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PFFアワード2022 短評

ひさしぶりに「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」の会場におもむき、PFFアワード2022の受賞作を一部見ることができたので(グランプリ、準グランプリ、審査員特別賞を受賞した5作)、備忘録もかねて短評を書く(鑑賞順)。

*入選16作品は、10月31日までオンラインで配信されている。
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『幽霊のいる家』(監督:南香好/12分)

12分の短篇ながらとても長い映画だった。しかし、それはまったく悪い意味でなく、むしろ深い感心からである。一つひとつのショットが重層的につながり、ショットが変わるたびに前のショットを反芻することになる。「すべての映画はホラーである」と言ったのは黒沢清だが、すべての映画には幽霊が映っている。つまりは、幽霊のいる家とは映画そのものであろう。別の角度から言えば、次に触れる『MAHOROBA』と同じく、映画世界を切り取るスクリーン/画面というものに自覚的な作品だとも言える。まさに映画についての映画である。ところで、映画づくりを舞台とした映画はしばしば見られるが、それはどこか自家中毒的で興ざめすることも少なくない。その点、本作は映画づくりという設定がそれだけに堕することなく、言葉や視線に託した繊細な恋心が交差する土台となっていることこそ特筆すべきところかもしれない。フィクションにしなければ伝えられない真実があること、つまりは映画の本質の一端を物静かに、しかし、はっきりと示していた。やはり映画についての映画ということだろうか。

『MAHOROBA』(監督:鈴木達也/14分)

オフビートと疾走感が入り混じる独特なスピード感を持ったアニメーション作品。コロナ禍で時間ができた間に独学で制作したという本作は、緻密なわけでも超大作というわけでもない。コロナ禍の現代日本という設定を素直すぎるほど下敷きにし、むしろ「コロナで時間ができたからやってみた」くらいの軽さが飄々とした味わいをもたらしている。バスター・キートンを思わせるほとんど無表情な主人公はそのままに、14分という短い時間のなかで、てらいもなく画風を変えていくところもそうだ。しかし、それは単に部屋でつくりためた動画をつないだだけということではないことは確かであろう。次々と変わるスクリーンサイズには確実に意図と(ときには画面をはみ出してみせるというアニメーションだからこその技もふくめ)、それを裏打ちする映画への知識と愛情が見て取れた。つい、コロナ禍も悪くないなと言ってしまいそうになった。「小人閑居して不善を為す」の逆である。

『スケアリーフレンド』(監督:峰尾宝・髙橋直広/76分)

仕事がきっかけでPFFアワードをくまなく見ていた2000年代、一次選考のお手伝いをしたこともあったが、その時代は作品の平均点が年々向上していく印象があった。簡単に言えば「上手い映画が多くなった」のである。それは個人が買える機材でも十分な画質が保てるようになり、また、映画づくりを学べる学校が増えていった10年だったからだろう。その反面、「この人どうしてもこれがやりたかったのだろうなあ(上手い下手は別として)」と唸らざるを得ない映画は減った10年だったようにも記憶している。私自身は見るばかりで作ったことなどないのだから「映画をつくったこと」だけで十分に敬意を払うべきだが、やはり上手下手を越えて、情熱がほとばしる作品には心を打つ何かがあるのだ。この作品はそんなことをまざまざと思い出させてくれる一本だった(下手ということではまったくない)。

『the Memory Lane』(監督:宇治田峻/25分)

映像が持つ特質の一つが運動であり、もう一つがそれを記録することであるとするならば、この映画は「生きたアーカイブ」の見本とも言えるだろう。閉鎖されたキャンパスに思い出の写真を貼っていき、印画紙から抜け出たようにそこでもう一度スケートボードを走らせる。生きていた場所を記録するためには、過去を重ね合わせながら現在を生き生きと動くことが一番なのだ。スケートボードはいつだって人を上機嫌にさせる乗り物なのだから。たとえつまずいても転んでも。

『J005311』(監督:河野宏紀/93分)

俳優をしている友人二人による製作だからということもあるのかもしれないが、ロードムービーという器を借りながらも画面のほとんどは顔(頭部)で占められている。その上、いわゆる「社会で生きづらい」二人の登場人物たちのやりとりは、せめて移動する風を感じたくて画面の隅からでも遠景をのぞきたくなるような息苦しさをもたらしていた。それでも目が離せないのは、この二人の表情やたたずまいの良さゆえであろう。だからこそ、このシナリオで、この二人の配役のまま、誰か別の人間が監督したとしたらどうなるだろうとも考えた。というのも、今年のグランプリ作品であるが、賞は水ものである。舞台挨拶で実際の二人を見て、これで監督に転向したりせずに俳優を続けてほしいと思ったのは観客の勝手だろうか。
ところで、タイトルの『J005311』とは何を意味するのか尋ねるのを忘れてしまった。


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