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モッシュ・ダイブ問題

モッシュ・ダイブ禁止の話題ってバルスの時位X(旧TWITTER)でトレンドに上がって来る。
その度に、賛成派と反対派がマウントの取り合いか、評論家気取りでぴーちくぱーちくと持論を並べている。

しかし、水と油で相容れる訳が無いのに、持論をそれぞれ並べてうやむやになって終わる。
そして、また同じ議論が少しするとトレンドに上がって来る。

この話は別に最近の話では無い。
多分、平安時代位からあったんじゃねーかって位に歴史が長い。

因みに私は『賛成派』です。

メロコア系のハコは比較的安心・安全なモッシュ・ダイブである。
ただ、安心・安全な場所だからこそ、そこに余裕が生まれて論争が起きてしまうのだろう。

『てか、そもそもどっちでもよくね!?』

が、自分の中の正直な正解の形である。
ライブハウスのシーンって言うのは実は全然自由な場所では無いのだ。
ある程度の規制があるからこそ、自由意思と言うものは規則・規制がある時に感じれるものだ。
だからこそ、この論争が巻き起こっているのは非常に平和な証拠でもあるのだ。
自由の中の規制が無ければ、そこはただの無法地帯でしかない。
自由をはき違えた人間がその場所に一人でも居れば、さすがに嫌悪感も生まれるだろう。
だからこそ、助け合い・支え合いで作り上げて来たピースなシーンだと思って居るのだ。
誰が上も下も無くて、そこにはとても平等性がある感じがするのだ。

それではわたしの大好きなHCシーンのモッシュシーンをご覧頂こう。

この現場でアリ・ナシを議論しているだけで、たちまち床とお友達になっている。
だから、議論を交わせるだけとても安心・安全な場所だと言う事をまず理解して頂きたいのだ。
そもそも議論の対象になる問題でも無いのだ。

こんな感じでみんなで足並み揃えて行ける訳が無いので、今後もこうした議論は起き続けるであろう。

そもそも49BALLはモッシュもダイブも起きないからそんな議題が生まれて羨ましいよねって話!

だから、今こうしてコラムとして書いているのだ。
そう易々とモッシュ・ダイブが起きると思うなよ!
人生で一度くらい論争の真ん中に居る存在になってみたいよわたしだって!

モッシュ・ダイブの問題はそうだが、コロナ渦の頃のマスク着ける・着けない問題もまた似たようなものだろう。
つまりは、倫理観の問題だと思うのだ。
だってこの国は日本だもの。
世界を基準に考えても、日本に住んでるし、日本国民の価値観や意識って他の国の文明や文化とは違うものである。
だからこそ、比較対象にもならないのだ。
ロックは海外から流入してきても、日本人は日本人としての倫理観があるのだからしょうがない。
海外コンプレックスで他国との比較ばかりしてないで、自分と向き合う勇気を持とうって話である。

だからこそ、すごくどうでも良い場所で戦っているなと、感じてしまうのだ。
皮肉を言わせてもらえば、こんなくだらない論争で管を巻く程に時間に余裕があって羨ましいなとも思ってしまうのだ。
基本的に怒っている人は時間に余裕があって暇な人である事は間違いないのだ。
他人がどうこう等、そんな事を考えて居るなら尚更である。

サラリーマンが赤ちょうちん系の焼鳥屋で上司の愚痴を言う時間みたいなものだ。
翌日の朝には何も解決しない話を何時間も掛けて答えの見つからない正解の無い話を延々としているのだ。

それならば、「ロックとは?」について夜通し楽しい話をしてみたい。

因みに、クラウドサーフの代わりのようなものでアイドル界隈では『リフト』と言うものがある。
これもこれで、界隈では問題視される議題でもある。
どこに行っても、こうした問題が起きているのだ。

結局それぞれの持論を並べて評論してうやむやになってが繰り返されてるだけである。

ネットクラウドサーフでマウントに乗りたいだけなのだ。

リレンツのカズ(∵)

自分の価値観を放り投げたいだけの持論を並べてぴーちくぱーちく言って居るモッシュの中にだけは入りたくないと感じる。

2000年代にモンパチが流行り出した頃、ライブハウス経験の浅い一般層のファンとかが来た時に、サンダルとかで来ちゃってそれで論争になったりもした。
後、モッシュの助け合いの精神を知らずに、殴り合いだと思って特攻して行く輩も居たりする。
こうした問題はかれこれ20年以上続いているのだ。
オールドジェネレーションとニュージェネレーションの価値観の相違は抗えないものだろう。

ただ、共通して言える事は『ライブハウスシーンにおける痴漢行為』である。

こうした痴漢行為は許してはいけない。
アイドルシーンで時々、アイドル自体に痴漢するアホも居る。
ちんぽこを切り取って良いと思う。
性犯罪は恐らく、精神病と一緒である。
薬を処方してもらって治す方法を是非とも推奨したい。

さすがにそこに自由は無いッッッ!

無法地帯にも程があるだろうに。
てか、立派な犯罪だし、喜ぶ奴は一人もおらん。
さて、話は戻すが、価値観の相違による戦いは他にもある。

『バンドTシャツダサい問題』

部屋着やパジャマもダメだそうです(∵)

これもよくある、議論でもある。
これは3つのカテゴリーがあるのだ。

・バンドTシャツ推奨派
・バンドTは賛成だが、バンド自体は知らないで着ている派
・バンTはダサいから捨てなさい派

これである。

『正直どっちでも良い!』

着たい奴が着たいものを着ろ!

なぜに炎上するのだ。
自分の価値観が100%だと思うなよこの野郎。
自分の価値を否定されたからと言って、他人に石を安全な場所から投げるのは本末転倒も良い所である。

『因みにわたしはバンドTシャツ推奨派閥である。』

そりゃそうだ。
わたしはバンドマンだから当然だろう。
自分がやっている事を否定するつもりは毛頭ない。
友人のバンドのTシャツを着るのも最近じゃなんだか誇らしい。

何よりも名刺代わりになるし、一目見てどんなバンドが好きかがすぐに分かるのだ。

これだけ分かりやすいものは無い。
わたしの中でやはりすごい事は、メタリカニルヴァーナの存在である。
この2バンドはバンド自体知らなくてもロゴTシャツを着ている人が多いだろう。

完全にバンドとしてでは無く、ブランドとしてロゴが存在しているのがすごいのだ。
日本でもGUやユニクロ等の大手ファッション業界ともコラボしたりする。
ロゴ自体に価値ができてしまい、もはや音楽自体を通り越しているのだ。

そもそもメタリカのデザインはPUSHEADが手掛けている。
このデザイナーの事も興味ある人はCHECKしてもらえたらと思う。


しかし、最近なんだか優しくない世界が広がっていると感じる。
むしろ、その世界は少し前に手放した部分であるからこそ、とても優しく無い場所に居たのだなと感じるのだ。

ところで、誰と何と戦っているのだ?
なぜ、そんなに怒っているのだ?
どうしてそんなにイライラしているんだ?
わたしには全く理解不能である。
別に自分が食らってる訳では無いからどうでも良いのだが、なんとなく言語化してアウトプットしておくとおもろいかなと思って文面にしてみた。

たださ、もうハイスタが答えを出してくれている気がするのだ。
虹の下でみんなモッシュしよう。
手を繋いで輪を作ろう。

ピースなモッシュピットで会いましょうヽ(∵)/

てか49BALLでもモッシュ・ダイブしてください(切実)

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