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原発とエクセルギーハウス

日本産水産物を中国が全面禁輸にしていることについて思うこと

日本経済新聞(2023.8.25朝刊)

風評被害。。
日本政府は基準を下回る数値で安全であるとして、中国に禁輸の撤回を求めている。

処理水放出で中国全面禁輸を受け、早期撤廃を求める西村経産相

とはいえ原発事故を起こし、事故処理水を薄めて海に流す国ということには変わりないので、中国側の言い分も理解できる。
(ビッグモーターで受付だけやってる人も白い目で見られるのと一緒)



クリーンエネルギーと言いながら、再エネだけで電力需要を満たせず原発廃止を撤回する動き等は国際的にもあって混乱が見られるが、原発電力の真のコストを見定めれば、再稼働等という選択肢は出てこないはず。
(見えないコストにはたとえば被害補償があり、今回であれば水産業への影響をどうはかり、どう補償するつもりなのだろうか、そして結局は誰がその金を払うのか。 被災農地も含めて、まじめにやってる一次産業と国民が常にツケを払わせ続けられている)



原発の事故リスクが低いかどうかはどうでも良くて、確率がいかに低くても、その万が一が起きたときに対処の仕方が分かっていないようなものを取り扱うことが問題なのであって、今だって溶解した核燃料を取り出す目処は立っていない。
(想定外の規模の大地震なんて、地震大国においては想定内だったはず)



動かすかどうかの議論は、事故が起きたときにどうすればよいかの技術が確立できてからの話であって、それ以前に再稼働や中間処理施設の用地確保を進めるなど論外。



再エネ含め、エネルギー事業への研究・開発投資を今まで以上に進めるか、それが達成できなければ需要を抑えるしかない。



将来の問題に真剣に向き合わない人たちに、自分たちの未来を預けられない。

と、ここで終わると批判だけになってしまうので、前向きに、何をすべきかを考えてみる。


原発に依存したくない、という思いは誰もが持ちながらも、ひっ迫する電力需要を満たせないのが根本的な課題だとしたら、私たちにできることの1つは現実的な路線で電力消費を抑えることだ。

エクセルギーハウスの可能性

エクセルギーという考え方がある。
家庭での消費電力の内訳を見てみると、驚くことに電気エネルギーよりも熱エネルギーとしての消費が多いことに気づく。

家庭における消費電力量の内訳
(令和3年度家庭部門のCO2排出実態調査事業委託業務(令和3年度調査分の実施等)報告書 世帯当たり年間消費量の機器別構成(2019年度)

つまり、発電により得られた電気エネルギーを、再び熱エネルギーとして消費している訳である。

エアコンとは、1の電力投入で3の屋内冷却を達成する性能の場合、同時に屋外を4(3+1)暖める装置である。つまり、各家庭が屋内を冷却すると、それは同時にみんなで力を合わせて屋外を加温していることになる(ヒートアイランド現象)。

このエアコンの使用を抑え、快適な温度幅で暮らせるようにする建築設計の1つがエクセルギーハウスで、その建築設計者が黒岩哲彦氏である(ここまで数行は著書「エクセルギーハウスをつくろう: エネルギーを使わない暮らし方」の受け売り)。

今年は特に暑い猛暑日が続く。当たり前に使用するエアコンであるが、果たして本当に快適か――

エアコンはたしかに涼しいが、直風は体を冷やしすぎるし、効きすぎた部屋で過ごし続けると不調をきたすこともある。常に一定の温度の部屋で過ごすこともしかりである。外気温と同じように日中あがり、夜に下がる。過ごしやすい室温で、そうしたリズムを持つ家が身体にとってもっとも快適である、という説明は説得力がある。

ただ、電力消費を抑えましょう、と言われると、国が悪い、電力会社が悪い、なんで私たちが我慢しなければいけないのか、という話になりがちでしんどい(もちろん国や電力会社が悪いことは自明)。

ところが、エアコンによる快適性を一度疑い、体にとって本当に快適な居住環境を求めるという姿勢に立つと、光が見えてくる。環境優先自己犠牲ではなく、環境にも人にも優しく、という前向きな提案である。そして、そうしたメッセージを優しく語りかけ、技術の確立と普及に尽力する人たちをみると、やはり頭が下がる思いがする。

こうしてエクセルギーハウスを設計し建てる建築家、思いに触れ書籍化を後押しする出版社、取材し放映する人たち・・・

感銘を受けてそうした家を建て、住まう人たち。その良さを伝える人たち・・・

少しずつ、良くなっていく。良くしていくしかない。少しずつ。
この記事もエアコンを効かせた部屋で書いている。そうした自己矛盾を抱えながら。できることをやっていくしかない。無理せず、焦らず、少しずつ。

怒りに任せて筆を執り始めたが、その矛先は行動を伴わない自分にも向くことに気づく。怒りではなく、冷静な思考と判断、行動の先に解決の道は開かれている。この悔しさを忘れたくないから書き留めておくことにした。

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