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私たちはどこまで資本主義に従うのか:極私的読後感(40)

ミンツバーグ先生の本については、既にこのnoteでも読後感を取り上げたことがあり、かつ他にも数冊の著作(「マネジャーの実像」、「MBAが会社を滅ぼす」、「戦略サファリ」など)が手元にあるのだが、本書はそれらとは趣きの異なる本である。

この本は、いわば今の資本主義をベースにした社会システムなどに対して、警鐘を鳴らす為に書かれたものだ。

それは日本語の副題(市場経済には「第3の柱」が必要である)にある通り、従来の「政府(セクター)」と「企業(セクター)」という”2本の柱(二元論)”ではなく、「多元セクター」の評価・再定義と、それを含めた”3本の柱”で社会のバランスを取り戻す(英語の原題は"Rebalancing Society ~ Radical Renewal Beyond Left, Right, and Center"だ)を提唱するもので、ミンツバーグ先生の危機意識をまとめた200ページ程の本である。

<目次>
はじめ 社会問題を解決するのは誰か
第1章 アンバランスの勝利
第2章 資源をしぼり取らずに、知恵をしぼる
第3章 バランスの取れた社会に必要な「第三の柱」
第4章 抜本的刷新
第5章 問題を抱えた世界におけるあなたと私と私たち
第6章 アンバランスへの不満と変革への提言
補章 コミュニティシップ:社会を変える第三の力

ミンツバーグ先生は、まず第1章で『本書では、すべての人が急き立てられるようにひたすら競争し、物欲を追求し、消費をするものと決めつける経済学の「教義」に異を唱えたい。一部の人がそのような行動を好むことは、異論の余地がない。しかし、多くの人がそのような行動を取れば人類の存続が脅かされることもまた、異論の余地がない。(p.24)と説く。

そしていきなり『そもそも資本主義とは、私たちにモノとサービスを提供するための民間企業の設立と資金調達を可能にする仕組みを表現する言葉だった。それがどうして、人間が目指すべき最大の目的であるかのように考えられるようになったのか。(p.30)』という核心をついた言葉で警鐘を鳴らす。

これは、単に「グローバリズムへの批判」という文脈で捉えるべきではない事象であり、巨大企業が論難すべき対象という話でもない。それは第2章で『驚くべきなのは、世界の国々で、多くの有権者が政治的左派が右派のいずれかを全肯定して支持していることだ。(p.51)』と挙げた上で、『ほとんどの有権者は、あらゆる問題を左か右か、白か黒かに単純化して見ている。その結果、議論と信頼の精神が姿を消し、異なる意見に耳を貸さずに猜疑心を抱く姿勢が当たり前になり、卑劣な振る舞いがまかり通るようになった。(p51~52)』と慨嘆する。この一節、今の日本(いや、世界も?)に拡がる”不寛容さ”を読んでいるようで不気味である。

そう、これらの問題は、私たち個人それぞれの中に内在する問題なのだ。

そして『左対右(政府セクター 対 民間セクター)の議論があまりに長く続いた結果、社会で重要なセクター(部門)は、政府と民間の二つだけだという印象が生まれている。しかし実際には、三つのセクター、つまり多元セクターこそ、今日の社会で最も重要なのかもしれない。(p.56~57)』とし、『社会がバランスを保つためには、この三つのセクターすべてが力をもつ必要がある。(p.57)』と説き、政府セクター(政治)と民間セクター(経済)に対して、多元セクター(社会)が、『強力なコミュニティを舞台に形成(p.58)』して前の2つのセクターに対して拮抗することを提言している。

一つのセクターが社会を支配すれば、はるかに悲惨な結果が生じる。共産主義体制下のソ連と東欧は、政府セクターの「融通の利かなさ」が度を越していた。一方、過度に貪欲な資本主義体制の下では、「あさましさ」がエスカレートするばかりだ。「買主危険負担の原則」が大手を振っていて、購入した商品の品質に問題があっても買い手の責任とされている。(p.78)

そしてこの”多元セクター”における所有権の考え方について『共産主義の経験から明らかなように、私有財産がほとんど認められない社会は機能しない。しかし、いま資本主義システムが明らかにしつつあるように、ほぼすべてのものが私有財産の対象となる社会もどっちもどっちだ。(p.66)』として、NGOや協同組合をこの多元セクターの主体として例示し、その好ましい実例として、農民が共同で利用する灌漑用水、リナックスやウィキペディアに代表されるオープンソースの流れを挙げて、コミュニティシップの重要性の再認識を我々に促している。

一方、『多元セクターが社会を支配した場合、なにが起きるのか。その最も明白な政治的帰結は、ポピュリズムであろう。(p.78)』とも挙げた上で、『三つのセクターすべてが適切な役割を果たせば、「融通が利かない」「あさましい」「閉ざされている」に陥ることは避けられる。(p.78)』として、この三つのセクターの相互牽制の重要性を説く。

これ以上の解題は止めにしておくが、この本を手に取られたならば、是非、各章の後にある”注釈”も全て目を通して欲しい。ここにミンツバーグ先生が”なぜ、そう思うのか?”が、余すところなく書かれているからだ。例えば、第5章の注釈(p.142)に、以下の下りが”注釈”されている。

「若者たちは・・・・・豊かであることは倫理的に好ましいことだというイデオロギーを受け入れたが、気がつくと、不利な立場に追いやられていた。豊かさを手にするための道は、閉ざされてしまった。失業率は上昇し、社会サービスが削減され、学費と家賃相場も高くなった。そしてなにより、エリート層があからさまに腐敗し、モラルに反する行動を取っている。
・・・・・・昔の福祉国家的経済が崩れ去る一方で、政治家やビジネス関係者、そしてミュージシャンたちは、利己的に社会の富をわが物にしている。しかし、若者たちは、それに代わる社会のあり方の青写真をもっていない。もし、いまとは別の世界をつくれると本気で信じられれば、暴動など起こさずに、政治運動を始めていただろう。」(p.142 世界銀行のブランコ・ミラノヴィッチの発言の引用部より)

”注釈”というには、余りに強い問題提起を含んでおり、一方本文も相当な熱量の高さを保っている。ミンツバーグ先生の強い問題意識を、訳文からも感じ取れる、短くも強い熱を放つ一冊である。

そう、「はじめに」の書き出しは、こうだ。

もうたくさんだ!(p.3)


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