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超短編小説 045

『恋の喜び』

突然の別れだった。
いや、必然の別れだったのかも。

私と彼は今年、大学を卒業した。肺炎を引き起こす未知のウィルスのせいで開かれなかった卒業式。自宅に郵送で届いた卒業証書と記念品。友達とはインスタで卒業を祝いあった。

数ヶ月前に想像していた門出のイメージとはひどく違っていた。それでも私たちは前を向いていた。だって例年通り桜は綺麗に咲いていたし、一緒に切なさを共有できる彼がいてくれるから。

でも、私たちの心の風向きは変わってしまった。私は4月に入社予定だった会社から無期限の自宅待機が言い渡された。彼は内定が取り消された。

引きこもりの時間が続いた。外に出ず真面目に軟禁状態を受け入れていた。頭の中は現状の哀しさと、苦しさ、未来への不安と、心配。LINEのやり取りで彼も同じ気持ちを抱いていた。思いは一緒だった。

だけれどいつからか、LINEも電話もできなくなった。前を向けない私たちは話すことが無くなってしまったのだと思う。無理に前向きな話をするのは私も彼も苦手だった。

「世界が止まるってことは、頭の中も心の中も止まるってことなんだなぁ」って、一生懸命、頭の中で現実を受け入れようとした。

緊急事態宣言中から2週間たった温かい日に久しぶりに彼からLINEが来た。「会いたい」私も直ぐに返事を送った。「私も」

私は母に事情を説明して、“人混みに行かず”、“マスクをしたまま”、“1時間だけ”の了承を得て彼に会うために出かけた。

自転車で5分ほどで行ける土手に来た。やたらランニングをしている人がいる。私と彼は久しぶりに会えた喜びと安心感を感じていたのに、表には出せなかった。土手の斜面に座ってしばらく川の流れを眺めていた。

川辺の手前には、濃いピンクのツツジの花の群が広がっていた。それを見て彼が口を開いた。

「子供の頃、よくツツジの花の蜜を吸ったなぁ。」

「わたしも吸ったことある。子供だったからかな、すごい甘かったよね。」

「そうなんだよ、あの甘さにはまって大量に花をもいでたから母さんに怒られた。」

「子供の頃から夢中になる癖があったんだね。」

私たちはこんな会話で、少しだけ表情が明るくなった。彼といるとやっぱり安心する。

「なぁ、ツツジの花言葉、何だか知ってるか?」彼が質問してきた。

「んー。知らないよ。何?」

「白いツツジが《初恋》で、あそこに咲いている赤いツツジが《恋の喜び》なんだよ」

「そっか。素敵だね。」私は答えたけれどなんだか寂しくなった。寂しくなった理由を彼が代弁してくれた。

「僕は君の事すごい好きだよ、安心するし、付き合って3年経つけれど今も恋してるなって感じるんだ。でも、この自分の気持ちを喜べないんだ。この恋が今は喜びと思えないんだ。」

止まった世界の中で私と彼の恋も止まってしまったのだ。

「分かるよ。私も一緒だよ。私たちずっと前を向いて、目標を決めて楽しんできたから。今が辛いよ。何していいか、何をしてあげていいか、何を話していいか。わからなくなっちゃった。」

彼は一言「ごめんね」と言った。

私は首を横に振って、「謝らなくていいよ」と言って下を向いた。垂れた髪の毛で溢れ出る涙が彼に見えないように。彼に心配かけないように。

あっという間に50分が過ぎてしまった。私たちは立上り、目前に広がる空と川とツツジの景色を真っすぐに見つめていた。手をつなぐことはもう無いとふたりともわかっていた。

私は最後に、「ツツジの花を大量にもいだから、そのバチが今になって当たったんだぞ。」といって彼の腕を軽くパンチした。これが彼に触れた最後だった。

帰るために後ろを向いた私たちの足元では、タンポポの綿毛が風に吹かれ飛んで行った。

大切な荷物をひとつ、そこに置いて、少しだけ身軽になった心。

前を向いて一歩を踏み出すために、あとどれくらいもがき続けるのだろうか。

ツツジ01

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僕の行動原理はネガティブなものが多く、だからアウトプットする物も暗いものが多いいです。それでも「いいね」やコメントを頂けるだけで幸せです。力になります。本当に有難うございます。