嫌われることも必要 ~発信すること~
1.好かれたいの裏返し
全員に好かれたいと思うことが、どれだけ疲れることかということに気づいた時に気が楽になったことを覚えている。嫌われることを当たり前に思っていないとやり切れないことばかりだし、全員と上手く付き合おうということの方がいびつであるって割り切れるようになった瞬間だった。
何かを背負う責任ある立場になった時に、大勢から注目されるというプレッシャーを感じると、人がどう思っているのかを気にしすぎてストレスになってしまうことがある。人気者である必要もないのに、そんな偽りの自分を作ってしまおうという錯覚が起こるという現象。そこに好きな人がいる反面、どうしても嫌いって事があるのが人間関係ってもの。そこに感情を持ち込んでしまっては大勢を束ねることの足かせにしかならないのである。
2.考えるべきことは
嫌われてしまう人には自分のセンスが伝わっていないと思う事が何よりも重要で、好かれようと必死になって消耗てしまうという誤解から自分自身を守ってあげてほしい。そこに好かれることに振り切るパワーを他にあてるべきだし、ストレスを溜めることが結局は時間の無駄になってしまうというだけのこと。人生の価値観は人それぞれであり、センスが全員に伝わるなんてこともないし、心を閉じることなく接することができればそれで充分だと思うから。
かと言って、自分から嫌われにいく必要もない。ここが考え方の難しいところで嫌われようとしていないのに嫌われる、そこに気づいた時のことを心の中で準備しておくというだけのこと。否定されることも想定しておかないと、自ら何かを発信することなんてできないし、どうしてそう思うのかという議論が実は自分にとっての財産だったりもするということ。嫌われた理由ではなく、何が伝わらないのかを考える事に時間を費やしたい。
3.全員が仲良いということもない
何かの集合体で「全員仲がいい」という事も難しくて、「全員仲がいい」とは全員が「我慢できている」ということでしかないということ。そこに感情を出すのはなく、一定のマナーと距離感を自覚した中で全員が我慢できているというルールが確立できていれば、「全員が仲がいい」という状況を生み出すことができるのである。それは言いたい事を我慢するという日本人が得意とする「空気を読む」ということではなく、自分をオープンにしていないのに他人を知りたがる(探りたがる)という組織には「我慢できない」人が多いように思っている。一緒に時間を過ごすなら、その人のバックボーンに一度は興味を持ってみる。そうすると、お互いの興味が沸いてくるもので、それだけで人間関係が円滑にいくことが多いのである。
4.慣れた場所への自己PR
人間関係で上手くいかない環境から相談を受けた時、必ず最初にすることは「面談」だった。と言っても堅苦しいものではなく、組織で一番影響力のある方との面談をして、どんな人かを取材する時間にする。
など、会話の中でこれらを聞き出して文章化する。自分の自己PRを他人に文章化されると、何とも照れ臭いものだが全ては本人から発信された内容であることを許可いただき、その組織全体で共有するのである。
すると、そこに変化が生じてくるもので、発信した人を見る目線が明らかに変わるのである。「先輩の〇〇さん」から「○○さんの趣味は・・」と潜在意識の中でオープンになるだけで、その組織内の心の距離感に変化が起こるのである。
5.自己PRの注意点
ここでも好き嫌いが生じてしまい、上手く自己PRを引き出せる人とそこに協力的でない人との温度差が出てしまう。晒される意識が先行して、警戒されてしまうことも多々あるので、そういう方の情報(趣味など)を知っておいた方が良いし、時には自分を晒していきながら相手の気持ちを開いていくような脱線も必要になる。場合によっては嫌われ者にされてしまうかもしれないが、そこは部外者として受け入れていく。温度差を残さずに文章化することが一番難しい作業なのかもしれない。
面談の後のアフターケアも重要で、自己PRのアウトプットでどんな変化があったのかを聞いてみる。必ず心理的な距離感の変化が起こっていて、今まで話したこともない人から話しかけられたりして、環境の景色が変わったことを実感してもらえるはず。ただし全員ではないので、何人かにその変化が見られればここではOK。次回からもっともっと楽しい自己PRを引き出す話術を身につけるというステージに変わってくると環境に変化が見えてくる。
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