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長谷川櫂『俳句の誕生』/大岡信『現代詩人論/詩人の設計図』

☆mediopos3605(2024.10.2)

長谷川櫂『俳句の誕生』については
mediopos-2373(2021.5.16)及び
mediopos3521(2024.7.8)でとりあげたが

その際には主に
子規〜虚子の俳句における「写生」について
そして大衆化によって内部崩壊し
「批評」が喪失してしまっている現状
それは俳句だけではなく
あらゆる文化に及んでいることについてふれた

今回はその観点からではなく
俳句という表現形式の成立における禅の思想の影響
そしてそのシュルレアリスムとの関係について
mediopos-1085(2017.11.4)
大岡信『現代詩人論/詩人の設計図』もあわせてとりあげる

詩歌をつくるとき
言葉以前の世界において主体の転換が起こる
長谷川櫂はそれを「空白の時空」と呼んでいる

日常的な言葉の世界にあるとき
その代償として私たちは言葉以前の世界を失っている
「言葉で言葉以前の世界はとらえられない」のである
しかし俳句や短歌を含む詩歌には
言葉以前の世界をとらえる方法が求められる

日本の和歌の原点は『古今集』だが
『新古今集』までには三百年が必要とされた
『古今集』から『新古今集』へ
和歌を変えた最大の要因は禅である

禅は言葉では悟れないと考えた
「宇宙の真の姿は人類の誕生後、
言葉によって覆い隠された言葉以前の世界、
つまり言葉のヴェールの向こうにある」

「しかし人間の住む世界はいまや言葉でできている。
そこで宇宙の真理を覆い隠す言葉のヴェールを剥ぐには
言葉を使うしかない」

ゆえに「言葉はその論理的な脈絡を断たれて
短い断片になるしかない」
そして「禅問答」が生まれた

「禅問答とは言葉の限界を言葉によって知らせ、修行者を
宇宙の真理に直面させるための言葉の仕掛け」である

言葉以前の世界は現前しているが
わたしたちはそれに気づけないでいる
そこで禅問答によって
「その言葉のヴェールに切れ目を入れて、
言葉以前の世界に目覚めさせ、悟らせる」のである

「和歌の王道をゆく『古今集』の歌は
禅の思想を受容することによって言葉を切り結び、
新古今的語法の歌に生まれ変わった」

禅の言葉を真似るように
和歌の詩型は短くなり問答性を高め
俳諧の連歌となり
さらにその発句が独立することで俳句が生まれた

第一次大戦後のヨーロッパで起こったシュルレアリスムは
「言葉では真理に到達できないが、言葉しかない、
という禅の思想」と共通したところがある

詩人の大岡信はシュルレアリスムの優れた理解者だったが
みずからをシュルレアリストと自称することはなく
その陥穽についても自覚的だったのは
「禅が生み出した新古今的話法、
そこから誕生した連句の存在をすでに知っていたから」だ
と長谷川櫂は示唆を加えている

話をもとに戻すと
私たちは言葉を使うことで
言葉以前の世界からヴェールで隔てられている

詩歌にふれるということは
その言葉以前の世界に
言葉でふれるということでもある

詩的言語という問題もそのことに関連している
言葉以前の世界は固定された主体の世界ではない
そこでは「空白の時空」としての
主体の転換がもとめられる

言葉によって
言葉によって失われた世界に入らねばならない
まさに禅問答としてのポエジーである

■長谷川櫂『俳句の誕生』(筑摩書房 2018.3)
■大岡信『現代詩人論/詩人の設計図』(講談社文芸文庫 2017.6)

**(長谷川櫂『俳句の誕生』〜「第四章 無の記憶」より)

*「詩歌を作るとき、主体の転換が起こる「空白の時空」とは何か。」

*「空白の時空」とは、一言でいえば言葉以前の世界である。」

*「言葉の世界にどっぷりと浸かっている大人は言葉の代償に喪失した永遠の静寂を忘れかけれているが、言葉を覚えて間もない子どもは言葉によって失われた楽園を記憶している人たちだからだ。そして詩人もまた楽園を忘れえない人、つまり子どもなのである。」

**(長谷川櫂『俳句の誕生』〜「第五章 新古今的語法」より)

*「言葉で言葉以前の世界はとらえられない。(・・・)そして言葉以前の世界、永遠の静寂の世界をとらえるにはどうすればいいのか。俳句や短歌を含む詩歌の根本にあるこの問題について考えたい。」

*「『古今集』から『新古今集』まで三百年。この間、和歌に何が起こったのか、

 和歌を変えた最大の要因は禅である。ここでいう禅とは臨済宗、曹洞宗などの宗教の禅ではなく、禅の思想である。禅の起源はたしかに宗教だが、数百年を経るうちに宗教の枠に納まらない思想にまで発展した。いや禅とはもともと思想だった、それがたまたま宗教という形を借りていたと考えたほうがいい。」

*「和歌の王道とされてきた『古今集』に対して、(藤原)定家たちが『新古今集』の新しい歌を詠むことができたのは、禅の思想が王朝の和歌に対抗できる新しい和歌の基準を提示したからである。定家たちは王朝の和歌の本歌取りという形を借りながら、実はこの新しい基準に立って、王朝の和歌を批評し、『古今集』を批判している。『新古今集』の「新」とは単に新しいという意味ではなく、『古今集』に対する批判という意味なのである。」

**(長谷川櫂『俳句の誕生』〜「第六章 禅の一撃」より)

*「言葉を切り結ぶ『新古今集』の歌を詠ませ、王朝を批評する『徒然草』を書かせた禅とはどのような思想なのか。

 禅を言葉でいうのは難しい。なぜなら禅とは言葉とその論理への不信を根本に据える思想だからである。禅僧つまり禅の思想家たちは言葉では宇宙の真理をとらえられない、禅の用語でいえば言葉では悟れないと考えた。宇宙の真の姿は人類の誕生後、言葉によって覆い隠された言葉以前の世界、つまり言葉のヴェールの向こうにある。そこで禅では悟りのためには言葉より行動、坐禅などの修行を重んじる。「語らず、黙って坐れ」となるわけだ。

 しかし人間の住む世界はいまや言葉でできている。そこで宇宙の真理を覆い隠す言葉のヴェールを剥ぐには言葉を使うしかない。言葉では宇宙の真理に到達できないが、人間には言葉しかない。言葉に対する相反する二つの志向に引き裂かれようとするとき、言葉はどうなるか。言葉はその論理的な脈絡を断たれて短い断片になるしかない。

 こうして生まれたのが禅問答である。禅問答では言葉によって宇宙の真理に到達する、悟りの方法(方便)である。しかし論理的な脈絡を断たれているので修行者の問いと指導者の答えがちぐはぐになる。通常の論理的な思考では問いと答えをつなぐことができない。そこで修行者は論理的な思考を捨て、言葉を捨てて宇宙の真理と直面するしかない。禅問答とは言葉の限界を言葉によって知らせ、修行者を宇宙の真理に直面させるための言葉の仕掛けなのだ。」

*「言葉以前の世界は言葉の誕生以前という過去にあったのではなく、その後もずっとそして未来永劫に言葉の向こうに存在する。言葉以前の世界は現前している。ただ言葉に覆われているので人間が気づかないだけなのだ。その言葉のヴェールに切れ目を入れて、言葉以前の世界に目覚めさせ、悟らせるのが問答である。」

*「王朝の和歌は平安時代末期以降、南宋からもたらされたこの禅の思想にさらされつづけた。通常の言葉の論理では宇宙の真理に到達できないという禅の思想に直面し、和歌の言葉は切り刻まれて断片となり、別の言葉と連結される。その言葉と言葉の間の「空白の時空」にそれまでの和歌ではとらえられなかった新たな世界が姿を現すだろう。

 こうして王朝の和歌はみずからの胎内に禅の思想を孕むことによって、新しい中世の和歌に生まれ変わった。それが『新古今集』であり定家の歌だったのだ。彼らの歌がしばしば禅問答風なのはそのためである。」

*「和歌の王道をゆく『古今集』の歌は禅の思想を受容することによって言葉を切り結び、新古今的語法の歌に生まれ変わった。しかし禅が日本の詩歌に与えた影響は和歌の内部における変容だけではなかった。詩歌の形式も変えてゆくことになる。」

*「禅の言葉を真似るかのように和歌はさらに短い詩型へと進化し、かつ問答性を高めてゆく。そして中世に入ると、いわば連衆の問答である連歌が知的階級で流行し、それが俳諧の連歌となり、その発句が独立して俳句が誕生する。俳句は禅にはじまる新古今的話法が行き着いた最終詩型、最小の一単位なのだ。」

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*「第一次大戦で廃墟となったヨーロッパで沸き起こったシュルレアリスム(超現実主義)の全体像をとらえるのは難しい。理由の一つはアンドレ・ブルトンが一九二四年に『シュルレアリスム宣言』を発表して以来、シュルレアリスムとは文学、美術だけでなくさまざまな分野の異なるさまざまな人が参加しては脱落していった変容する運動体だったからである。

 しかし、より根本的な理由はシュルレアリスムが言葉によって言葉の向こうの世界をとらえるという矛盾した情熱に突き動かされていたからだろう。シュルレアリスムは「超現実主義」と訳されるが、その超えるべき「現実」は単なる現実ではなく既存の言葉とその論理によって覆われた現実をさしている。そしてその現実を超えるには言葉によるしかなかった。なぜなら世界は言葉でできているからである。」

*「言葉では真理に到達できないが、言葉しかない、という禅の思想がシュルレアリスムと時空を異にした双子であることは明らかだろう。シュルレアリスムが実践的な方法とした自動記述(オートマティスム)をみれば、その類似がもっとはっきりする。

 人間は通常、明確な意図をもって文章や詩歌を書く。それを意識ではなく無意識に任せようというのが自動記述である。無意識に任せることによって、言葉は論理の鎖から解放されて自由に(言葉自身の意志で!)結びつく。そこに言葉の論理で覆われた現実の世界を超えて、新しい世界が出現するはずだ。シュルレアリストたちは自分自身を離れて空白の時空に遊ぼうとした。つまりぼーっとしようとした。ぼーっとすることで言語以前の世界を垣間見ようとしたのである。

 このシュルレアリストたちの企ては禅問答、そこから次々に誕生した新古今的話法、連句、そして俳句の取り合わせ〈a+b〉と驚くばかりによく似ている。シュルレアリスムも禅もそれから生まれた新古今的話法も俳句も、はるか昔、人類が言葉を獲得したことによって失われた永遠の静寂を懐かしむ人類の郷愁は姿を現したものなのだ。

シュルレアリスムの優れた理解者だった大岡信は『詩人の設計図』(一九五八年)の「自動記述の諸相」の最後に(註)として次の事例を紹介している。

   (註)シュルレアリストのグループはしばしば集まって、一枚の紙につぎつぎに一語、あるいは一本の線を記しながら、この紙片を一同の廻す遊びをした。この遊びは、いわば集団的な無意識の探求といったもので、次々に書き加えられる言葉や線によって、きわめて異常なイマージュやデッサンが作りあげられた。かれらが試みたこの遊びで最初に得られた章句の冒頭の一句は「美妙な————屍体は————新しい酒を飲むだろう」というものだった。この遊びはこの記念すべき一句をとって〈美妙な屍体〉と名づけられた。

 ここに書かれている「一枚の紙につぎつぎに一語、あるいは一本の線を記しながら、この紙片を一同の廻す遊び」とは本来、一人で実践すべき自動記述を複数でやっているということである。そしてそれは連句にほかならない。

 連句を巻く連衆は一句つけるごとに主体の転換を体験する。それは連句がシュルレアリストが探求した無意識を、他人という明確な形にしてとりこむ詩型であるということだ。シュルレアリストが自動記述によって無意識を招き入れようとしたように、連句の連衆は一句つけるごとに他人という無意識と出会うことになる。西洋の詩人たちが確固たる主体にとらわれるあまりみずから封印しつづけてきた無意識、そこで起こる主体の転換を、連句の連衆は新たに句をつけるごとに日常的に実現してきたということになる。

 大岡がシュルレアリスムの感染者とならず、優れた理解者になれたのは禅が生み出した新古今的話法、そこから誕生した連句の存在をすでに知っていたからである。ヨーロッパのシュルレアリスムだけを見るのではなく、東西の言葉と詩歌の歴史を俯瞰していたからにほかならない。一世代上の詩人たちが、シュルレアリスムという熱病に感染し、誤解して安易にシュルレアリストを自称したのに対して、大岡が霊性に動じなかったのは「シュルレアリスムだって? 『新古今集』で体験ずみじゃないか」と心の中で嘯いていたからだろう。」

**(大岡信『現代詩人論/詩人の設計図』〜
   「詩人の設計図」〜「シュルレアリスム ひとつの視点」「自動記述の諸相 困難な自由」より)

*「「オートマチスムの追求は、本来主観性と客観性との分裂を解消し、これを超現実的な総体に綜合しようとする意図のもとになされている。しかしシュルレアリスムは、いかにして綜合されるかについては、合理的な説明を行っていない。

(中略)

 ぼくらはかれらシュルレアリストの作品を読んで、そこに、たとえば自動記述の方法を跡づけることはできない。しかしそこに、解放された想像力がつかみとったイマージュやリズムを見、あるいは感じとることはできる。そして、この点が重要なのだが、ぼくらの内部で、それらのイマージュやリズムに呼応して、空間がひらけ、時が流れるとき、はじめてその詩は真に完成したといえるのだ。「詩人とは霊感を受ける者であるよりも、はるかに、霊感を与える者である」とエリュアールはのべているが、シュルレアリストの試作品は、霊感を与えられ、言いかえれば想像力を解放された読者との創造行為によってはじめて完成されるものといえる。」

*「もともとシュルレアリスムには二律背反的性格がつきまとっている。シュルレアリストが解体を通じての新しい綜合をめざして自動記述の方法をおしすすめればおしすすめるほど、そこに形造られるイマージュの世界は、特殊な、破片的なものになっていく危険が常につきまとった。従来無視されてきたある種の連想形態の優れた現実性や、夢の全能性に対する信頼に立脚するとはいっても、これらの現実性、全能性を信じるための客観的規準はない。」

*「シュルレアリストにとっての自動記述は、美を生み出だすための手段であったのではない。美は自動記述の過程において発見されるものであって、発明されるものではない。それは自動記述が単なる内的独白などとは異なり、意識的人間と、彼自身の内部にあって全宇宙とひそかに交信している神秘的な隠れた部分との対話であることを常にめざすべきものと考えられていたからだ。自動記述はシュルレアリストにとっては単なる文学的構成の一様式ではなく、宇宙および人間の未知の領域を探るための強力な武器であった。シュルレアリストたちを動かしていた衝動は、文学的あるいは芸術的野心であるよりも、はるかに人間の総体を知ろうとする野心、いわば<人間の科学>であった。美は目的ではなく、結果としてかれらに与えられた。だからそれが、とりわけ痙攣的なのだ。」

*「シュルレアリスムをとらえていた観念のうち、最も重要なのは、人間という複雑な構造のなかでいかなる矛盾も意味をもたなくなり、認識と事物のあいだにいささかの間隙もなくなり、言葉が描写や叙述ではなくて現実そものもとなると同時に、言葉としての実体はあくまでも失わないでいるような瞬間、そうした絶対的な超現実にふれる瞬間があるという観念だったといえよう。これは言いかえれば、人間が全体としての自己を見出そうとする熱望のあらわれにほかならず、自動記述がシュルレアリスムにおいて最も重要な位置を占めているのもこのためにほかならない。意識が常にある目的に向かって集中し、欲望を統合的、論理的に組織化すると同時に、矛盾を監視、排除しようとするのに対し、潜在識の内部には意識によって抑圧され、とじこめられた欲望が、たがいに矛盾することなく混じりあいながら生きつづけている。シュルレアリストがこの領域にメスをあて、抑圧された欲望に出口を与えようとしたことは、かれらをとらえていた観念がこのようなものであった以上、きわめて当然だった。そしてかれらが、論理化される以前の、欲望と同体である言葉をひきだし、自動記述によって定着したとき、これを意識の眼で見る読者がそこにショックを感じ、教育な美を感じたのもきわめて当然だった。だからシュルレアリストがいかに拒絶しようと、ここには美学、シュルレアリスムの美学が必然的に形造られもしたのである。」

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