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『真実を語る鳥』

『真実を語る鳥』【超短編小説 080】

僕が中学1年生の時に父は死んだ。

父と母は別居していて、僕と妹は母と一緒に暮らしていたのだが、ほとんど父と会うことはなかった。僕に残っている父の記憶は、寝る前に必ず「生まれてきてくれてありがとう」と言って額にキスをしてくれたことだけ。僕が4歳の頃、朝、目覚めると父は居なくなっていた。

母に父のことを尋ねても「仕事でしばらく帰ってこないのよ」と言って、あからさまに不機嫌な顔になるので、それ以上は聞けなかった。

そのうち父のいない生活が当たり前になっていき、母には彼氏らしき男ができた。その男の人と喧嘩でもしたのだろうか、機嫌が悪い日にお酒を飲むと母は必ず父の悪口を言っていた。あの頃の僕には、本当かどうかは分からないし、母の話す話の内容も全て理解できていなかった。「あの人は、私とお前と妹の3人を捨てたのよ。無責任な男なのよ。」と言って最後は泣きながら寝てしまう母。僕と妹は母を慰めるようにくっつきながら、一緒に寝た。

僕が小学校六年生の時、母と大喧嘩をした。「お前も私のことが嫌ならば、お父さんみたいに出ていけばいいじゃない。」と言われて家を飛び出した。あてもなく近所を徘徊していたが、頭の中では「父に会いたい」という思いと、どうしたら会えるかを考えていた。しかし、父の居場所も連絡先も知らされていない僕には父と会う術を見つけることは出来なかった。夜明け前に家に帰ると母の姿はなく、妹が何回も観たDVDを流したまま、こたつで寝ていた。

父の死の知らせを受けた次の日、母は一人で病院と警察と父の暮らしていたアパートへ行った。朝早く出かけて夕方に帰ってきた母は疲弊していたが、悲しみの表情は無かった。その夜は母が買ってきた唐揚げ弁当とインスタントの味噌汁を3人で食べた。僕は寝る寸前まで激しく脈打つ鼓動を抑えることをできずにいた、そしてそのまま布団にもぐって泣いた。

火葬場で家族葬を終えた数日後に、父の遺品を整理するために父の住んでいたアパートにみんなで行く。初めて訪れる場所は、電車で一駅のところにあり、線路際に立つ古いアパートだった。

六畳一間の部屋は物が少なく、整理整頓されていて、僕の記憶に残っていたのか、なんとなく父の匂いがした。本棚とテーブルと座布団、棚の上には4歳の頃の僕の写真と生まれたばかりの妹の写真そして4人で撮った写真が真っ白い写真立て入れて飾ってある。

布団と洋服はきれいに押し入れの中にしまってあった。テーブルの上にはB5サイズほどの白紙のメモ用紙が置かれていて、今はない前ページの筆跡のくぼみだけが残っていた。僕はそのくぼみを指でなぞり父の生きていた痕跡に触れた。

小学校低学年の妹は、父の部屋に入らず廊下で待っていた。父の記憶が無い妹にとってその存在は母が話す悪者のイメージそのものであり、家族を捨てた父を嫌っていたので早く帰りたがっている様子だった。

僕は記憶に残るあの時の父を嫌うことは出来なかった。

テーブルの前で物思いに耽っていた僕に母が話しかける。「あれを処分したいから、お前と妹で動物愛護センターに持っていってちょうだい。」と言って、部屋の隅にぶら下げられている鳥かごを指差した。

鳥かごの中には九官鳥が一羽こちらを見ている。僕たちがここに連れられてきた理由がわかった。母は昔から鳥が嫌いで街で鳩やカラスを見かけると嫌悪な表情になり、スズメにもビクビクと怖がるほどだった。

僕はその鳥かごを下ろして、初めて見る九官鳥をしばらく眺めていた。すると母が横で早く行けと無言で訴えてくるので、そそくさと部屋を出て廊下を進んだ。

幸い動物愛護センターは近いところにあったので、妹と一緒に歩いて行くことにした。歩きながら妹も初めて見る九官鳥に興味津々だったので色々話しかけていると、踏切の前で九官鳥が何か喋りはじめたことに気がつく。

最初の一言は電車が通り過ぎる音で聞こえなかったが、踏切が開いた瞬間にもう一度、九官鳥が口を開いた。

「ウマレテキテクレテアリガトウ、ウマレテキテクレテアリガトウ」

僕の記憶に残る父の声だった。

「ウマレテキテクレテアリガトウ、ウマレテキテクレテアリガトウ」

九官鳥はその言葉の後に、僕と妹の名前を何回も繰り返し発した。

「ウマレテキテクレテアリガトウ、ウマレテキテクレテアリガトウ」

母に遠慮して隠していた感情が甦ってくる。
僕は、本当は父のことが大好きだったんだ。

「ウマレテキテクレテアリガトウ、ウマレテキテクレテアリガトウ」

もう一度聞きたかった言葉。

「生まれてきてくれてありがとう、ウマレテキテクレテアリガトウ」

もう一度言って欲しかった言葉。

「ウマレテキテクレテアリガトウ、生まれてきてくれてありがとう」

何度も何度も求めていた言葉。

「生まれてきてくれてありがとう、生まれてきてくれてありがとう」

やっと聞くことができた言葉。

「生まれてきてくれてありがとう」

涙が溢れ出て、どうしようもなくなって、その場でしゃがみ込み、抑えきれずに叫び声を漏らした。
踏切は再び降りて、まもなく上下の電車が僕の泣き声をかき消すように通り過ぎる。踏切の警報音と走る電車の騒音が僕を優しく包み込んで、父との思い出を飲み込む時間を与えてくれた。



母は父の死後、彼氏と別れたが、その半年後にその人の子供を産んだ。毎日が忙しい日々だったけれど母が怒ることは少なくなって、泣く姿も見ることはなくなった。

相変わらず父の話をすることはなく、父の死因すら僕たちは知らなかった。母と父の間で起きた出会いから死別までの話を聞くこともない。
何が本当で何が嘘なのか。真実は何処にあるのかは分からないまま。

でも僕は感じる。ひとりで子供を育てようと決心した母の覚悟と愛。宿った生命を大切にする責任感。その姿に「生まれてきてくれてありがとう」という思いがこめられていることを。

そして記憶に残る父の「生まれてきてくれてありがとう」の言葉。この言葉こそが僕にとって、僕ら兄弟にとっての真実なんだと思う。

「ウマレテキテクレテアリガトウ」

父が飼っていた九官鳥は、母の許しを得て僕の部屋で今も真実の言葉を語ってくれている。

九官鳥01

《最後まで読んで下さり有難うございます。》

僕の行動原理はネガティブなものが多く、だからアウトプットする物も暗いものが多いいです。それでも「いいね」やコメントを頂けるだけで幸せです。力になります。本当に有難うございます。