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小学生のチーム移籍はリスクなのか?


我が家の子供たちがジュニア(U12世代)から卒業して随分経つ。
ここで書き残しておきたいことがあった。


それはジュニア世代サッカーとの出会い


ウチには当時4歳差の男子兄弟がサッカーをしていた。
兄の低学年の時には育成サッカーの知識もなく、人気のサッカースクールに通って満足していた。
ある時、スクールの指導者から『どこかチームに入れた方が良い』とのアドバイスをいただいて、近所のスポ少を巡ってみることにした。

2つのスポ少を体験に行って、本人が行きたいというチームに所属した時がサッカーの付き添い生活のスタートだった。
当時で小学校3年生。週末の試合も月に一回あれば良い方で、毎週の練習に時間通りに通うことが週末のスケジュールになっていった。

そして、グランドに着いて行かざるを得ない次男も同じチームに保育園の年中から所属してサッカーを始めることになる。


次男のサッカー(当時1年生)


そして移籍の問題


だんだんとサッカーを深堀りしていくうちに、スポ少レベルでは物足りなくなってくる。スポ少同志なのにどうしても勝てないチームと出会って、もっと高いレベルがあることに気づいたのである。
やや遅い時期ではあったが、公式戦の登録直前にスポ少に街クラブ移籍をもし入れることにしたのである。

今思えば、それは騒動の始まりだった。「選手登録すれば移籍はできない」という指導者の言葉が聞こえてきたのだ。
要するに、移籍をさせない手段を聞こえるように言葉にする指導者がいた。その時に、移籍がそれほどにデリケートな問題だと知った。

結局は、移籍先の街クラブの責任者がスポ少に声をかけてくれて移籍が成立するのだが、それほどのことかと思ったのが始まりだった。
移籍を決めるのはあくまでも個人の意思であって、スポ少や街クラブの損得で良し悪しを決めるようなことではない、そう思っていた。

街クラブに移籍し、登録も無事に済んで1年半くらいの活動に参加できた。やはりレベルが違うし、サッカーをこれからの人生に役立てるという意味では決して間違った選択ではないと今でも思っている。


移籍後も次男はスポ少に所属していた


当時小学1年だった次男は、引き続きスポ少での活動に参加していた。
ここでも風当りが変わってきたという実感があり、周りからもいろいろと噂されることを耳にすることが多くなってきた。
とはいえ、大人の事情なので子供が楽しくサッカーをしているうちは、続けていこうと思っていた

その時に事件が起こる。スポ少独特の『懇親会』と言う名の大人の酒を伴う定期的な会合が催された日のこと。
そこに参加していたある若い指導者から
『おい!お前もどうせ○○(街クラブ)に行くんだろう?』
と、当時1年生の次男に酔っ払って絡むように言い放っていた。

その瞬間から、スポ少で活動することには未練がなくなった。
おそらく、その若い指導者は言ったことも記憶していないと思う。
親目線だけで言えば、何とも許せないひと言になってしまったのだ。
翌年から次男も同じ街クラブに移籍して、さらにハードな付き添いの生活がスタートしたのである。


指導者との出会いとは


指導者との出会いは、スポーツにおける重要なファクターである。もちろんサッカーが好きで、自分次第という要素があることも理解している。
でも、ちょっとしたことで発してしまう本音のひと言で、関係が壊れてしまうというのも難しい仕事だということも最大限理解をしている。
小学一年生の小さな子に『お前もどうせ』って放ってしまうポテンシャル。スポ少のボランティアコーチであっても、言ってはいけないひと言だったように思う。


サッカーチームは選べるべき


育成世代の移籍にシビアかどうか、それは地域性も大きく影響するとは思うが、少なくとも選ぶ権利はプレーする選手にもあるべきだと思う。
移籍=登録という問題もあり、出るチームとの関係性を保って移籍することにまで、父兄が配慮する必要があるのかどうか。
契約や約款の取り交わしをしてでも、そんなルールを作るべきなのか。もしそうだとしたら、指導者の普段の言動にも教育が必要ということになる。

結論から言うと、兄弟で移籍したことは正解だったと思っている。
父子でアルゼンチンに渡る時もそのクラブに相談した。その時も色眼鏡で見ることなく、真っすぐ聞き入れてもらえたことには今でも感謝している。
身内を含めてほとんどの人は本気にせず(むしろ反対派)、いない所での噂話のネタになっていたことは記憶に新しい。


兄ちゃんのサッカー(中学時代)


この春、長男は高校の寮生活から帰ってくる



高校までの6年を寮生活でサッカーに没頭した長男。そんな決断をしたのも街クラブでの経験があってこそだと思っている。
18歳で高校を卒業しても、「サッカーが好き」と言える人生。それが良いか悪いかはわからないけど、ここまでの本人の選択には間違いなかったということ。
そういう意味でも、心無い指導者のもとで居心地を求めなくて良かったと思っている。
人生の選択でもそういう場面がある。居心地の良さ、慣れているからというだけでそこに居座ることが、最良の選択なのかどうかを見極めながら、これからもサポートしていこうと思う。


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