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成功する日本企業には「共通の本質」がある:極私的読後感(37)

菊澤研宗先生の本は、本書含めて4冊程読んでいる。『組織は合理的に失敗する』、『戦略の不条理』、『なぜ「改革」は合理的に失敗するのか~改革の不条理』、そして本書である。

本書の副題にある「ダイナミック・ケイパビリティの経営学」とは、何か?

この「ダイナミック・ケイパビリティ」の提唱者、デイビット・ティース教授(UCバークレー)によれば、企業のケイパビリティ(能力)には
①オーディナリー・ケイパビリティ(通常能力)
②ダイナミック・ケイパビリティ(変化対応的な自己変革能力)

の2つの種類があるという。

「変化対応的な自己変革能力」とは、『企業が環境の変化を感知し、そこに新ビジネスの機会を見出し、そして既存の知識、人財、資産(一般的資産)およびオーディナリー・ケイパビリティ(通常能力)を再構成・再配置・再編成する能力 (p.13)』とある。

詳説するのはネタバレになってしまうので躊躇われるのだが、少々長めに次の一節を引用して、このダイナミック・ケイパビリティに少し興味を持っていただきたいと思う。

 このような日本型組織では、各職務権限が明確に各メンバーに帰属されないので、変化のない安定した状況では「知の深化」が遅く、無責任で非効率な資源配分システムとなる。というのも、各メンバーの資源利用によってもたらされるプラス・マイナスの結果は、そのメンバーたちと共有されるからである。
 特に、マイナスの結果が発生したときには、各職務権限が相互に複雑に重複しているため、このマイナスの結果を帰属させる主体を特定化することが非常に難しく、結局、無責任となる。そして、このような無責任なシステムのものては、各メンバーははじめからマイナスの結果を抑止せず、プラスの結果を生み出そうとしないので、米独型組織に比べて日本企業の利益率は低くなる。つまり、非効率なのである。
 しかし、日本型組織では、各メンバーがあいまいに相互にダブって仕事をしているために、新しい生産システムた新技術が導入されても高い変革・調整コストを伴うことなく、「知の探索」が行われ、比較的容易に受け入れることができる。それゆえ、より労働生産性の高い新しい状態へとシフトすることができる。このように、日本型企業組織は、その柔軟な構造のもとに環境の変化に柔軟に適応できるのである。(p.123)

この下り、世界的に見ても日本に長寿企業が多い理由の一つであるかもしれない。

また、もう少しフカヨミすると、九鬼周造の『いきの構造』で挙げられているように、西欧の「善悪二元論」的世界観とは異なり、日本は「善と悪」が入り組んだ世界観(西欧では悪魔は悪だが、日本では悪の化身である鬼が善の要素を持っていたりする)を持っており、また、「唯一神」と「八百万の神」の違いなどの多元性や重層性が、組織における職務権限の考え方にも反映されているような気がしなくもない。

最後に、別のnoteで挙げた野中郁次郎先生の本もそうなのだが、菊澤研宗先生の本も、そのコンセプトの根底には、カントやカール・ポパーが必ず挙がっている。特にポパーの歴史主義に対する批判の根底にある考え方は、いわゆる倫理的色彩の強いものであり、やはり経営学においても、その根底には、確かな哲学と倫理基準が必要であることを、改めて考える機会になった。


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