7.リハビリ病院編

2023年11月20日
急性期病院で治療を受けた母は
状態は何も変わっていないけど
リハビリ病院へ転院する事になった。

介護移送車に車椅子のまま乗せられた母。

母の友人が毎年美味しいみかんをくれた。
今年もそのみかんが食べたい。と母は言っていた

もう自分の手でみかんの皮を剥くことができない

母の友人は、なんとか渡す事ができないかと
わざわざこの日みかんを持って病院で待っていた。

私は、そのみかんを受け取り
新しい病院の看護師さんに
『規則で食べれないのも承知です。
どうか置き物として置いてください。』

と無理なお願いをして
こっそり母の手にみかんが渡った。

食べれなくても友人の暖かい気持ちが
目の前に存在している事。

それを感じて欲しかった。

看護師さん立ち会いの元
医師の許可も特別に出て今年のみかんを
口にする事ができた母。


『私治るかな..?みかん美味しかった。』

そうラインが来た。

私にみかんを渡した後、母の友人は
病院の外から母のいる病室の階を
外からずっと眺めていた。

何分も何分も。

私は車からその姿を見ていた。
母を想うその眼差しが暖かくて涙がでた。

気難しくて友人もかなり少ない母。

だけど、あんなに母を想っている人がいて
母の人生は悪いことばかりじゃないな。
そう思った。




リハビリ病院に転院してからの母は
院内の環境の悪さにストレスを感じていた。

本来であれば、リハビリして回復していく
患者が大多数のリハビリ病院。

そこに、回復するはずのない病気の母。

介護の手はかなり少なく
予算が少ない病院なのか病棟の清掃も
行き届いていなくてゴミ箱の回収も
数日に一度あるかないか程度。

他の患者の悪口をいっている職員の声が
廊下から聞こえてくることもあった。

浴室はカビが多く清掃に疑問を感じた。

夜の見回りは一度もなく
夜、死んでしまったら朝まで気づかれない
だろうなと母は言っていた。

ナースコールを押しても全然人は来ない。

母は
『この病院にいたら生きて帰れないと思う。』
とラインをしてきた。

歯磨きも自分ではできない母。
こんな状況で、病院は磨いてくれなかった。

着替えの服代も毎日取られているのに
着替えさせてくれるのは週に2回。

言わない限り着替えることはなかった。

劣悪な環境で母の精神は病んでいた。

『息もできないし背中は痛いし髪はかゆいし。先がみえない』

『もし死んだら体が汚いから葬儀屋に綺麗にしてもらってね』

『長く座れないからお風呂はストレッチャーで入って洗ってもらってて風呂場がカビだらけ。次の場所はシャンプー台とかあるといいんだけど。』

『ここは皆んなが思ってる以上に酷い所です。死んでも見回りに来ないから気づいてもらえるのは翌日の朝ご飯の時です。』

『息が出来なくてずっと寝たきり。足もどんどん痩せ細り耐えられないかも知れない』

こんなラインが日々続いた。
本当に劣悪なんだなと実感した。


【2023年12月6日】

母から遺書がラインで送られてきた。

『もしもの時があったらと思い伝えておきます。
沢山の人の中から私の所に来てくれて有り難う。産まれてた時、先生に指はちゃんとありますか?と無事に産まれた事が嬉しくて泣きながら聞いた記憶があります。それなのに日々の生活でいっぱいでたいした洋服さえ買えず寂しい思いをさせてしまった事を後悔しています。本当にごめんなさい。その分孫に。と思い買ってました。もし、これ私が死んだら3回忌まではお経をお願いします。旦那さんの両親を大事にしてね。

旦那くんへ
こんな複雑な家庭の娘と結婚してくれて有り難う。旦那君が息子で本当に良かったと思います。
娘を末長く宜しくお願いします。

孫ちゃんへ
孫ちゃんの満面な笑みが大好きです。一緒に暮した8ヶ月楽しかったよ。ママは怖いけど負けずに頑張ってね。ネコちゃんをお願いします。』

私は胸が苦しくなった。
でも、母の覚悟を感じた。

真剣に考えてこの遺書を書いた母に
私も真剣に、答えなければ。と思った。

『あなたの元へ生まれてきた事、後悔していません。ありがとう。一応、言っておくね。』

幸せというには嘘くさい。
不幸かと言われたらそんなでもない。

そう思った私が
綺麗事じゃなく本音を伝えたかった。

別に美談にしたいわけじゃないし。
どんなどん底も二人で生きてきた私達親子なら
これが一番伝わると思った。




そして、リハビリ病院は三カ月しか
入院はできないので今後の転院先を
ソーシャルワーカーの方と話し合った。

難病のALSを受け入れてくれてさらには
死ぬまでいる事が前提となると病院は
かなり限られた。

老人ホームも特養も入れない。
なにせ母はまだ52歳。あまりに可哀想。

母が当てはまるのは
介護医療院。終末期病院と呼ばれるもの。

第一候補の病院には断られてしまった。

次に第二候補の病院を紹介されて
その病院は母と私に縁がある街だった。
私と母は話し合って、そこにしたいと
強く思った。縁もゆかりもない寂しい病院より
思い出がある場所のほうがいいに決まってる。

人伝いに病院の評判も聞いた。
とても良さそうだった。

ソーシャルワーカーさんにお願いして
病院と話をする事になった。


次回、終末期病院編

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