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学術の意義と業界と

珍しくGoogle アラート*1で「過疎地交通」に関する論文が4件ヒット*2したので、見てみるとすべて土木学会の論文集でした。
(おそらく特集でも組まれたのではないかと思います)

私は所属していませんが、土木学会は昔から交通を主要なテーマの1つに据えているわりと大きな学会です。

LRT

これまで都市(あるいは地方都市)を主な対象にした、またバスや鉄道を対象にした運行計画や路線計画など、いわゆる交通計画(交通行政や運送法上の交通)に関する論文が多かった印象ですが、今回は”過疎地”の「共助交通(運送法上の運送にあたらない交通)」を対象とした論文がまとまって出てきています。
このテーマを研究してきた身としては、社会課題として、また技術発展を背景に、主流なテーマになりつつあるのだなあと嬉しく感じています*3。



さて、私がこうした交通系の学会に先んじて、過疎地交通をテーマに成果を公表できた*4のは、何も早くからこの課題に気づいていたからではありません。社会課題としては当然に認識されつつも、テーマにする難しさがあったからです。

こんな話から、巡らせた思いを残しておこうとメモにしました。


学会というもの

さて、いわゆる学会、より厳密に言うと特に応用分野の学会には、関連団体というのが存在します。学会のメンバーは研究者だけでなく、行政担当や実務者等からなるコミュニティを形成しています。

たとえば土木学会ではバス事業者や鉄道事業者、交通系コンサルタントなどです。関連団体は学会への資金提供だけでなく、データ(利用者情報)提供や学生の就職先の1つとして、また大学の先生にはそうした分野で活躍できる人材の育成、ときにはロビイングといった役割があり、両者は切っても切れない関係といえます。

学術の役割の1つは客観性ですが、研究資金が不足すれば研究も窮するのが現状です。また、必要なデータの取得にコストがかかりすぎれば、実現困難な研究課題も生じます。その先はいわずもがなです。

政治的に、共助交通は交通事業者(バスやタクシー事業者)の利権と対立しやすいテーマです。今もそうですが、NPOによる過疎地での有償運送を限定的に認める法制化がされたときにも、業界からは批判と反発がありました。

私は団体と利害関係のない(部外者である)からこそ、学術的意義と社会課題に即してこうしたテーマを自由に選ぶことができたのです。

そして同じことは農業分野でもいえます。

農学系の学会では、関連団体として・・(詳しくはお察しください)
(そうした機関からの研究助成やデータ提供、学生の就職、発行誌への原稿依頼などは、もちろん交通系の例と同様に存在します)

同じように農地法に絡む課題も、政治的に非常にややこしいです。
そして関連団体と関係性が深ければ深いほど(つまりその業界で認められていればいるほど、と言っても良いと思います)、心情的に取組みにくい課題というのも存在します。

自分の研究テーマを振り返ったとき、気づくとこうしたテーマばかり選んでいるなあと思うのですが、何も好んでそうした研究課題を狙っているわけではありません。自分なりに「なぜか」を問うてみると、一つの結論にたどりつきます。

研究テーマの選び方

研究者が研究テーマを選ぶとき、自分の関心、分析的強み、専門性、社会的インパクト、実現可能性、新規性など、さまざまな理由から重要度をはかり、優先度の高い課題を選ぶことになりますが、新規性を判断する際に、こうしたテーマは間隙となっているのです。
(重要な課題というのは、誰にとっても重要なので、重要であればあるほどすでに誰かがやっていることが多いです。重要なのにやられていないのは、何か理由があるわけで、私が取組んできたテーマは、その分野の多くの人たちにとって、上記理由などから取組みにくいテーマになっているパターンであったのだろうと思うのです)

そこではたと気づくのです。真に重要で意義のある研究に持続的に取組むためには、偏りのない資金を集めなければならないのだ、と。

研究と資金

日本人がノーベル賞をとるたびに、そして受賞者のスピーチのたびに、日本は研究への投資が足りない、このままでは日本の科学力は低迷すると叫ばれていますが、すでにかなり地に落ちていると思います。

多くの分野で国外への頭脳流出はますます加速しています*5し、いくつかの分かりやすい指標でも日本の研究力の低下を示すデータは多くあります。

見た目に分かりやすかったので・・

そうした中で、公平な資金源が減れば、あらゆる分野で資金の潤沢な研究に流れていくのは当然ともいえます(昔から資金力のある軍事研究は活発かつ先進的*6です)。

分かりやすい兵器の開発だけが軍事研究ではありません

業界の力や国家権力に対して、学術はあまりに非力です。短期的にお金になる分野への選択と集中や、民間資金活用への傾倒は、この流れをますます加速させます。

学術が自立するためには

以前から、国の研究費(科研費)と与えられたポストに頼るだけでは日本の学術に未来はない、と思っていたので、少なくとも自分がやれることとして、この分野で研究と社会実装を両輪で回しながら知見の社会還元と資金創出を循環させるしくみづくりを急がねば、ともがいていたのですが、この「資金」が色のないものでなければならないのだ、と思い至り、今はなかば愕然としているのです。

結局、お金を生む研究テーマだけを選べば、学術としての意義深さや社会課題としての重要性は二の次になってしまいます。
私が研究キャリアを通じて為そうとしていることは、新たな「業界」を生み出そうとしているだけなのではないかと。では、どうしたらいいのか。

答えは出ません。

国に頼っていてもしょうがない、自分のことは自分でと言いつつ、私はアナキストではないのです。巷でアナーキーの実践を説く専門家風情も見かけますが、彼らの生計が何で立っているかをみればすぐにその矛盾に気づきます。

研究者は国家があるから存在できているのです。
ジリ貧でますます優秀な学生が研究者の道を選ばなくなっています。
そして似た現象は、研究分野以外でも起きているようです。たとえば霞が関でも。こんな話はまた機会があれば。

ですが憂いてばかりではいられません。
Child In Timeという良い曲に出会いました。涙が出ます。

子どもたちに信じてもらうこと、信じられなかった大人たちにならないように。安心させてあげられること、未来は明るい、そのうちに良くなるからと言えること。希望をつなぐこと。

最後はよくわからないところに着地してしまいましたが、これもブログ記事の良いところということで。
自分の人生(たかだか100年)を越えた時間スケールで成果や貢献を捉える視点を持つことができるのは、有難く喜ばしいことです。

*1 Google Scholar(主に学術用途での検索を対象とした論文、学術誌、出版物を検索できるサービス。スローガンは「standing on the shoulders of giants:巨人の肩の上に立つ」という先人の成果や過去からの蓄積を活かすことの重要性を意味する学術界ではわりと有名な言葉。ちなみに英国ロックバンド”oasis”の4枚目アルバムはshoulderと単数形になっている)上に掲載された論文などから、キーワードを登録しておくと、週に1回自動的に関連の深い論文をお知らせしてくれるサービス。便利な時代になりました。

*2 英語で書かれた論文は毎回いくつか関連性の高い論文が出てきますが、日本語の、特にマイナーなキーワード(それこそ過疎地交通など)は普段ほとんどヒットしないことが多いです。

*3 論文はアブストをみる限り(購読してないので中身は読めていません)、すでに調査はもちろん社会実装まで完了している内容で、私にとって真新しさはあまり感じられませんでしたが。

*4 詳しくは、衛藤(2018)衛藤(2019)衛藤(2020a)衛藤(2020b)

*5 場所を問わない研究分野なら、研究環境の良い国(資金供給が豊富で研究時間が確保できるアメリカやドイツ、最近では中国なども)を選ぶのは研究者個人にとってまったくもって合理的な判断です。そうした中で日本に残る研究者は、①とっても愛国心の強い人か、②野心のない人か、です。

*6 今では当たり前となったインターネットですが、起源はARPAnet (アーパネット)と言われており、この通信ネットワークシステムは、1967年に米国の国防総省の資金提供により開始した研究により開発されています。
そのほかにも、嘘か真か、MITを主席で卒業すると、軍部から特別な条件のオファーがくるそうです。

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