アウトロ

目を瞑って自分の内側に意識を持っていくとホームの雑踏が段々と消えていく。外側からの音は聞こえなくなったのに反して鼓動だけが体の中で共振し響いていた。低音が鳴り続く。
ドッ、ドッ、ドッ、ドッ。
ライブ会場で聴けるような良質なものではなく、車の足元を照らし爆音で走るアルファードのような響音。
この感覚をどこか知っていた。記憶が少しずつ鮮明になっていく。自分は水の中にいた。瞼の裏にその感覚を写す。プールの底に長く沈んだ小学生の頃を思い出した。紺色のテープが揺れていて柔らかく同級生の足が滑らかに動くあの光景が色濃く写る。紺色のテープの先を覗けば透明なはずの水は奥に向かって青黒くそこから異次元に吸い込まれてしまうのではないかと不安になる。自分だけが水中にいる錯覚。誰からも認識されなかった孤独な恐怖が切れ味鋭く思い起こされる。

バァーーーーー。ブラウン管テレビの砂嵐のよう。それは瞬間で外側の音に変わり、人の歩く音、話す音、電車の走行音、駅構内のアナウンス細かく分類されていく。無意識に息を深く吸ったのと同時に閉じていた目を開ける。
「さっきから呼んでるのに!」
座っている僕の膝を挟むようにしてホノカが立っていた。寒さからか頬は少し赤らめていて腰に手を置いている。
「あ、ごめん。昨日このイヤホン買ったんだけど、すごいんだよノイズキャンセリング。何も聞こえなくて。」
微妙に頬を膨らませていたホノカの顔が一瞬にして興味から来る明るい顔になった。
「え?つけていい?」
「耳垢気にならないなら、」
僕は立ち上がってイヤホンを外し履いていたスボンで拭った後に渡すと、ホノカは近くて見えないのではと思うほどに凝視、確認した後イヤホンをつけた。
「ほうほうほうほう、、」
ホノカは右に左へと人が流れる様子をぐるっと見渡すと少しだけ首を縦に振った。
「どう?すごくない?」
「え?あっ」
ホノカがイヤホンを外す。
「すごくない?」
「すごい。いやすごいけど怖い。」
そう言いながらホノカはまたイヤホンを耳に戻した。
「何も聞こえない。ほら、見て。私は何も聞こえないし周りの人は私のこと見えてないよ。」
今発車した電車が徐々に加速し始めると電光掲示板の20:38発が消えてすぐその下にあった20:43が一番上にくる。行ってしまいそうな電車に目もくれないままホノカがこちらを見ている。
「ちらほら見られてるよ!」
「ん?」
「と・り・な・よ」
自分の耳に指を当てながらハッキリとした口の動きをした。
「嫌だ。嫌だよ。」
ホノカはそういうとすぐ隣の色が薄くなった水色のベンチに腰をかけ、その隣の席を力強く指差し僕にも座るように促す。さっき座っていた席が固く冷たく無機質な感覚だ。
「あ、あ、あ、あ…」
ホノカを見ると目を瞑ったまま、あだけを繰り返した。肩を叩きながら、ねぇと呼びかけた。
「聞こえてないでしょ。声出してもうちにうちに入ってくるもん」
「聞こえてるよ」
「あの時に似てるな〜」
「もしかしてプールでしょ?」
「中2の時と同じ騒がしい孤独な感覚、」
「え?」
「一番しんどかった。あ、今日からグラコロ発売じゃない?」
ホノカがイヤホンをとった。
「外の音うるさ!ねぇ今日からじゃないグラコロ!」
「そうなの、知らないけど」 
「なんだよ〜、てか聞いてた音楽かけてよ」
そう言ってホノカはまたイヤホンをつけた。自分も音楽を流さずに古い感覚を思い出していたことを吐露するとは気恥ずかしい。だから僕は好きな音楽をかけた。星野源のばらばらをかけた。
ホノカは目を瞑ったままそこから微塵も反応はなかった。
広いホームでは何本か電車が発車、停車し電光掲示板は忙しない。行き交う人の中に踵を擦って歩く人らがいて、自分の足元を見ればコーヒーの空き缶が横たわっていた。ゴゴゴッというレールとタイヤが擦れる音が骨の内側を刺激して、人々の雑踏がいつまでも晴れない頭の中のようだった。電光掲示板の通知音が僕を含めて止まっている人たちを突き放す。
ホノカが急に立ち上がった。イヤホンを耳から外し、「良い曲!よし、グラコロだ!」と腕を掴まれたまま改札の方へ向かう。少しだけグラコロにワクワクしていた自分に気づきそれを外には出さないように顔を掻いた。

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