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お願い、コルレオーネ

河北新報夕刊「まちかどエッセー」に2021年7月から隔週で8回にわたり書いたもの。「河北新報オンライン」が会員制になったというのでここに再録する。

地元紙の、夕刊の、気楽な枠ということで、できるだけ仙台に関わることを取り入れようと心がけながら書いていたわけだが、最終回に仙台在住の小説家・伊坂幸太郎さんが登場するのは、この連載を紹介してくれた友人がその直前に回してきた「7日間ブックカバーチャレンジ」への返答でもある。
(初出:河北新報夕刊「まちかどエッセー」2021年10月25日)


仙台在住の小説家・伊坂幸太郎さんの短篇『スロウではない』(『逆ソクラテス』収録/2020年)の主人公・司(つかさ)は、友達の悠太(ゆうた)を映画『ゴッドファーザー』(フランシス・F・コッポラ監督/1972年)に登場するマフィアのボス、ドン・コルレオーネに見立て、苦手な運動やクラスメイトのことを相談する。ドン=悠太は、小学5年男子の問いにも、いつだって貫禄のある答えを返してくれるのだ。

やや冴えない男の子二人が、不釣り合いに大人びた映画の台詞を借りながら小学生なりの悩みに向かい合うこの物語に、私たちはおかしみと同時に親しみも感じるはずである。なぜなら、私たちも彼らのように、映画や、あるいは文学や漫画、人によっては一曲の歌から、人生のヒントをもらったことがあるだろうから。

職業柄、人より多くの作品を見る機会に恵まれている私にとっては、やはり映画である。人生について映画から学んだことは多い。しかし、映画をたくさん見たからといって必ずしも立派な人間になれるわけではないのも事実。むしろ、おおよそシネフィル(映画狂)というものは、立派な人間とは言い難いことも多い(もしそうでないシネフィルの方がいたら失礼)。

しかし、それでもなお、映画から学ぶことは多いと私は言いたい。なぜなら、優れた映画というものは、それに携わる人々の思いや試行錯誤が凝縮したものだからだ。シナリオを組み立て、いくつもの場面を撮影し、編集で映像と音を組み合わせてひとつの作品に仕立て上げる。制作のための資金集めも必要だし、完成した映画を観客に届けるために映画館や映画祭で働く人もいる。何人もの経験が積み重なって一本の映画はできているのだから、たとえそれが娯楽映画と言われるものであっても、いやむしろ誰でも楽しめる娯楽映画にこそ、深い含蓄が含まれているだろう。だから、みなさんも気負わず、しかし、丁寧に映画を見てほしい。そして、時にはその登場人物に語りかけてみてほしい。きっと何か答えてくれるはずだ。

さて、これで8回の連載も終わり。私の文章から学べることがあったかどうかはかなりあやしいけれど、なにか残るものがあれば幸いである。

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