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『まぼろしの女』

『まぼろしの女』【超短編小説 053】

SCENE① まぼろしの部屋
新宿歌舞伎町の喧騒から少し離れた場所。
区役所通りから花園神社に向かう細い路地にある雑居ビル群。
その一角にある、シャッターが半分下ろしてある4階建てくらいのビルの前で、俺は吸っていた煙草を足でもみ消した。

シャッターをくぐり中に入ると、目の前に4階まで上がる階段が伸びていた。今にも壊れそうな建物の外観とは違い、内装は高級な仕上げが施してあり、吹き抜けた天井にはシャンデリアが垂れている。床は真っ白な石張り、
黒光りする黒漆喰の壁、階段は間接照明と鏡面の踏み面がまるで天国へ続いているかのような幻想を抱かせた。

さっきまで歩いていた歌舞伎町やゴールデン街のカラオケや、人々の声は何も聞こえない、街の記憶がはるか昔の事のようにさえ思えた。

俺は、さっき煙草を踏みつけた足で、その天国への階段を昇る。
最上段の踊り場に着くと、正面には高級なホテルのスイートルームをイメージさせる扉がある。室名は『000』。

扉をたたく前に「カッチ」と音がして内側に開いた。扉を開いたのは頭からベールを被った女だった。
女はシルクの布を羽織っている、美容室で髪を切るときに着けられるケープのような布。その布越しに裸体が見える。それ以外に何も着ていない。
女に誘導されて廊下をすすみ、奥の部屋に通される。

部屋の暗さのせいで女の羽織っているケープの色は分からないが、廊下のところどころに置かれた電球色の照明に照らされる度に、たなびいているケープ、その姿は夜の海で月に照らされたクラゲのようにも見えた。

通された12帖ほどの部屋にはクィーンサイズくらいのベッドが真ん中にあり、部屋の四隅に置いてある照明は相変わらず暗い。

俺はスーツを女に脱がしてもらい、シャツと下着は自分で脱ぎ、全裸になってベッドに仰向けになった。
柔らかくて軽い布を全身に掛けられた俺は、目を瞑る。すると部屋が不思議な香の匂いで充満していくのが分かった。
暗い部屋は更に、視界が悪くなっていくが不思議と安心できる空間に感じて体の力が抜けてきた。

SCENE② まぼろしの女
しばらくすると部屋に人が入ってくる気配がした。気配は、俺の顔の横に立って話しかけてきた。

「お持ちしておりました、広瀬 龍二様、これからあなたを本当の快楽の世界に誘いましょう。」

声の主はここの女主人だろう。顔は見えない。さっきの女のようにケープ一枚をまとった姿から、その下の裸体が透けて見える。華奢な体格であるが、女性としての魅力が十分窺がえる身体をしていた。
しかし、俺の目的はここで快楽に耽ることではなかった。

「快楽はどうでもいい、兄貴がここで何を手に入れたのかが知りたいんだ。
一ヵ月前、滝沢 青(ショウ)に何があったのか教えてくれ。」

「龍二様、あなたが何故ここに来たのか、わたしには全てわかっております。青(ショウ)様に何があったのかを知りたければ、ここで青様と同じ体験をしてください。」

「同じ体験?」

「そうです、本当の快楽を知る儀式です。」

俺は、これ以上話をしてもらちが明かないと思い、起き上がろうとした。が、その瞬間、女主人のケープが俺の鼻先から顔全体を撫でた。
体から力が抜けて再びベッドに横になる。すると、今度はベッドに張り付いたように体が動かなくなってしまった。

女主人はそんな俺の側で、ただただ語り始めた。

SCENE③ 本当の快楽
「龍二様、本当の快楽とは何でしょうか?

痛みや苦しみや悲しみを思い出すとき、人は体や頭の内側で思い起こすのです。しかし、幸せや喜びや楽しさは、体や頭の外側で思い起こすのです。この違いを感じる人間は多くありません。

じつは、味の喜びや、性の喜び、薬物の心地よさ、物欲が満たされた際の幸福感、ギャンブルの楽しさは体や頭の内側で感じる「痛みや苦しみや悲しみ」と同じ刺激でしかないのです。

刺激と本当の快楽は別物です。

人間には、内側の神経と外側の神経が存在します。
肉体の神経網で感覚として感じるものを刺激といい、肉体の外側を取り巻いている微弱な電流神経で感じるものを快楽というのです。

本来、肉体の外側で感じる快楽は、近くにいる人間同士で共有・共鳴して増幅していく性質がありました。しかし現代の世の中では、コンクリートに囲まれた世界であるばかりか、人間の放つ電流神経よりも強力な電磁波が多数、蔓延している空間内では、快楽を共有・共鳴することが不可能になってしまったのです。

わたしは、肉体の外側を取り巻いている微弱な電流神経を増幅させることが出来ます。つまり、わたしと繋がることで、自分の快楽を周りの人間と共有することができて、さらに、人々の「幸せや喜びや楽しさ」を受信することも可能となるのです。

嘘の快楽を与える刺激ではない、本当の快楽を感じることが新たな世界を生み出すのです。

一ヵ月前、青様もここでわたしと繋がって、本当の快楽の世界を手に入れたのです。」

女主人の語った話は、あまり理解できなかった。
だが、青が死ぬ前にここで得た「生きる喜び」の正体を俺は知りたかった。

「俺も、青と同じように繋げてくれ。本当の快楽の世界に。」

「龍二様、もう繋がっていますよ。」

その言葉を聞いたのを最後に俺は深い眠りに落ちた。

SCENE④ まぼろしの街
目を覚ますと、ひどく喉が渇いていた。
起き上がりベッドの横の小さなテーブルを見るとティーカップに紅茶らしきものが注いであったので一気に飲み干した。

部屋には誰もいない、きっとこのビルにも誰もいない。まぼろしのような時間を思い出しながら、服を着て部屋を出る。
階段は光っていなかった、下界に続く冷たい階段を一段ずつ降りていくと外の騒々しさが耳に入ってきた。
シャッターをくぐり新宿の街に再び戻ってくると、なんだか街が「ガラッ」と変わってしまったように感じる。

煌びやかなネオン街、酔っ払いたちの歌声、はしゃぐ若者たち、ホテルへと向かうカップル、風俗店の呼び込み、着飾るホステス、客と出勤するホスト、誰かを乗せた高級車。

夜の星さえも見えないほどの街の明るさが、空を包み込むこの場所こそが、日本で、いや世界で一番の快楽の最高峰だと思っていた。

しかし、今は何も感じない。むしろ痛みに近い刺激しか感じない。
かつて感じていた、ワクワクするような高揚した気分も、ドキドキするような興奮も、武者震いするほどのハイテンションも、俺の内側から消えていた。

街は何も変わらない。

この街は、沢山の刺激で満たされているが、もともと本当の快楽は一つもなかったのだ。今ならはっきりとわかる。そして、そんな街になんの魅力も感じなくなった。数時間前まで、俺の帝国を築くことを夢みていた街が、まぼろしに思えた。

「だから、青は足を洗って、家族とこの街を去ろうとしたのか。」
俺は呟いた。

青と俺は、地元である新宿でアウトローの後にヤクザになった。俺の兄貴分だった青は若頭にまでなったが、突発的な抗争で狙い撃ちされて死んだ。

俺たちはいつも同じ景色、同じ未来を見てきたのに、死ぬ数日前に、突然、青はヤクザをやめて田舎で彼女と一歳の子供と暮らすと言ってきた。「生きる喜び」を見つけたと目を輝かせて俺に告白してきた。

俺は、唖然としたが青の決意に賛同した。賛同したが、納得はいかなかった。この街でのし上がること、力をつけていくことが俺たちの「生きる喜び」だったのに、その時から青は俺と違う景色を見ていた。

だから、俺は知りたかった。あの時、青がどんな景色を見ていたのか。
青の仇を討ちに行く前に俺は知りたかったのだ。

「青、また同じ景色を見れたな。仇を取ったら俺もこの街をでるよ。」

0時の時報が、どこからか聞こえる。
俺は少し寒い向かい風の中を東新宿に向かって歩き始めた。

【まぼろし】
1 実際にはないのに、あるように見えるもの。また、まもなく消えるはかないもののたとえ。幻影。
2 その存在さえ疑わしいほど、珍しいもの。
3 幻術を行う人。

《最後まで読んで下さり有難うございます。》
《 To be continued.》

僕の行動原理はネガティブなものが多く、だからアウトプットする物も暗いものが多いいです。それでも「いいね」やコメントを頂けるだけで幸せです。力になります。本当に有難うございます。