怪物

「映画館から帰宅後、何か物音の気配がし天井を見上げるとバッタが飛んでいた。人工物の中へ急に閉じ込められたわけだから慌てているように見える。私は立ち上がって臨戦体勢。バッタが移動するたびに重心を移動させる。慌てるバッタにビビる私、下に置かれ私に潰されたティッシュ箱。

小学生の頃よくバッタをたくさん捕まえて一つの虫籠に入れていたことを思い出した。家の前の草むらの中に徐に入っていき噛まれようが飛ぼうが掴まえる、その一つの無目的な行動に日々時間を費やしていた。
昔触れていたバッタが今はめっぽう触れない。それどころかビビっている。それも極端にだ。

バッタはまだ居場所を探して飛び回る。(私からしたらそう見える)飛ぶたびに僕も跳ねる。さらにグチャグチャになるティッシュ箱。午前12時は回った。部屋の中では坂本龍一の音楽が流れている。」


誰かのことを全て理解すること、その人がこう言う人間だと確定させることはこの先何を経験し学んでも不可能だと分かっている。
そう分かった上で僕は人に対して決めつけをする。誰かにその人はこうであるはずだと。そうすれば楽に生活できるから。望んでそうしているわけではなく潜在的でその自分に気づくたびに手や足、目、脳、自分の体が自分ではない気がする。眠る時布団の上にはバラバラな体が横たわる。

私から見えているあなたは、あくまで私と接する時のあなたでしかない。それを分かっている。なぜなら自分がそうだから。完璧に私のことを分かる人なんていない、そう思うのは自分でも自分のことを完全には理解していない。そんな成熟した大人になれるのだろうかと日々思うわけであって。
そして知らない部分のあなたは不明なままで怖い。その空間には何があるのだろうかと。実体がない存在ほど浮き足立つような恐怖がそこにはある。

そしてその空間には私と接したことによって想像された、実在しないはずの実体を決めつける。この人はこういう人であったのだからこうに違いない。そして人のいい部分を想像するよりも悪い部分を想像する方が、理由が簡単でどの行動にも納得することができた。想像と実体で無理矢理に描いた相手にはなんの恐怖も起こらなかった。
彼が遅刻をしても、彼女の行儀が悪くても蔑んだ虚像があれば生活は何となく進んだ。
そして私は人に対して攻撃的になる。
攻撃的まで言うと言い過ぎになってしまうが人に対して冷たく無頓着になった。
相手はこうであるだろうと蔑んだ期待をし、その通りに当てはめることによってまた人と距離を作ろうとする。それの繰り返しの生活。

ここまで話しておいてこれが私の全てではない。こういった側面が私の生活の中にある。
なんとなく生活していくために選んだ選択は私のことを見捨てていた。
人を大切にできない自分を心底憎んでいる。ただ分かってはいるけれど、明日からはと思っていてもまた私は人に対して冷たくしてしまう。自分の非は目の前にあるのにそれを半分自分の中に取り入れ、他の半分を誰かの想像で蒸発させている。生活のための潜在的な思考が、幸せを遠ざけているように思う。蔑む想像をする空白をすて、その人の余白を心から求めればそれは優しさへと繋がるのだと思う。
怪物とは誰でもない。考えられる空白の中に怪物はいる。
「誰かにしか手に入らないものは幸せじゃない、誰にでも入るものが幸せ、ちっぽけだよ」
私は私だけの葛藤があって私しか知らない自分がいる。
坂本裕二は大豆田のセリフの中で「生きてる人は幸せを目ざさなければならない。」というセリフがあった。ずっと希望だけの言葉だと思っていた。違う、葛藤して考えて自分のことを好きになる難しい言葉だった。

物語のラスト、僕はどちらでもどうでも良かった。諦めとか面倒というわけではない。
私はこの映画から改めて優しさを意識した。
人の空白は優しさの中にある。そう思える映画だった。私自身今すぐに変わるのは自分に期待できない。
だが、私は好きな自分の方へ向かっていく。
彼らが草むらを走り抜けたように、私も光の方へ。
生まれ変われないまま、変わり続けていく。



バッタと格闘したがどこかへ居なくなってしまった。あれほど触れていた昆虫や爬虫類や魚は一切触れない。彼らがどう動くかがまったく不明だからだ。
私は知能だけ成長した自分を少し憎んだまま、寝室へ向かう。
明日またどこからかバッタが現れる。潰れたティッシュの箱をそのままに部屋を後にした。

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