超短編小説 025
『スズキさん』
僕の脳は異常なんです。
精神的なものでも身体や動作に異変があるわけでも無く、今のところ生活に影響は無いのですが、
完全に通常とは異なる働きをしているのです。
それじゃあ通常とは、なんなんだっておっしゃる方もいらっしゃると思いますので、僕の脳の異常性を簡単に説明させていただきます。
僕の脳は、ある物をある物に変換してしまうのです。遠まわしな言い方ですみません。ある物とは人間の死体です、もう一方のあるものとは見覚えの無い男の死体です。
分かっていただけましたでしょうか。
つまり老若男女どの死体でも、たった一人の男の死体に見えてしまうのです。縁起の悪い想像で申し訳無いのですが、例えば目の前でお婆さんが心臓発作でお亡くなりになった瞬間にある男の姿に変わって、お婆さんの姿は消えてしまうのです。
その男に見覚えはありません。60歳くらいで白髪頭の中肉中背、大した特徴も無いので僕は仮に「スズキさん」と呼んでいるのです。
最初に「スズキさん」と出会ったのは、祖父の通夜の時でした、85才の祖父は肺炎を悪化させて病院で入院中に亡くなりました。悲報を受け祖父の家に行き、泣き泣き棺桶に納まる祖父を見てみると、そこに「スズキさん」がいました。「誰だ?」「父さん、これはじいちゃんと違う」と訴えたのですが、悲しみのあまり気が動転したのだと思われて、早めに寝かされました。しかし冷静に次の朝、祖父の所へ行くと、やっぱり見知らぬ男の亡骸でした。自分以外のみんなには紛れも無く祖父の姿に見えていたのです。
普段、死体を見ることなんてありませんし、死と近い職業でも無いので、困ることもありません。しかし、この症状、映画やドラマやアニメにも適用されるのです。
アニメの名場面で度々出てくる、“北斗の拳のラオウの死”も“タッチの上杉和也の死”も僕には見慣れた「スズキさん」の死でしか無いのです。
現実社会で使える能力と言えば、倒れている人がまだ生きているかどうか、脈があるか無いかをパッと見て判断できることくらいでしょう。
しかしこの能力のせいで台無しになった映画がホラー映画の「SAW(ソウ)」でした。「医師のゴードンは目が覚めると広いバスルームで鎖で繋がれていて、対角線上のもう一人の男と、中央の拳銃自殺した男の死体がある」というシチュエーションでした。死んでいたと思われていた中央の男が実は生きていた!という驚きのラストなのですが、僕は中央の男は「スズキさん」では無かったので生きていると知っていた分、ラストの驚きは無く、「よくあんなにじっとしていたなぁ」、「いつ動くんだこいつは」って、みんなとは視点がずれて楽しめなかったのです。
同じように、なんだか純粋に楽しめない映画が、ゾンビものの映画です。僕の脳は、死体は「スズキさん」に変換されるのですが、動く死体、つまりゾンビは「スズキさん」に変換してくれません。
ゾンビに噛まれた人が、絶命して、一旦「スズキさん」になります。しかし、次の瞬間、元の人間がゾンビ化した姿になり「スズキさん」でなくなる。そして誰かに襲いかかった直後に銃で眉間を撃ち抜かれ、再び「スズキさん」になる。絵的に忙しいのである。人間が「スズキさん」になったりゾンビになったりと、目まぐるしく滑稽で楽しめないのです。
まぁ、僕の脳の異常性は医学的には大変な症状なのかもしれないですが、ご覧の通り僕的には非常に下らない問題を生み出すだけの症状なのであまり苦にはなっていないのです。
しかし、いつかおとずれる、親、兄弟や友達との死による別れに対して、僕は彼らの“死に顔”を見ることは出来ないのだと思うと時々切なくなるのです。
《最後まで読んで下さり有難うございます。》
僕の行動原理はネガティブなものが多く、だからアウトプットする物も暗いものが多いいです。それでも「いいね」やコメントを頂けるだけで幸せです。力になります。本当に有難うございます。