大学に行った意味を考えるpart2#328
昨日の続きとなります。
前回のnoteを読んでいない方は下記note参照お願いします。
要約すると、
大学へ行ったことが、感覚的には学費がかかりと借金がかさみ、働けたはずの4年間を棒に振るというデメリットを感じることが多いが、実際よく振り返ってみるとメリットもあったはず。大学に行ったことに意味はあったという自己正当化をする為に、このnoteを書いている。
という、序盤でした。
では、何を得たのか?
前回のnoteを読んで、分類してみたところ、大学へ行って得られたものは4つあります。
▼大学で得られた4つのもの
❶選択肢や人生を豊かにする趣味
❷勉強をする過程で得られた考える力
❸四年間で出会った大切な人の繋がり
❹彼女を大切にする動機となった出会い
支離滅裂に出したものをまとめると上記のようになります。
一つずつ詳しく解説していきます。
❶選択肢や人生を豊かにする趣味
元々、高校時代の自分には、今ほど熱中できる趣味がなく、なさすぎて「趣味 作り方」などと検索するような人物でした。
好奇心が少ない幼少期を過ごしてきたからか、座学勉強とバスケットボール以外のできることが少ないつまらない人間でした。
高校生の自分が、そのまま社会人になっていたとしたら…と考えると、きっと今よりも視野の狭い世界で、黙々とつまらない仕事をして、お金はあっても、趣味がない人間になっていたかもしれません。
それに比べ、大学に行ったことによって、音楽について深く関心を抱くようになりました。
アカペラサークルでは、楽譜の読み方やボイスパーカッションを覚えたり、少人数から20人規模のメンバーで演奏したりと貴重な体験で有意義な時間を過ごし楽しむことができました。
また、アニメや小説を読むようになり、知っていなければ人生の1/4は損していたと言えるような出会いであり、趣味となりました。
アカペラやアニメで作られたコミュニティは、現在いろんなコミュニティに参加する上で、貴重な経験となっており、仕事ばかりしていた人生よりも、沢山の方と関わることができていると感じます。
故に、大学で身につけた趣味はかけがえのないものであり、高卒の自分にはきっと得られなかった大切な財産になったのかと思われます。
❷勉強をする過程で得られた考える力
高校までの授業は、社会ではほとんど全く役に立たない内容のものばかりです。
とかく、「暗記したものを正しくアウトプットできるか?」という試験が多くて、真面目に取り組んでいる人ほど点数は高く、点数が低い人は頭が悪いのではなく、単にやらなかっただけなので、一概に高校生の時のテストの点数が高い人が社会でも成功するなんていうルールはほぼありません。
そこでわかるのは、利口なのか?否か?ということだけなのです。ニパー。
ちなみに、それはFラン大学でも同じ。
単位というものは、殆どが暗記したものをアウトプットする際に上手く点数が取れた人が取れるもの。
文系では特にですが、同じく大学の授業の成績がいいからといって、社会で使える人間になれるとは限りません。
ですが、大学時代唯一ためになったカリキュラムがあったとすれば、それは“ゼミ活動”です。
ゼミ活動とは、大学教授のもと15人ほどの人数のグループに振り分けられ、それぞれの活動を行うこと。
そこで、沢山のことを学びました。
研究発表で用いるプレゼンテーションやデータ分析をする為のExcelの使い方を学んだだけではなく、
プレゼンを見てもらう人が、どうすればわかりやすくなるのか?
プレゼンの内容がいかにすれば、意味あるものとなるのか?
など、社会に出た際の企画書を作る時のような考え方を、当時のゼミの先生からは教わっていたのだと思います。(その時は何も分かっていなかった)
同じく、地域活性化の学生団体にも所属していて、協賛や広報活動にも力を入れていました。あれはイベント開催に伴う、お金や集客といったマーケティングを考える上での予行演習だったのだと思うと、今ようやくその有り難みに気づけるのでした。
このように、高校時代、大学時代の座学にほとんど価値は感じなかったのですが、勉学に於いては、ゼミ活動だけが、本当に有意義な時間だったかと思います。
それでは、後半❸.❹と結論については、明日のpart3にて、完結させてまいります。
宜しくお願い致します。
最後までお読み頂きありがとうございました。
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