中から国民的人気を誇る吟遊詩人として、彼の曲は歌い継がれ聴かれている。
また、ジョルジュ・ムスタキやセルジュ・ゲンズブールにも影響を与えたことで知られる。
(上記記載は、ウィキペディアより)

◎ジョルジュ・ブラッサンス:ラ・マリーヌ(船乗り)
Georges Brassens:La Marine
Album "Le Vent" - 1953.
https://www.youtube.com/watch?v=j5cD3arf54E

『ラ・マリーヌ(船乗り)』
(北嶋廣敏訳)

人は、とある日の小さな愛に
縮図を見る
永遠に続く愛の
歓喜と不安のすべての・・・・・・
それは船乗りたちと
愛すべき人たちの運命(さだめ)なのだ
人は素早く口を寄せ
身を寄せ合ふ

歓喜と不満
いさかひ、仲直り
大きな愛のこれらの縮図が
或る日の小さな愛にある
人は笑ひくちづける
旨の上で、
髪におおはれた
生まれたての卵のような乳房の上で・・・・・・

人が、とある一日の中で、なすことの総ては
たとへ時間をのばして
それを三倍にしてもどうせ
満足、不満、また満足、どれかになるのだ
部屋には甘美な愛と
瀝青の匂が漂ふ
それが心に歓喜と
苦悩を齎し、そして充たされる

人はそこで語りはしない
しかし愛のさ中にも思ふ
明日も夜は明けるだらう
そしてこれは災禍なのだと
これは船乗りたちと
愛すべき人たちの運命なのだ
人は身を寄せ合ふが
それが楽園にはなるまい

人は先を急ぎ
なんと時間をも追ひ抜き
時間に総ての罪を詰めこむ
といつて、それで楽園にはなるまい
けれど永遠に続く愛の
歓喜と不安の総ての
縮図を、とある日の小さな愛の中に
人はふたたび見るだらう


La Marine

On les r'trouve en raccourci
Dans nos p'tits amours d'un jour
Toutes les joies, tous les soucis
Des amours qui durent toujours
C'est là l'sort de la marine
Et de toutes nos p'tites chéries
On accoste. Vite ! un bec
Pour nos baisers, l'corps avec

Et les joies et les bouderies,
les fâcheries, les bons retours,
il y a tout ça, en raccourci,
des grands amours dans nos p’tits.
On a ri, on s’est baisés
sur les neunœils, les nénés,
dans les ch’veux à pleins bécots,
Pondus comme des œufs tout chauds.

Tout c’ qu’on fait dans un seul jour !
et comme on allonge le temps !
Plus d’ trois fois, dans un seul jour,
content, pas content, content.
Y a dans la chambre une odeur
d’amour tendre et de goudron.
Ça vous met la joie au cœur,
la peine aussi, et c’est bon.

On n’est pas là pour causer…
mais on pense, même dans l’amour.
On pense que d’main il fera jour,
et qu’ c’est une calamité.
C’est là l’ sort de la marine,
et de toute nos p’tites chéries.
On s'accoste. Mais on devine
qu’ ça n’ sera pas le paradis.

On aura beau s’ dépêcher,
faire, bon Dieu ! la pige au temps,
et l’ bourrer de tous nos péchés,
ça n’ sera pas ça ; et pourtant
toutes les joies, tous les soucis
des amours qui durent toujours,
on les r’trouve en raccourci
dans nos petits amours d’un jour…


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