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『ドッペルゲンガーと胎盤』

『ドッペルゲンガーと胎盤』【超短編小説 049】

皆さんは胎盤というものをご存知でしょうか。

胎盤とは妊娠時に子宮内に形成される臓器で、赤ちゃんとお母さんをつなぐ役割をしています。ですから、皆さんは生まれる前に母親のお腹の中で胎盤と向かい合って成長してきたのです。

胎盤の主な働きは、「呼吸器」「消化器」「内分泌器」「排泄器」と、赤ちゃんが生きるための機能を有しています。そして、赤ちゃんと胎盤は同じ受精卵から生じているので、同じDNAを持った一卵性双胎なのです。

しかし、出産後に母親のお腹から出てきた赤ちゃんと胎盤は、全く別の道を辿ります。赤ちゃんは生まれたと同時に産声をあげ母親と父親に抱かれて人生の一歩を歩み始めます。一方、子宮内で目の前の赤ちゃんを、一生懸命に育ててきた胎盤は子宮外に排出されるとその役目を終え医療廃棄物として人知れず処理されてしまうのです。

産後に胎盤が処理されるのは当然だと思われる方がほとんどではないでしょうか。確かに現代では衛生面や感染症リスクを抑えるために適切に廃棄処理をすることを、行政で義務付けられています。ですが、明治維新より前の時代では胎盤への考え方は現代と全く違うものでした。

縄文時代から平安時代の古代では、胎盤は生まれてきた赤ちゃんと同等と考えられて、大切に扱われていました。この頃から呼び名は胞衣(えな)と呼ばれていて、子宮から出てきた胞衣は丁寧に何重にも包まれて専用の容器に入れて埋納されていたのです。

鎌倉時代から室町時代の中世にかけて武士が中心の社会になると、天皇や公家から将軍家や武士の間で胞衣の埋納が広がります。それから、江戸時代までに胞衣への信仰と埋納方法が庶民にも広がり、権力者の胞衣は神社や塚に納められるようになったのです。

このように古代から近世にかけて胎盤(胞衣)は出産後も赤ちゃんが成人するまでの分身として、成長や運命に影響すると信じられており、とても大切な存在だったのです。

皆さんは、胎盤についての見方が少し変わったのではないでしょうか。

ここからは私の、想像の話になるのですが、もし胎盤に意識や想いが、有るなら一体どんな気持ちなのでしょうか。そして、もし胎盤が適切に処理されずに、しかも奇跡的に成長できる環境にあったらならどうなっていたのでしょうか。

胎盤は赤ちゃんと一卵性双胎なので、遺伝子的には兄弟のような関係です。しかし子宮内で胎盤はひたすら赤ちゃんを育てていたことを考えると、それは親心に似た気持ちを赤ちゃんに対して抱いているのではないでしょうか。

無事に出生できた赤ちゃんを確認して自身の生命が終わるときに、達成感と共にこれから生きていく、か弱い赤ちゃんの人生を危惧しているのではないかと思うのです。

そして仮に赤ちゃんの分身である胎盤がその生命を維持する事ができて、さらに成長するきっかけがあったとしたらどうでしょうか。おそらく人間に近い個体にまで成長すると私は思うのです。

胎盤は先に述べた通り、生きるための機能を有しています。そしてDNAは赤ちゃんと同じでなのです。心臓に似た器官が発現すれば、脳の役割をする器官を有していれば、確率はゼロではないでしょう。

こんな話があります。

『その田舎町にまともな産科は無かった。彼女は妊娠41週目でこの病院の門を叩いた。老医師に老看護師の2人だけ、ちゃんとした医療器具はあるのだろうか、不安しか無かったが、いつ生まれてもおかしくない体を彼女は仕方なくこの病院に預けることにした。

妊娠に気付いた時の検査では、お腹の中の子は双子であると言われていたが、いつの間にかひとりになっていた、という不思議な経験を経て、ようやく産む事ができる段階まできた。同じ病室では、熱射病の工事現場の作業員が隣のベットで点滴を打っていたがあまり気にしないようにしていた。

その瞬間は突然だった。入院した夜に陣痛が始まり、それは次の日の昼まで続いた、税理士の旦那が病院に来てくれたのは午後の4時過ぎ。既に女の子を彼女は出産していた。

女児はサリーという名前をもらい、すくすくと育った。20歳になる頃に、田舎町に奇妙な噂が立った。サリーと瓜二つの女が真夏なのにロングコートを着て街を徘徊していたという。サリーに心当たりは無かったが、町では40人以上の人が目撃しているという。その女に話しかけた人もいたが返事はなっかったそうだ。

後に、その女はドッペルゲンガーであると、結論づけられて。しばらく有名な話になった。』

この話の謎の女について私の想像力を働かせてみよう。

妊娠初期に双子が最終的にひとりになることはあり得る話で、一方の胎児が母親の体内に吸収されてしまう現象でしょう。ここでは母親の胎盤に吸収されたと考えます。しかし完全に吸収されたわけではなく、既に形成された器官は機能したままであったのではないでしょうか。

そして、出産後に排出された胎盤はきちんと処理されずに他の廃棄物と一緒に投棄され、点滴などの栄養を受け取って、胎盤に吸収された胎児の名残と共に成長を始めたのです。

ある一定の成長を期に下水やゴミ溜め場で生きる術を手に入れますが、おそらく自我や意識は限り無くゼロに近いでしょう。しかし、さらに成長を遂げると一抹の感情が生まれます。それは共に子宮内で過ごした、自分が育てた赤ちゃんへの愛情。

人間のように生きるための体ではないので、動き過ぎれば組織は壊れ、日を浴びれば皮膚は溶け、目が見えるわけでも無く、耳も聞こえない、口も聞けないのです。しかし唯一の目的、あの赤ちゃんを感じたい。成長したあの子を感じたい。会えるか分からないが動かずにはいられない。

そんな思いを抱いて、サリーに似た姿に成長した胎盤は、町を徘徊するのです。町の人々はサリーに似ているがどこか違うその姿を見て怪訝な表情を浮かべます。それを感じると同時に、人々の感情からサリーの人柄や様子を窺い知ることができたのです。

サリーは、出生時の華奢で脆い赤ちゃんから、立派な大人に成長しました。それを感じ取った胎盤は安心して、再び、この世界に別れを告げるのです。

いかがでしょうか。ドッペルゲンガーと胎盤を結びつけることで、知ることのできない胎盤の心を多少でも垣間見て頂けたでしょうか。

私は、現代における胎盤の扱いを批判するつもりも、胎盤信仰を復活させるつもりも無いのです。ただ、人間誰しもが子宮の中で守ってくれていた胎盤という尊い存在がいるという、そのことを知って頂きたかったのです。

胎盤に心と体があれば、おそらく出生後も、あなたをずっと守ってくれていたでしょう。私は私を産んでくれた母に感謝すると共に、10月10日の期間、一緒に過ごして、私を育ててくれた胎盤にも感謝の意を表するのです。

これを読んで下さった皆さんに何か新しい感覚が芽生えて下されば幸いです。

ただ一つ気になるのは、今、私がいる書斎の窓から見える、自宅の横の路地の外灯の下に、私と顔と体型がよく似たロングコートの男が立っていて、こちらを伺っていることです。

ここまで読んで下さった皆さんは、私の胎盤が成長して会いに来てくれたのだと、お考えになることでしょう。しかし、私の胎盤は出生直後に冷凍保存をして、自宅の地下室に安置してあるのです。

一体、彼は何者なのでしょうか。

胎盤と赤ちゃん01

《最後まで読んで下さり有難うございます。》
《誠に勝手ながら、人間代表として、今まで存在してきたすべての胎盤に感謝いたします。》


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