『これはただの夏』を読んで

題名を考えた時にどうしても、これしか出てこなかった。小中と誰かの文字列を真似ただけの読書感想文に充てがわれた『……』を読んで。どうやら僕は人生で初めて自分の言葉で本についての感想みたいな文字列を書こうと試みている。

曇りのち雨。そう天気予報が予測していた今日は太陽も出ていた。
8時ごろに帰宅し、少しうたた寝をすると、好きなネタ番組が終わっていた。
今日届いたばかりの茶封筒から『これはただの夏』を取り出し、読み始めたのが午後10時半。

『永遠に夏が終わらない国で生きていたいと思っている』そんな出だしに目が眩む。『ボクたちはみんな大人になれなかった』を何度も読み、そこにあった精神安定剤のような心地良い文章が新しい新薬としてここにあった。幾度となく、本を閉じ天井を見上げる時間があった。
『これはただの夏』、題名を見た時にマーマレードの夕日が沈む手前の光景が目に浮かんだ。それは夏の終わりを予感させる、たしかにこの小説の時間軸はひと夏だった。
夏が始まり夏が終わる。夏が終われば、夏ではなくなる。
まずやはり大好きだった。この本から受ける作用の要因は自分に近いからなんだと深く再認識した。終わっていくことが受け入れらないこと。どうしようもない過去を糧に生きていること。行動するまでの重さが地球くらい重いこと。そんな自分と重なる主人公が、必ず終わるひと夏の話に希望とは違う、名前の知らない瞬間と終わりを受け入れる話に、うまく説明できない心が肯定されたような気がした。
この本を読んでいる最中に僕の中にあるひと夏の思い出を思い出した。
小学四年の夏休み。毎日のように顔を合わせる隣の小学校の子と仲良くなった。ある日、その子に『カブトムシがいっぱい取れる木があるから行こうよ!』と言われ、二人で大きな虫かごを持って向かった。細い道を歩いて行くと、そのあとに獣道が続き、視界が広がると僕らの脹脛ぐらいの草が風に揺れていて、正面にテレビで見たことのある天然記念物の幹と同じぐらいの太さの木があった。視界一面目に見えている緑とあまりに存在感の強い大木に小学四年生ながら神秘的だと思った。
カブトムシを取った後はその子の家へ行って、パンの耳で作られたラスクを食べて、三階の部屋でゲームキューブをした。夕立が過ぎるまで二人で雨を眺め、止んでから帰路についた。
毎日のように遊んでいたその子とは、夏休みの途中『また明日』と言われたその日から、もともと存在しなかったように別れたままだった。口約束と僕だけを取り残して、彼は去ってしまった。

そして中学生の頃に違う友達とあの子とよく遊んでいた周辺に行くことがあった。
僕は咄嗟に、というかあらかじめ用意されていたように虫かごも持たずに一人で向かった。
全く神秘的ではなかった。緑がまばらに映え、木は切り倒されていて、近くで幹を確認したがどこにでもあるような木だった。その子の家を外から少し眺めたが二階建てだった。何もかもが違った。僕はその時、事実を掠めるため、友達の輪へ戻っていったことを覚えている。

この本を10時半に読み始め、本当は終わってほしくないと途中で何度も思った。ちょっとずつちょっとずつ読み進めれば、もしかしたらこの本は永遠に続くものなのではないかと馬鹿みたいなことを考えていた。そんな温い考えは置き去りにされ、結局最後まで読み進めてしまった。
僕の中で再生された映像はこの物語とあの子との思い出だった。
この物語の終わりを受け入れると同時に僕のこの記憶も浄化したように思う。夏が始まった途端、終わりに向かって進む。夏が終わると夏なんてなかったと秋の虫が鳴く。
それでも僕はこの本を片手に秋に笑いかけることができる。
夏が終われど僕の中にある、ひと夏の刹那たちは僕たちのものなんだと。その瞬間、僕たちはその瞬間にいる。知らないうちに体験しているのだと思う。
陽炎が揺れる物語の映像は、段々とクリアになっていくと感じた。物質的な変化はないのかもしれない。でも物語の途中に告げる普通の事も、意味の深いセリフも忘れられないだろう。僕はあの子が言った『また明日』を今日思い出した。それが最後だと知っていたように思うんだけど、それも曖昧な記憶が、チグハグな思い出が創り上げた虚像なのかもしれない。

今日、雨の境界線を見た。クリアに見える山と白く霞んだ山。僕が進んでいく車は境界線に段々と近づいて行く。フロントガラスに大きな粒が一つ二つ当たると、容赦なく雨が降ってきた。ワイパーの引っかかる音が聞こえた。今年も夏が始まったのだと気づいた。
午前4時も回ったところ。うまくまとまらない文章だが、それでも良いのだと、書き終えることが大事なのだと少し眠い目を擦る。
人生初の自発的読書感想文が『これはただの夏』で良かったと本当に思う。どこか夏というものにフィルムカメラのような記憶がある人には読んでもらいたい。僕の好きな人達にも読んでもらいたい。ファミレスでこの小説のことを語っては不明確な記憶のまま持ち帰りたい。

来るはずの夏が始まった。これから瞬間たちを巡るただの夏が、少しだけ一歩を踏み出す勇気をくれる。少しだけ少しだけ。その少しだけをこれから先何度もこの小説にもらうのだろう。僕は間違いなく、この本を好きになって良かったとこの先も思うはずだろう。


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