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人にお願いする前に自分は与えることができているか?#254

皆さんは誰かに何かをお願いするとき、

「ちょっとしたわがままなんだけど、お願いできるかな?」

と言って、何人の方が聞き入れてくれますか?

その内容の有無に関わらず、

どれだけの方があなたの言葉に耳を傾けてくれるでしょうか?


最近よくよく思うのが、

自分は存在そのものが、奪う人(テイカー)
になってしまっているのではないかということ


自分が善意で行っていることでも、鈍感を盾にして、他人が超絶嫌悪を示していることに気づいていない。

胸に手を当てて考えてみました。


自分は相手の信用に足る人物なのか?

自分のちょっとしたわがままを聞き入れてもらえる為に、何か相手に与えることができていたのか?と。

全くしてこなかったのだと、思います。


つまりプラスでもマイナスでもなく、シンプルにマイナスになるだけの信用だった。


ギブ&テイクでよく聞くのが、

相手にお願いをする時は、1:4くらいの比率で与えてなければならないということ。

つまり、1回のお願いをするのに、4回の無償の優しさを与えていないといけない。

無償の優しさというのも、全員同じではなく、その人が本当に欲してるものでなければなりません。

むしろ、いらないものをもらっても、それはありがた迷惑というマイナス評価です。


自分は明らかに相手のことを知らなさすぎる。

相手が喉から手が出るほど欲しいものを当たり前のように持っているかもしれない。

わたしであれば、名刺が欲しいので名刺の作り方を教えてくれる人がいれば喜びます。


そういった“ニーズ”と呼ばれるものは、人それぞれ違っているものなのです。

ニーズに合う、そして付き合ってきた年数に合ったものを与えてあげる。

特に、対価は要らない。


あと一個思うことがある。

自分にされて嫌なことは他人にはしない。

それは当然のこと。

でも、自分はそれをされても大丈夫だけど、多くの人にとって嫌なことがある。

それを見極めるのが難しい。

相手の顔をみて、鈍い表情をした時は取り下げる?そんな器用な真似できない。


相手が嫌なことはしない。喜ぶことをする。

どうすれば喜んでくれるのか一生懸命に考える。

その考え続ける姿勢が大事なのかもしれないですね。

そうすれば、LINEで送る文面も内容も必然的に変わってくるだろうし、

この文章を読んだ時、相手はどう思うかなって、一旦立ち止まることも大切なのだなと昨日改めて気づきました。


人と喋る時の言語と違って、この文章というものは熱が伝わりづらい特徴があります。

冷たい印象になることもあれば、いやらしく伝わってしまうこともある。

話すときですらそうなのだから、文章にした時に相手がどう解釈するかは本当に相手次第。


だからこそ、相手のことを思い続けることが大切です。

配慮や気遣い、心違い。

そういうのがなければ、話し合いの土俵にすら立つことはできません。

信用ゲージがマイナスをきるの簡単です。

思ったことを思ったまんま伝える。

それを今後のテーマにしていきたいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。


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