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【思春期メモ】アルゼンチン移住生活におけるデジタルデトックスのルール


ご訪問ありがとうございます。
父子のアルゼンチンサッカー留学での日々、感じたことを配信しています。



〇 アルゼンチンという国では


アルゼンチンでは、子供だけで外出することが法律で禁じられている。安全面での配慮のことで、12歳までは大人が付き添わないと外出できない。
日本では当たり前だったこととのギャップ、というよりも世界各国ではそれが当たり前だということを、海外生活を始めてから知った。

日本にいた頃、社会勉強という意味で6歳から一人で電車に乗ってサッカーの練習にも行かせていた。今思えば、日本でそんな訓練ができて良かったなと感じるもある。

アルゼンチンでは、学校の行き来でも必ず父兄が帯同する。子供のリュックを親が持ってあげて一緒に学校まで送迎するのである。その影響で、親と子がどこから単独行動するのか、という弊害も起こるのである。



〇 14歳でスマホデビュー


アルゼンチンは小学校が7年制なので、日本で言う中2の年齢からが中学生活になる。我が家も中学からは単独行動をしようということで、スマホデビューをすることになった。

もちろん南米なので、子供をつけ狙う盗難や強盗にも気を付けつつ、連絡の取れるツールとしてのスマホなのだが、便利であるが故に生活がスマホ中心になってしまうという懸念もあった。

大人も「スマホ中毒」になっており、手元から離れることもなくスマホを操作している。これを見た子供にスマホの操作を規制できるはずもなく、もっともっとスマホに依存する世の中になっていくことは容易に想定できることである。



〇 ある時、思ったこと


家にいる時にスマホから離れる時間はトイレとシャワーの時間、あとは眠っている時間くらいだろうか。子供の姿を見て思ったことではあるが、そういう自分もそんな状況に陥っていることに気づいた。

親子2人で生活でしていて、目を合わせる時間は本当に少ない。スマホをいじりながらの会話なので、お互いの話を聞き漏らすことも多くなっていく。

スマホを使う時間に規制をかけるのも限界がある。本当に必要な連絡もあれば、時には聞き逃せない情報もある。だったら『スマホに触らない』時間を親子で設定すればいい、っていうのが始まりだった。



〇 名付けてデジタルデトックス


我が家で最初に始めたのは食事の時間。食事をする時にはスマホに触らず、手の届かない場所に置くようにした。(当たり前か?)
すると、自然と親子で会話をするようになる。もともとテレビのない海外生活なので音もなくなるのだが、それはそれでいい時間になっていった。

スマホに依存しているせいか、他愛のない話をする時間がなくなっていたのだ。他愛のない隙間をスマホで埋める習慣をつけてしまっていたことに気づいたのである。

スマホを伏せて重ねるっていうだけ


我が家では晩酌もしていないので、食事の時間はせいぜい30分。そんな時間なのに、14歳はスマホを触ろうとする。
「調べたいことがある」「今、気になるから」って言えば良いと思って何度も聞いてくる。でも、どうせ食事が終われば忘れていることなのに。

手元で触れる場所にあることが問題なのかなとも思う。4歳上の長男と日本で暮らしている時は家でのスマホは玄関に置いていた。
玄関で充電すると決めて、気になるなら玄関で見る。すると、劇的にスマホに触れる時間が減っていったのだ。

気になるから触れてしまう、無いなら無いで何の支障もない。そこまで重要な案件で連絡がある時は、そんな予兆が必ずあるものだし結局は大したことない連絡に分単位で振り回されているだけなのだ。



〇 重要な連絡ツールであるが故に


今となってはスマホのない生活は考えられない。特に海外で生活していると、スマホがない生活が全く想像できない。
いつでも繋がれる便利な時代ではあるものの、人とのコミュニケーションが弱体化していくことにも繋がっている気がしている。
その証拠に、私自身もスペイン語はほとんど話せなくても、アルゼンチンの日常の生活面で困ることなく過ごせているという現実がある。


スマホは便利ツール


昨今取りざたされているAI技術が教育に及ぼす問題なども、使いこなすことは素晴らしいツールであることと、それしか知らない人が今後どうなっていくのかということが問題なのであって、結局は規制などできるはずもなく、使う側の意識次第という世の中になっていくのだと感じている。

取り扱い説明書も言語辞書もいらない便利さは、やはり人間にとってはありがたいツールであるということなのである。

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