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王越(おうごし)についてpart3

こんにちは、すっかり王越に馴染んできた千恵です。
8月も残り5日。
一週間が過ぎていくのが本当に早いですね~。

ブログを書いている今日8月26日の香川県の天気は晴れ。
気温は32℃とまだまだ真夏日ですが、王越ではとても涼しい風が吹いていて蒸し暑さは無く、クーラーをつけなくても窓を開けていれば快適に過ごせています。

今日は王越についてpart3ということで、王越の農業後編を書いていきたいと思います。

前回の記事で王越の農業は…
・明治以前は主食の米、麦、サツマイモの栽培が主流
・今は米とミカンの栽培がメイン
・果樹園が大きく開拓されたのは大正末期から昭和初期
・はじめはミカンじゃなくて柿で果樹産地として有名になった
というお話でした

ところで、王越は果樹の他にも昭和3年から葉タバコの生産が始まり、昭和30年頃までの長い間、果樹に並ぶ中心作物となっていました。
屋根の上に通気用のミニチュアの屋根がついた納屋が今でも王越内でたくさん見られますが、これはタバコの乾燥のために建てられたものの名残のようです。

ミニチュアの屋根…説明下手…(笑)

柿栽培の衰退、ミカンでの再出発

昭和初期には県下に柿産地として名声を博した王越でしたが、その後柿の栽培は日中戦争(のちに太平洋戦争)が勃発したことによる労力不足や肥料や農薬の不足などにより収量が激減し、ついには食料増産のために不急作物である果樹は新植の禁止・伐採令が出されて衰退に至りました。

しかし戦時中にも、幸い柑橘だけは未結果年齢(植えてから実が結実するまでの期間)が長いことから、なるべく減反しないことにされました。

太平洋戦争が終結し10年経った昭和20年頃、王越の果樹栽培はミカン栽培を中心に再出発しました。
昭和初期に葉タバコの生産をしていた資金的に余裕のある中堅農家が率先してミカン栽培に転向したことにも相まって他産地に先んじてミカンの増植が進められ、また全国的なミカンブームに支えられて王越村内で毎年数千本の増植が昭和35年ごろまで約10年間続きました。
毎年数千本は桁違いすぎてちょっと想像もつきませんね。

再掲!山の中腹まで果樹園!

葉タバコの乾燥用に建てられた通気性のいい納屋はミカンの保管にも良かったみたいです。
10年も大量に植え続けたので未収穫期間の長いミカンの植栽と育成がほとんど制度資金に頼ることなく自力で行われたそうで、これは他産地では全く見られない現象です。
王越は堅実な農家さんが多かったんですね。
こうして産地形成されたミカンが現在にも続いています!

紆余曲折

その他にも王越ではかつて、サトウキビや除虫菊の栽培、畜産、養蚕などが盛んでしたが、輸入物の台頭や連作障害、労働生産性の低さ、また太平洋戦争の戦局悪化などそれぞれが複合的な理由から衰退していき、今では見られなくなりました。

これからの時代も気候変動だったり、世界情勢や内需の変化だったり、大変なことはたくさんあると思うけど、戦時中も戦後もめげずに根気よく堅実に農業に向き合ってきた王越の先人たちを見習って私も頑張っていきたいなと改めて思いました。
せっかくの農地が山に還っちゃう前に。
堅実に着実に、そして大胆に!

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