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「ヤマガタ」の名とともに映画は世界をめぐる

2006年に山形国際ドキュメンタリー映画祭がNPO法人化するにあたり、山形新聞が組んだ特集に寄稿したものである。この映画祭は、学校を卒業してすぐにせんだいメディアテークの仕事に就き、専門でもないのに上映会を企画しなくてはならなくなった私にとって、映画の先生の一人であったので、山形市が映画祭をNPO法人化すると決めたことへの批判を込めたつもりだった。
初出:山形新聞(2006年4月)


山形市の隣、仙台市にあるせんだいメディアテークでは、開館以来、山形国際ドキュメンタリー映画祭が持つフィルムライブラリーの所蔵作品から何度も特集上映を企画している。「キャメラの向こうにある<リアル>」(2002年)、「二卵性の映画たち」(2003年)、「ドキュメンタリー:あの場所を生きる記憶」(2005年)と題して共催したなかで、世界で最も多くの映画を見ることができる東京ですら機会が少ない優れた作品群を紹介できたのは、「ヤマガタ」という良き隣人がいるからにほかならない。

良き隣人というのは、単にフィルムを貸してくれるからだけではない。映画祭事務局に足を運び、特集上映の作品選定から、最近のドキュメンタリー映画の動向まで教えてもらう。映画祭がこれまで培ってきたそのノウハウやネットワークこそが、協働を支える上で重要な糧となっている。県境をまたいだ人の行き来が多いことでは山形市と仙台市が日本で有数と聞くが、映画をめぐる交流もそのひとつなのだ。

映画の世界において、山形市が世界に誇る文化を持っていることは疑う余地がない。隣町にいる私にとっても、海を隔てた土地にいる誰かにとっても、「ヤマガタ」は大きなステータスである。もちろん、映画、特に、ドキュメンタリー映画は、限られた人のためだけのものだと言う向きがあるかもしれない。しかし、この意見にはからくりがある。あらゆる文化的な営みにおいて、すべての人が受容するものをあげられる人がいるだろうか。実はそのようなものなどなく、あるとすればハリウッド映画であり、コカ・コーラといった「商品」でしかない。それを自分の住まう街の誇りにしたいと思う人はほとんどいないだろう。だから、山形市内のすべての人にドキュメンタリー映画と映画祭を好きになってほしいと私も思う一方、全員が等しく好きなものなどもはや文化とはいわないのではないかとも感じる。偏りや衝突があるからこそ活気ある文化であり、多様な社会の断片を見せるドキュメンタリー映画を擁するこの映画祭は、さまざまな意見の衝突を生みつつも、同時にそれによって流行に陥らない確かな文化的財産として街に存在するものである。また、映画祭で上映された映画がその後別の場所で紹介されるとき、それは「ヤマガタで上映されたあの」作品となる。いわばそれぞれの映画が「ヤマガタ・ブランド」を背負って世界中を飛び回ってくれているのである。つまり、この映画祭はシティ・セールスの面でも極めて重要なものである。

そのように考えると、山形市から映画祭が独立したことでもっとも課題となるべきは財政問題ではなく、山形市と山形市民にとって他に代え難い「顔」となったこの映画祭が、どのように今後も街とともに生きていくかであろう。財源の多角化は必要だが、映画祭の規模の縮小が必ずしも否定的なことだとは思わない。前回の映画祭でも、コンペ作品を見ていると他の特集を見逃してしまうことが少なくなかった。そもそも、「ヤマガタ」の魅力は、ここでしか見られないユニークなプログラムであり、また、ボランティアに支えられたあたたかい運営スタイルである。その質が評価されてきた映画祭だからこそ、世界を相手にしながらも、同時に地元の人々の顔が見える場であることも重要ではないだろうか。

一方で、今後の支援の仕方によっては、山形市政の文化度を世界から厳しく評価されることになるのだから、この映画祭をどのように市政のなかで位置づけるか、山形市はなおいっそう成熟した関わりを持たなければならない。地方都市でありながらその文化施策が世界的に注目されるという貴重な機会を得た隣人は、さらに文化的な都市として発展していくだろうと期待している。

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