なぜ悲劇は繰り返されるのか? 第11章:他責習慣化が生む悲劇 ⑧

 そして、現在は以前のように“この年齢でこういうことが起こる可能性がある”という想定されている判断基準が外れることも多くなっているため、臨機応変な対応と柔軟な考え方が求められる事になるのだが、個人差を考慮しながらの指導になるため、なかなか子供たちが見ている部分と大人が見ている部分のズレが深刻化していってしまう可能性も想定しながら子供たちとコミュニケーションを取っていかないといけない。

 しかしながら、今の子供たちはデジタル文化の中で成長してきたため、最初の頃は対面ではなかなか距離を縮めることは容易ではない。そのうえ、子供たちの中には家族以外とコミュニケーションを取ったことがない子供や劣悪な環境で育ってきた子供もいるため、全員同じように接してしまうと誤解を生むことや子供たちとの距離が出来てしまう可能性もある。

 そして、現在は些細なことが大きなトラブルに直結する事や子供たちと大人たちの個別認識や個別基準の違いによるズレなどが他責思考を無意識のうちに構築してしまっているケースも十分に考えられるのだ。

 特にハラスメント関連は現代においてかなり問題視される事が多く、年代によって基準も受け取り方も異なっており、たとえお互いに一定程度の関係性を構築出来たとしても、その年代の基準は変わらない。

 特に10代以下から10代に関しては時代によってかなりシビアになっており、時代の経過と共に子供たちへのしつけや指導の仕方もかなり時代の変化を映しているように感じる。

 例えば、子供たちが悪いことをした時に親が注意するときも大声を出して叱責すると“脅迫”と言われ、平手打ちや肩を揺らすと“暴力”や“虐待”と言われるし、学校でもいじめや喧嘩などを止めようとして児童・生徒の肩や手などを触っただけで“セクハラ”と言われて、保護者に「○○先生に身体を触られた」や「○○先生に怒鳴られた」と報告されることで親としては「なんでそんなことをするの?」と思う人もいるため、場合によっては保護者が子供の話を信じてしまい、全体の話しを相手にいくら説明をしても疑念を晴らせなくなる。

 これは子供同士でも起きうる話しなのだが、子供同士の場合は見ていた人がいたとしても実際にやった人が無関係の人に罪を押しつける、自分がやったことをやった相手を脅して口封じをしてどこにも言わないように口止めするなど子供たちの中でも年功序列状態になり、リーダー格の人が責任転嫁をしたとしても黙って受け入れてしまうことも多い。

 そして、責任を転嫁された人がまた別の人に責任を転嫁していくことで他責思考が連鎖的に作用し、起きた問題を更に複雑化させてしまう。

 仮にこのような状況になってしまうと先生など子供たちを指導する立場の人たちは日常的にそのような問題を起こしている子に対して疑念を持ちやすくなる。そのため、1つの問題が起きたとしても蓋を開けると複雑化が進行し、お手上げ状態になる可能性もあり、事態が更にエスカレートしたとしても指導法が限定されてしまう。

現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。