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キッチンの奥にしまったのは、やさしい思い出と未来への願い。

私は育児しながら、自分の子供時代をなぞっているのかもしれない。

実家のキッチンには、海外の食器とグラスが並んでいる。

誕生日やクリスマスなど、ちょっとしたハレの日に使うものだ。
食器集めが趣味だった母は、父が出張に行くと必ず「食器やグラス」をお土産に頼んでいたらしい。

幼いころから何となく視界に入っていたそのちょっと高そうなグラスを、初めて使ったのは12歳の時。

寒い時期だったと思う。
そのころ母は家事を一手に担っていた上に仕事が忙しく、反抗的な娘を2人も抱えていた。
そのせいか、いつもイライラしていた。

今思えば、もっと家の手伝いをしたり、疲れている母をいたわったりすればよかったのに。

母の小言に対し、ドアを閉める音で返事をしていた。当時の自分を思い出すといまいましい。

沸騰したやかんのような母から逃げるように、2階にある姉の部屋へ行った。姉は「ママ、なんか怒ってるよねぇ~」と言いながら、笑っていた。

母がお風呂に入っている隙に姉は階下に降り、1分もたたないうちに階段をトトト…と昇る足音。にこにこしながら階段を上ってきた。

「これで飲もうよ」

姉の手には、お歳暮にもらったぶどうジュースの瓶と、食器棚からキラキラのワイングラスが2つ。

冷えたジュースの濃い紫色がグラスを満たし、いつもはつるりとしたガラスが、うっすらと水滴でくもる様子がキレイだった。

おしゃべりし、キロロの歌を歌いながら、姉と生まれて初めての乾杯。

そんな特別な夜になった。


数年ののちに、私たちの幼い反抗期は無事終わる。

平和な日々も束の間、学校を卒業して忙しく勤め始めると、実家に帰る頻度はぐっと減るものだ。

私も姉も、忙しい日々を過ごした。

それでも「誕生日には家族で集まろう」という暗黙の了解があり、誰かの誕生日のたびに実家に集合。

父の誕生日にシャンパンを買って帰りながら、「ついに私も親とお酒を飲む年齢になったのだなぁ、大人に、なったのか…」となんだかくすぐったい。

父がケーキに灯された大量のろうそくを吹き消し、最後の1本が意外にも消えず、大笑いしてから、家族4人で乾杯したあの日。

きっと間違いなく私たちは幸せな気持ちだった。



先日、家のキッチンを掃除していたら、梅酒がでてきた。数年前に私が漬けた梅酒。すっかり忘れていた。

「あ~こんなのあった。早く飲んじゃったほうがいいかな?」と夫に話す。
「え?飲んじゃうの?子供が生まれた記念に漬けて、成人したらお祝いに一緒に飲むって言ってたじゃん」と夫に言われ、はたとする。

あ、そうだった。

私は子供が生まれたときに、「何か記念になるものを残したい」「子育てという大仕事を無事にやり遂げたら、一息つきたい」と思ったのだった。

あの頃、スーパーで大きな瓶を買った。
水を張ったボウルに梅をそっと浮かべる。
「子供たちが大きくなった姿なんか、想像もつかないな」と思いながら、梅の水滴をぬぐっていた、そんな記憶がよみがえる。

育児に仕事に怒涛の毎日で、ここ数年そんなことすっかり忘れていた。

今なら、私が12歳だったあの頃、イライラしていた母の気持ちが痛いほどわかる。


「いつか子供と一緒にお酒を飲む」ってことに、私はあこがれていたんだろうか。

母が長い闘病の末に亡くなった翌年、第2子を出産した。

もう二度と母に会えず、育児のことも相談できないのだという暗い悲しみを口に出さずに飲み込む。

家族で笑って乾杯していた、もう戻らないあの日々。

もしかしたら自分が築いた家庭で、あの幸せをもう一度取り戻せるのかも?

そんな浅はかな希望があるのかもしれない。

いつか子供たちが、私が漬けた20年物の梅酒を一緒に飲んでくれる、そんな日が来るだろうか。

「意外においしいね」とか、「なんか変な味じゃない?」とか、言いながら笑えたらいいのに。

どうか無事に元気に子供たちが成長し、私も隣でずっと笑っていられますように。

そんな願掛けのような少々重めの願いを、キッチンの奥で熟成する梅酒にこめて。

その日が来たら、母が大事にしていた例のグラスを借りるとしよう。

ああそうだ、忘れっぽい私だから、忘れないように誰かに計画を話しておかなくちゃ。

そう思いながらスマホで父の連絡先を開くのだった。


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