なぜ悲劇は繰り返されるのか?~他責思考が創る未来~ 第12章:教育環境の変化 ⑤
この状況を変えるためにも何が必要かを考えていく必要がある。
まず1つが“個々の考え方を個別見解として分析し、個別見解の不足点を周囲からの意見と総合させ、総合見解とする教育”だ。
この教育を導入したいと思った理由が“社会における多様性と相互理解促進のために必要な知識を蓄え、双方の責任の所在を探るのではなく、自分ができることを伸ばしていくことの大切さを学ぶ”というこれまでの教育とは異なった視点を導入することで他責思考を起こすことは減っていくと思う。
そして、“起きる事は全て自分が意図的に起こしているのではなく、周囲から成長するために必要な課題を与えられている”という考え方を習慣化することで“自分の考え方も間違っていないし、相手も間違っていない”というお互いに尊重し合うことの大切さを知る事で、どのような壁に当たったとしても、他者に矛先を向けるのではなく、他者から学ぶことで自分の知識不足を補い、新しい視点を得ることが出来る。
他責思考というのは“年功序列がもたらす、他者いじめの一環”であり“社会がもたらした競争心理”であると考えている。
だからこそ、このような考え方の起きない人材を育成するためには根本から教育法やカリキュラムなどを個別化し、共通教養の部分との分離を図らなくてはいけないと思う。
その理由として、日本というのは学ぶ内容が個人の学力に合わせて作られているわけではない。そうなると、子供たちの心理に無意識のうちに「なんで自分は○○より出来ないのだろう」という相手と同じ内容なのに自分ができないことに対する劣等感や習得しなくてはいけない内容を理解出来ない事に対するいらだちなど子供の精神が発達に影響が出てしまい、子供たちの学習意欲を傷つけてしまう可能性があるのだ。
もちろん、学校で習うことは全員が当該学年で学んで、理解して欲しいという大人たちの方針を尊重しなくてはいけないという心理もあるが、その壁を打開できるだけのサポートがないと子供たちを早々に挫折させてしまい、学習に対する嫌悪感を持たせてしまう可能性もある。
そこで、子供たちの学習環境や理解度、成績に合わせた習熟度別学習へ切り替え、子供たちの学力に合わせた学習法を提示することで子供たちのストレスはかなり減少すると考えられる。
もちろん、これらを実行するためには課題もあるが、同時に多角的な学習を展開することが可能になるため、“○○より出来ないのはなぜ?”というネガティブな考え方から“自分ってこんなに出来る”というポジティブな視点で状況を捉えられるなど子供たちの精神面でも安定した学習が展開できる。一方で、このような学習環境を整備するためには必要な教員数の確保や使用教科書の増加など双方の負担が増加し、人件費の圧迫や家庭における教育費を圧迫する可能性も否定できない。
ただ、今年の4月からは教科書などがデジタル化されることもあり、クラスに合わせた教科書利用に関しても子供たちが持ち歩く負担が減ることから仮に複数の教科書を同時採用することは難しくない。
そして、複数の教科書を学習できることで使われている公式や解法などの教科書毎の違いや模範解答の違いなどが学習選択の幅が広がっていくことで受験をする子供たちが自分の進学する学校で出る可能性のある問題などを学習できるため、受験に対する備えも出来ると思うし、受験をしない子であってもさまざまな問題に触れることで新たな発見に繋がっていくのだ。
このように多様化する子供たちの教育観や目標によりよい環境で学んでもらうにはこのような小さなことであっても子供たちに寄り添うことで子供たちの可能性を広げることが出来て、個々の良い点を伸ばすことも可能になる。
現在は社会全体が他責思考や他者比較で形成され、成り立っている部分が多い。その環境に幼少期から置かれてしまうと、自分と他者を比較する習慣がついてしまい、自分軸で物事を考えた時に相手から攻撃されてしまうと反論できなくなるという負の連鎖が起きる。
今後は縛るのではなく、自主性を高めるために選択肢を与えるという方が正しいと思う。
なぜなら、今の子供たちはいくつもの価値観を持っていて、ある特定の価値観を押しつけられる、1つの考えに縛られるといった意思決定の自由が奪われると個の能力が発揮しにくい子供が以前に比べると増えているように感じる。
現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。