なぜ悲劇は繰り返されるのか?~他責思考が創る未来~ 第12章:教育環境の変化 ⑧

例えば、12歳の壁は社会的には公共施設などの料金が区切られる最小値と最大値になっている場合が増えていき、大人と同じ扱いをされることもある。また、生活面では身長や体重など個々の身体の変化が顕著になり、体格差など個人の成長曲線に差が出てくる時期でもある。

 そうなると、起きやすいのが“責任の押し付け合い”だ。特にこの年齢になると上に立つことに対して積極的になる子とそうでない子が存在することになるため、上に立ってやらなくてはいけないことを避けられるなら避けたいと思う子も増えている。

 ただ、気を付けなくてはいけない点もいくつかある。

例えば、“大人が子供たちに対して公平なチャンスを与えていない場合”を挙げてみる。

 これは私も経験したことなのだが、最高学年になると必ずと言って良いほど、学校の児童生徒の一番上に立たなくてはいけない場面が増えてくる。特に、班長や委員長など学校生活をする上で重要な役割には先生たちが「この子なら任せられる」という子を推薦して任命するケースが多かった。しかし、上に立つ子供を大人(先生を含む)の視点で決めてしまうため、子供たちの視点と大人の視点のズレが起きてしまうことや指名された子供たちの中には「自分は上に立ってやりたくないのに」と言って、別の子にリーダーをやらせて名前だけ名乗るという状況も生まれていた。

 この状況が生まれたきっかけもリーダーや班長になった子いわく“内申書に書いてもらえるから”という自分の進路に有利になることだったため、本当はやりたくない仕事を内申書に書いてもらうためだけに受けて、実際はやりたくないからといって同じグループもしくは班の同級生に押しつけていたと知って複雑な思いをしたことがある。

今はどうなっているのかは分からないが、状況を見ていると私が小学生の頃とはあまり変わらないような印象を持つことも少なくないため、変化している部分と変化していない部分が存在しているような気がする。

 ただ、現在は初回受験が中学校という子供が多く、中学校受験は小学校の成績が合否に左右することになり、良い成績を取らないといけないと思い、ちょっとでも足を引っ張る子がいると、攻撃的になる事もある。

そして、今は受験する子供が多い地域ほど子供たちも親の価値観も異なっているため、ちょっとでも何かあるとトラブルになるというケースが増えている事を踏まえると、子供たちだけが切磋琢磨するのではなく、子供たちの切磋琢磨に親が過干渉するケースも多くはないが、実在する可能性がある。

 例えば、受験をする子供たちは早くて小学5年生、遅くとも6年生の夏休みまでに小学校の内容を終わらせているため、テストの内容をクラス全体に合わせると受験をする子供たちには簡単すぎるし、受験をしていない子供たちには難しくなってしまう。

 だからといって、出来る子とそうではない子のテストを別に作るわけにもいかない。

 今の教育現場で難しいのは“子供の学力差のバランス調整”だ。

 その理由として、現在は個別の学習進度が異なっている、塾への通学の有無など子供たちの学習環境における教育環境の格差が顕著になっており、その格差が広がることで公教育に影響を与えることになる。

 例えば、出来る子と出来ない子で価値観が異なることでクラス内のバランスがおかしくなってしまい、何か問題が起きると“常に他者を攻撃することが習慣化してしまう。”・“自分と価値観が違う人に対して敵対心を持ち、自分の中から排除してしまう”など自分の価値観が表に出ることで“自分の考え方が正しい、相手の考えは間違っている”かのような錯覚に陥る。

 これらの錯覚が子供たちの置かれている教育環境によって判断が分かれる部分なのだ。


現在、小説とコラムを書いています。 コラムに関してもこれから完成している物を順次公開していく予定です。 自分の夢はこれまで書いてきた小説を実写化することです。まだまだ未熟ですが、頑張って書いていきますので、応援よろしくお願いいたします。